5.伝えたくないもの (3)
※
「わかる、わかるぞ……今すぐにでもその切れ味を試したいという欲望が」
リリィの眼下には、無防備な初老の男の背中がある。幼い目は、その曲面に吸い込まれる。剣を突き立てるにはおあつらえ向きの背中。見透かしたようにその背が言う。
「儂の身体で試すがよい」
「それはいいけど……なぜ?」
「わからんか。フフ、まだ子供だのう」
リリィは十の歳だった。男は言った。
「その剣は儂の最高傑作。それは今でなく、永遠にな。つまり儂は、今後それを超える剣を造れんということだ。鍛えても、鍛えても、出来るのはそれに劣った出来損ないばかり。そう、死ぬまで。生きて鍛冶を続ける限り、終わりなき無力感と徒労感に苛まれるのだ」
「……………」
「それにな、儂は気付いたのだ」
グスタフの体が揺れた。振り向こうとしたのか。しかしそれがなされることはなかった。そして声の調子が変わった。それまでの自嘲するような調子ではない。低く、戒めるような声調だ。
「……剣は歴史を創らん。有史以来、剣で歴史が創られたことは一度もなかった。そしてこれからもなかろう。剣で世の中は変えられんのだ。わかったな、女子よ」
「心得ておくわっ!」
※
「……体験したことのない味だった。貫いたはずの背骨の感触も、肋骨の抵抗もなかった。ラクティスにナイフを刺すようだったわ」
「いやああああっ!」
「つまり……」
ロリアンが唇を噛む。
「義父さんは、刀鍛冶の業の無力さに気付き……」
「……そういうこと。ただ、受け取った剣の見事さには一片の曇りもなかった。だから埋葬し、丁重に弔わせてもらったわ。金も一緒にね。あとで掘り返されたみたいだけど」
リリィは荒れた店内を見回した。
「店を開くには十分だったでしょう。婿取りにも役に立ったかもね」
ロリアンが目をきょどらせた。リリィは懐から金貨を取り出しカウンターに置いた。十万ソリタ金貨五枚だった。
「店を壊したお詫びに。あと、このダガー貰っていくわ。ハルは何か欲しいものある?」
「あ、あたいはいいかな」
リリィが店の奥の暗がりに目を遣った。四角く口を開ける闇。その奥に立派に設けられたであろう鍛造の設備は、おそらく一度も役目を果たしていない。グスタフの技は永遠に失われた。彼が望んだとおり。師を失い、弟子たちも散り散りになった。ここはただ、流通する商品を右から左に流すだけの場所。
(……………)
リリィは目を閉じた。彼女は思った。
それでよかったのだろうか―――
グスタフが娘に望んだささやかな幸福。人の親には、子に伝えたくないものもある。自分はそれを、シールの母・ウラーヌから学んだ。
「行きましょうか」
リリィがダガーをシールに差し出す。立ち上がったシールは、おずおずと両手でそれを受け取った。リリィは布服の汚れを払い、ケープを整えた。
まばゆい陽光が、三人の姿を吸い込んだ。外でアーアーとロバが鳴く。主の帰還を待ちわびていたのか。やがて蹄の音が、かぽり、かぽりと遠ざかってゆく。
日の恵みから見放された暗がりに取り残されたロリアンとニーナ。ふたりは抱き合いながら、その音を見送った。




