8.裁きは我らにて (2) ☆
※
対峙するふたりの距離は、ものの五ルーテ。舞台の上の全ての役者が動きを止めている。
だが時は止まっていない。槍を握る男の剥き出しの右腕は、こもる力で脈動している。
「お、お前は……リリィか!?」
「おかあさん!」
「シール!?」
身を起こし、上掛けを胸元に引く婦人。真円まで開かれた眼は、リリィと並ぶ少女に釘付けになる。
「お前たち、どうやってここへ!?」
唾を飛ばして問う男に、リリィは首をかしげておどける。
「ちょっと外の衛兵たちには眠ってもらって。この子の力でバルコニーに飛び込ませてもらったわ」
その説明は、ベッドの上のふたりには伝わらないだろう。だが、今はそれを理解する時ではない。
「城内の兵を呼ぶぞ」
「できるかしら?妾のよがり声を手下に聞かせる趣味でもあって?」
リリィは細い戸口に目を遣る。彼女は知っていた。ここは身の周りの者にも秘められた場所。だからあの扉の向こうに衛兵はいない。そしてリリィが背にするバルコニーも、他の部屋にはつながっていない。有事でもない時に、外部からの闖入は想定されていないのだ。
「……………」
男――マクベスは、危急の事態を認識した。だが無論、座して死を待つような性根でもなかった。何度も死地を掻いくぐってきた。戦場でも、市井でも、この王城ででも。眼光はすでに戻り、事態を切り抜ける機会を探る。
「……どうした、その右腕は?死霊を宿したお前の力の源はどこに行った?お天道様にでも取り上げられたか?」
視線の先にある、少女の右袖。そこにはかつて自分が怖れ、彼女を放逐する原因となった強大な力の源泉があった。それが今、ない。ケープから覗く半袖が、少女の動きに合わせて空中を揺らめくのみ。だが少女の余裕は翳らない。
「ふふ、あなたが怖がるといけないから切り落としておいたわ」
「戯れ言を」
「戯れ言と思うなら……どう?この場で私と斬り結んでみる?」
リリィが左手を柄にかける。ハルも弓を握る左腕に力を込める。右手は背中の矢籠を意識する。
「安心なさい。召喚術は使えないわよ。剣の腕にはあなたも覚えがあるんでしょう?それとも、その槍の間合いで挑んでみる?」
「ふっ……」
マクベスが嗤った。その嗤いは敵対者ではなく、自らに向けられていた。
「リリィ……剣もロッドもずいぶん短くなったように見える。いい女になったな」
「裸の女をはべらせておいて言うセリフ?」
婦人が目をきょどらせる。その様子をシールが上目遣いに窺う。視線は責めるような、失望したような、表現しがたい負の感情を混ぜていた。
「あ、そうそう、近ごろずいぶん見目好いお妾にご執心だそうで」
リリィがわざとらしく戦闘態勢を解く。
「そのお妾さん……家来の将軍の未亡人と聞いたけど?」
婦人の表情が驚愕に打たれる。リリィが畳み掛ける。
「謀ったのよね。部下の美しいご婦人を手に入れるために。虚偽の情報を流して小部隊で将軍を展開させ、罠に嵌めた。待ち伏せされた将軍は敵に囲まれ討ち死に。そうしてまんまとその妻を手に入れた」
「!!……」
「……その様子だと、隣のご婦人も事情はご存じのようね」
「ほ、ほんとうなの!?おかあさん!」
「シール、お母さんは……」
ハルは横目でシールを窺う。マズい……シールの感情が爆発する!
……しかしその前に場の緊張を吹き飛ばしたのは、マクベスの哄笑だった。
「はっはっはっはっは!」
リリィが苦々し気な目を向ける。
「……その洞察力、幼いころから変わっとらんな!だがひとつだけ付け加えておこう。わしはウラーヌを寝取ったわけではないぞ。わしに愛されて、抱かれて、そしてウラーヌもわしを愛するようになった。決して手籠めにしたわけではない。そんな悪趣味なことはせん!」
リリィは婦人――すなわちシールの母・ウラーヌ=コーリンベルを見遣った。うなだれた彼女は、哀願するように絞り出した。
「許して頂戴……シール、これが大人なの……」
「……………」
シールが天井を仰いだ。その目は固く閉じられていた。ハルはいたたまれない気持ちになった。最愛の母が、誇りだった父を事実上殺した相手を愛する。幼い魂が受け入れるにはあまりに重い現実だった。止め切れない感情が両目からこぼれ落ちた。
そして―――
そんな、今にも崩れ落ちそうな少女に、リリィは悪魔の提案を囁いた。
「どうする?今あなたが望めば、瞬きが終わるまでに死体を作れる」
「……………」
「……なんなら、死体をふたつにしてもいいわよ」
「!!」
脅しではない。そんなこと、リリィは何のためらいもなくする。自分はそれを知っている。だがシールにわかるか?ハルは唇を噛んだ。だめだシール!誘惑に乗るな!そいつの中には――本物の悪魔がいる!
「……………」
シールがガクリとうなだれた。肩が落ち、張り詰めていた糸は、もう彼女を支える力を失っていた。まずい!今のシールに、悪魔に抗う力は残されていない!
――赦免か、鞭打ちか。




