2.流浪の少女 (3) ☆
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「さーあ、よってらっしゃい、よってらっしゃい!ブルーフラッグ騎馬隊の到着だよ!」
谷川に架かる小さな吊り橋の向こう、南北に続く街道から威勢の良い男の声が響く。橋の手前で呼応する女たちの嬌声。静かな谷あいの村は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
青旗騎馬隊は、はるか西、大平原の王都プルージャとここ辺境の地を往復する隊商だ。馬車を連ね、半年に一度、村を訪れる。住人たちにとって、都の珍しい品物を手に入れる数少ない機会であり、また作り溜めた手工芸品を売って現金収入を得るチャンスでもある。たくましい村女たちは、良い品を求め我先にと馬車に群がり、また自分の手芸品を、他の女たちより高く買わせるために張り合うのだ。
で、男たちはと言うと、自作の農具や木工細工、弓などの簡単な武具を遠慮がちに持ち寄り、血気盛んな女たちの怒声を浴びながら、細々と商いをするのである。
その日も嵐のようなひとときが過ぎ、隊商たちは撤収の準備にかかっていた。そのどこか緩んだ空気を、女の悲鳴が切り裂いた。
「きゃーっ!」
「な、何、あの子……」
婦人たちが口元に手を当て、眉をひそめる。
広場に現れたのは……ひとりの少女。みすぼらしい褐色のボロ布に身を包み、背には長いロッドを担いでいる。そして何よりも女に悲鳴を上げさせたのは、臭い。肉の腐ったような、強烈な悪臭。それは少女の体から発せられていた。挙措を失う村人たち。しかし少女に動じる気配はない。周囲の狼狽など目にも入れず、吊り橋を揺らし、馬車の前に進み出る。
「な、なんだ、てめえは!?」
荷台の上の男が顔を背ける。臭気に馬も前脚を掻き上げる。
「刺繍を買って頂戴」
「臭い、馬車から離れろ!」
「見るだけでも見てよ」
何事かと前後の荷車からも仲間が集まってきたが、臭いに気付くとみな顔をしかめて足を止めた。環視の中、少女は腰の麻袋から商品を取り出した。
「……………」
その造形に、男は息を呑んだ。
黒い布に原色の糸で施された幾何学模様。それは幻想的、かつ独創的で、見る者の心を捉えた。その気高い美に比べれば、村の女たちがするどんな刺繍も子供だましに見えた。ステッチも、村女たちのそれよりはるかに繊細だった。しかし現実に戻れば、待っているのは強烈な屍臭だった。
「い、いくら欲しいんだ!?」
「二万ソリタ」
「ふざけるな!そんなモノ、王都じゃ五千にもなりゃしねえ。四千だ、四千!」
少女は口を尖らせたが、やがてあきらめたのか。不満げな表情をため息に変えた。
「じゃあ四千でいいわ」
男が傍らの布袋に手を突っ込んだ。彼は硬貨をひとつかみすると、少女の背後に放り投げた。追い払うように。街道上に散らばり、跳ね転がる銀、銅のコイン。少女は身を翻し、しゃがんでそれを拾い集めた。
……………
疲れたように不規則に幌を揺らし、谷筋の街道を下る隊列。その一台で、男は少女から買った刺繍を顔の前に広げていた。
何度見ても、どれだけ眺めていても、その美は色褪せなかった。いやそれどころか、時が経てば経つほど、巧みに絡み合う色糸は、その精緻さによってより彼を強く責めた。
「……………」
男はおそるおそる布に鼻に寄せた。芳香が鼻孔をくすぐった。香水がふられているのだろう。その様子を見ていた仲間が片眉を上げた。
「何だったんだ、あの臭い娘は?」
「あ、ああ……」
刺繍越しに返る生返事。仲間はあごに手を当て、吟味するように覗き込む。
「それにしても見事だな」
「……………」
「これだけの品、王都じゃ五万は下るまい」
「そうだな……」
男は後悔していた。
強烈な臭いから激情に駆られ、この品を買い叩いてしまったことを。彼がこの刺繍を手に入れるために支払った代価は、作品に対する冒涜以外のなにものでもなかった。なぜもっと銀貨を支払ってやれなかったのか。なぜ金子を投げつけてしまったのか……
だが、そんな彼の想いを汲めぬ仲間は、身じろぎしない彼に怪訝な目を送るだけだった。
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