2.流浪の少女 (2) ☆
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むき出しの床板。丸太を組んだだけの壁と低い天井。
その天井から提がる油灯の淡い明かりの下……村の男たちが車座になっている。上座には村の長老。白い長髪と髭、眉間に刻まれた皺が、彼の年齢と英知を物語っている。
集まった者の中に、ひときわ広い肩幅を誇る男がいる。少年の父親だった。鍛え上げられた体躯は、少年とは対照的だ。だがその表情に精気はない。いや彼だけでなく、そこにいる者全てが無言のまま、うなだれている。会合の進行役であろう男が、重い沈黙を破る。
「……今夜集まってもらったのはほかでもない。村をたびたび脅かす猪型亜人どものことだ」
チリリ、と油の焦げる音。そのまわりを、虫が一匹、飛び回っている。
「知ってのとおり、最近では森の狼型亜人たちとも手を組み、その攻撃は、たびを重ねるごとに激化している」
「……………」
「亜人たちの活発化は、何もこの東部辺境地方に限ったことではないらしい。山向こうのクレアル地方や中央大平原北方でも見られると聞く。今は我々の武力と長老方の攻撃補助魔法で何とかしのいではいるが、この様子では、いつまで持ちこたえられるかわからん」
村の北方に亜人たちを見かけるようになったのは数年前。きっかけは不明だ。雑食性の彼らは人を食することもあったが、それもこれまでは、運悪く空腹のオークに遭遇した者たちが、偶発的に犠牲になる程度だった。つまり知能の差はあれ、肉食の大型野獣と同じことだった。
それが、二、三年前から変わった。オークの群れが、組織的に村を襲うようになったのだ。始めのころは、知能の低さと結束力の弱さから、武力で簡単に撃退できた。だが彼らは回を重ねるごとに巧妙になり、また勢力を増していった。最近ではリカントロープたちと手を組み、連携して人里を襲うことまで始めた。進行役の男の問題提起に、優れた方策を提案できる者はいなかった。
「ったく、かつて我々のご先祖は竜や飛竜を召喚したと言うのに、この体たらくは……」
ひとりの男が愚痴をこぼした。長老の白いあご髭が初めて動いた。
「やむを得まい。力ある魔物を召喚できたと言っても、それは何世代も前のこと。長い年月のあいだに混血が進み、また太平の世が我々の能力を徐々に奪っていった。今では、小さな妖精すら喚べる者はおらん」
だがその長老の言葉を、ひとりの男が否定する。
「いや、いる……」
場の空気がにわかに張り詰める。
「そうだ、リリィだ!『悪の大魔導師』リリィがいるじゃないか!」
「だめだ!」
間髪入れずに声を被せたのは、少年の父親だった。
「我々は否定してきたではないか。彼女の存在と、その忌むべき力を」
「しかし今はそんなことを言っている場合じゃない!このままでは村は亜人に滅ぼされてしまうぞ!」
男の主張を、少年の父親はあくまで退けた。
「彼女がこの村にやってきた時期と、亜人たちの攻撃が激化し始めた時期とは一致する。彼女が亜人どもを呼び寄せているかも知れん」
「でもその彼女の力で奴らを撃退できれば何の問題もなかろう。なんなら聞いてみればいい。我々に協力してくれるかどうか」
「協力なんてしてくれるものか」
口髭をたくわえた大柄の男が、少年の父親に代わり返した。
「自分たちのしてきたことを思い出してみろ。彼女を拒絶し、あまつさえ、忌み嫌い、迫害してきたではないか」
リリィの助力を提案した男は孤立していた。それとも、誰も表立って彼に賛意を表すことができなかったのか。
「確かに彼女の力は強力だ。しかしだ。その力で村が救われたとして、だからどうするというのだ?今の村と彼女との関係を、このまま保てると思うか?」
「し、しかし……長老!」
男は長老にすがった。その場にいた全員の視線が白髪の老人に集まった。長老は顔を伏せたままだった。目を閉じ、何も語らなかった。男たちの輪を、再び沈黙が支配した。彼らは思い出していた。二年前の、ある光景。払っても払っても晴れぬ霧のようにまとわりつく、嫌な記憶。
……それは、全ての事象の始まりだった。
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