10.いってきます ☆
リリィ、ハル、シール、そしてウラーヌ。初夏の陽気の中、街道を東進する四人の姿があった。シールはロバに乗っていた。そのロバを引くハルは、ザカヴァの街で衣装を新調して上機嫌だった。ブーツもベストも、胸当ても真新しい。
「いやー、金はうなるほどあるからな!うまいもんも食ったし。何万ソリタ使ったかわかんねーぜ!」
ロバの後ろを、ウラーヌとリリィが従った。リリィも綿の布服を買い直していた。黒い帯と細い腰垂れは、かつて着ていた西方の民族衣装を思わせた。半袖だったが、隻腕が目立たぬよう、袖は肘まであるものにした。その上に羽織ったケープは、おとついシールに借りたものだ。ウラーヌから譲ってもらった。薄緑を基調としたそれは白のワンピースに合い、リリィは気に入っていた。
東の地の名残を惜しむかのように、ゆったりと歩を進める四人と一頭。傍らを歩く婦人の香水、その匂いを感じながら、リリィには引っ掛かっていたことを尋ねた。
「ウラーヌ」
「何でしょうか?」
「……あなたのご先祖は力を使えたのよね。ウラーヌのお母さんはどうだったの?」
彼女は首を横に振った。
「私は母が力を使ったところを見たことがありません。そのような話も聞いたことがありません。ただ、祖母は使えたそうです。私が幼いころ亡くなったため、母に聞いただけですが」
「ウラーヌは、呪文を『フラーム』と教えられたのよね?」
「そうです」、彼女は短く答えた。本当だろうか?……リリィからそんな疑心を感じ取ったのだろう。彼女は続けた。
「私も魔導師の子孫であることには誇りを持っておりました。当然、子供心に興味も湧きます。でも、そんな私を母は叱りました。もう魔法の時代ではないと悟っていたのでしょう。だから私に、違う呪文を伝えたのだと思います」
「じゃあ、おかあさんも『エンブリーズ』で風をおこせるの?」
鞍上のシールが放った、何気ない一言―――
その一言に、場に見えぬ緊張が走った。
「やってみましょうか?」
その反応をリリィは予想していなかった。いつしかロバの歩みは止まっていた。ハルも振り向いていた。無意識にリリィはウラーヌと距離を取った。
スッ……
ウラーヌが、その豊かな胸の前で五組の指先を合わせた。曲面を形作る手のひらが、見えぬ、何か神聖なものを包み込んでいた。腰も、脚も、何気ない立ち姿に見えるがそうではない。同じ魔導の者だからわかる。この女は……力を使える!
「エンブリーズ!」
リリィは止めようとした。しかしそれより早くウラーヌは詠唱してしまった。
「……………」
一瞬だったはずだ。それがリリィには、ずいぶんと長い時間に感じられた。
総毛立った。汗が噴き出た気がして思わず首筋を撫でた。べとつく感じはなかった。
暖かな風が吹き抜けた。それは初夏の、自然の風だった。
「ふふ、私には魔法の才能はないみたいですね」
糸ほどに目を細め、ウラーヌは笑った。
……気のせいだったのか。滑稽なほど殴り打つ鼓動はまだ収まっていない。ただ、眼前の女性から感じた『気』は霧消していた。使えないそぶりをしているようにも見えない。鞍上の娘と微笑み合う姿は、どこにでもいるごく普通の女性だ。
だが、これだけは間違いない。
彼女は『本当の呪文』を知っていた。その上で、それを娘に伝えなかった。
――認識していたのだろう。魔法を使える不幸を。彼女の祖母が若くして命を落としたのも、それが原因だったのかもしれない。
幸いなことに、ハルも、そして当のシールもそれに気付いていない。リリィは思った。これで良いのだ。これで。
※
南北に連なるなだらかな丘。その頂に残る石造りの建物は、かつての関所の跡。マクベスが野心を抱く前、ここは彼の領地とその外を隔てる境界だった。
「ここらあたりにするかしらね」
リリィの目配せに、ハルは腋を支えてシールをロバから降ろした。
「この子をどうかよろしくお願いします」
「わかったわ」
ロバが何度か首をゆする。手綱を持ったハルが撫でてなだめる。
「マクベスによろしく言っておいて」
「あいさつは、もう十分と思いますけどね」
「ははは、二度と来んなって思ってるだろうよ」とハルが笑った。
「道中、どうかご無事で」
「いってきます、おかあさん」
ウラーヌがうなずく。
「乗るか?」
ハルが尋ねると、シールは首を振った。
「うううん。しばらく歩く」
緑の丘に描かれた、街道の優しい曲線。それをなぞる三人の姿が、ゆるり、ゆるりと小さくなってゆく。
ウラーヌは、その彼女らが目指す先を仰いだ。遠く、南へ続く峰が見えた。あの向こうに回り、海を目指すのだろう。
そう言えば、海ってどんなところなんだろう。ウラーヌは思った。聞けば、見渡す限り水が溜まり、その水は辛いという。塩を溶かした、果てのない湖のようなものか。そんな、自分も見たことのないものを娘は見に行く。
(大きくなったわね、シール)
視界の中で小さくなったシールが手を振る。ハルも立ち止まり、腕を上げている。リリィは振り向いただけだが、気持ちは十分に伝わった。ウラーヌは手を振り返した。
……もう、大丈夫だろう。
ウラーヌは涙を流した。どれだけしずくをこぼそうとも、あの場所からなら見えない。だから泣いてよいのだ。いくらでも。こみ上げる嗚咽も届かない。そう、大丈夫。
ウラーヌは丘を戻った。ここなら姿も見られない。彼女はしゃがんだ。そしてうずくまり……号泣した。日が傾き、涙が枯れ果てるまで。
……………
※
マクベスとの過去を清算したリリィは、風使いの少女・シールを仲間に加え、新たな旅に出発した。
目指す王都。その都が位置する中央大平原まで海路を選んだリリィは、諸候領東端の港町・クラナックを次なる目的地として歩を進めた。
(第6話に続く)
ここまでお読みいただき、大変ありがとうございました。
この第5話で、パーティーのメンバーがそろいました。失った力を取り戻すリリィの冒険が、いよいよ本格化します。
次の第6話では、第5話に引き続き、プロローグの伏線を回収します。成長してからは第3話で一回だけしか抜いていない伝家の宝刀、リリィの腰の物(?)の秘密が明らかになります。少し準備期間をいただいて、連載再開は2024/9/1の予定です。
今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします。




