7.母の願い
ハルを宿場町に残し、リリィはひとり、アーチャーの村へと向かった。街道を北へ、半日ほどの行程だった。
十日あまり前、リリィはその村を過ぎていた。
その時は中まで立ち入らなかった。リリィはあらためて村の様子を窺った。灌木の中にぽつぽつと建つあばら家。痩せ細った家畜。干されたぼろ布のような洗濯物。お世辞にも豊かとはいえない。山脈の向こう側と対照的な乾いた気候は、そこに住む者に過酷な生活を強いていた。
「おや、あんたは?」
ローブ姿で立ち尽くすリリィに婦人が声を掛けた。山裾の方から降りてきたのは、リリィにミンナを与えたフレアだった。
「どうしたんだい?こんな村に用なんかあるのかい?」
冗談めかして言うフレアに、リリィは事情を話した。
「おやまあ!そりゃ本当かい?」
フレアは驚きながらもリリィを取り次いだ。そうして、リリィはハルの母と面会することができた。
ハルの母、ミルラ=フローリンシャンテの状況は想像どおりだった。掟破りを育てたとなじられ、ろくな世話も受けられず衰弱していた。ただひとり、フレアが最低限の介護をして命をつないでいた。
ミルラは、ハルとは対照的な物静かな女性だった。四肢の末端は完全に固まり、床に臥せっていた。体も痩せ細っていた。リリィが調合した薬を塗ると、石化した四肢は徐々に柔らかみを取り戻した。水を飲ませ、食事を与えた。腰や腿が衰えていたが、それでも一日で身を起こし、自力で動けるようになった。体力が戻るまで五日間、リリィはフレアと協力して世話をした。
ミルラは教養ある女性だった。事情を聞いた彼女は、娘に手紙を書きたいと言った。紙があるような村ではなかったが、リリィがキシュルで調達していたものを渡すと、動くようになった手で文字を綴り、リリィに託した。生活の糧になるよう、リリィは残りの髄液を全てミルラに譲り、村を後にした。
宿に逗留するハルの元に戻ったリリィは、母の緩解を彼女に告げた。ハルはほっとした表情だったが、同時に母と会えなかった寂しさもこみ上げてきたようだった。リリィは彼女に手紙を渡そうとしたが、彼女はそれを突き返した。
「あたいは字が読めねぇ。読んでくれ」
リリィは封を開けた。ハルは、裁きを待つ罪人のようにうなだれていた。儀式を拒否し、村を飛び出したことは叱責されても仕方ないことだった。リリィも固い表情で文字に目を走らせた。まだこわばりが残っていたのか、字は大きく、乱れていた。リリィはその乱れた文字を読み上げた。
そこに掟を破り、村と自分を捨てたハルへの非難はなかった。綴られていたのは薬への感謝と、娘の健康への気遣い。そして最後にこう書かれていた。
――もう、村に戻ってはいけません。
村は、あなたのいる場所ではありません。
あなたは外の世界を見るべきです。広い、世界を。
自分の脚で歩みなさい。
そしていつか、村で過ごした十五年間が、
ちっぽけで、取るに足らないことと思えるように。
……そうなる日が来ることを、母は祈っています。
小さな魂に、神のご加護があらんことを。
そして……さようなら、私の愛しい娘、ハルバーティカ。
ミルラ
「うっ、うっ……うわああああああん!」
ハルは号泣した。幼子のように。何度も、何度もしゃくり上げ……そんなハルの肩を、リリィは左腕だけでそっと抱いた。
※
「これからどうするの?」
ひとしきり泣かせたあと、リリィは尋ねた。
「……あたいはまだ、おめぇに報酬を払ってねぇ」
(手伝ってくれたら、あんたのしもべになる。自由に使ってくれ)
「……あたいはおめぇのしもべだ。邪魔だと思ったら去ねって命令してくれればいい。でも、少しでも使えそうなら……従わせてくれ」
「わかったわ」
リリィは理解した。ハルは、外の世界でひとりで生きていけるほど強くはないということを。彼女の母の言葉を借りれば、『自分の脚で歩む』能力はまだないのだ。リリィはハルの手を取った。
「私のしもべとして……精一杯仕えなさい」
「すまねぇ……」
自分の弱さを見抜かれていることをハルも承知していた。彼女はもう一度涙し、リリィの気持ちに感謝した。
※
東方諸候領に入ったリリィ。彼女は思いがけない形で、ひとりの少女と運命の糸を交わらせることとなった。その少女――アーチャーのハルを伴侶に、リリィはさらに東を目指した。
ザカヴァ。
諸候領の中心都市であるその街こそが、彼女の次の目的地だった。
(第5話に続く)




