7.時は穏やかに流れ…
森が冬の装いを見せるころになると、リリィの体力も次第に回復した。彼女は、炭の原木集めを手伝うようになった。左腕一本で斧を振るう怪力は、アレスを驚かせた。
リリィが原木を集めることで、アレスは炭焼きに専念できた。逆に火の番をリリィがすることもあった。
リリィは斧を振るうことに熱中した。その屈強な道具は、自分の右腕を切り落とした残忍な凶器でもあった。彼女の姿には鬼気迫るものがあった。脳裏の忌まわしい記憶を叩き割ろうとしているようでもあった。いつしか、彼女は小屋の周りの木立をあらかた薙ぎ倒していた。慣れ親しんだ自宅周辺の変わり果てた光景に、アレスは苦笑いした。
冬になり、日も短くなった。油は貴重だったが、それでもアレスは時おりランプを灯した。
この地方、冬でも水が凍るようなことは滅多になかった。毛織の衣服と毛布があれば、寒さに震えることもなく過ごすことができた。
虫の声も途絶え、風もない夜、森は静寂に包まれた。チリチリと油の燃える微かな音が静寂に浮かぶ。それほどの静けさだ。
アレスは床で胡坐をかき、狩猟用の矢を整備していた。リリィは木机の前に腰かけ、左手だけで器用に刺繍を縫っていた。片手で縫いやすいよう、アレスが木材で台を作った。上端に布を張る枠を載せていた。布や糸、針は、リリィに頼まれアレスが町で調達した。費用は、演奏できなくなったバイカヴァルを売って作った。辺境では珍しい楽器だったが、得られた金子は多くなかった。買い叩かれたんだろうとリリィは思った。
穏やかな時が流れてゆく。
森の中の深閑とした空間で、リリィは安らぎを感じていた。
リリィが今まで共に暮らした相手は、自分の母親だけだった。その母との幼い日の暮らしは、決して安穏としたものではなかった。詳しくは知らない。だが『西』の民だった母が乾いた東の地にやって来たという事実は、母の恵まれない人生を示唆していた。幼いころの記憶は、常に飢えと渇きが伴っていた。そのどれも砂埃にかすんでいた。文字どおり、砂を噛むような日々だった。
母はその生い立ちのせいか、あるいは召喚士の村で受けた暴虐のせいか、心を病んでいた。平生を乱すと娘に暴力を振るった。リリィの発する臭いを嫌悪していた。それが、自らの復讐心から来たものであるにもかかわらず。
「ワシも所帯を持っておってな」
紅色の糸を這わせながら過去に馳せていたリリィの想いを、不意なアレスの声が呼び戻した。
「子供もひとりおった。女の子じゃった。可愛かった。目に入れても痛くないほどじゃった。ただ、妻とは別れてしもうてな。娘も妻が連れて行った。ちょうどお前さんくらいの歳じゃった」
それは、アレスの自分に対する愛情と献身の種明かしなのか。そんな子供だましな種が。
「奥さんとはなぜ別れたの?」
問うとアレスはフフ、と自嘲した。
「若いころ、冬にはよくミルミレニアへ出稼ぎに行っとった。妻とはそこで出逢うた。連れて帰ってはきたが……森の暮らしが合わんかったのかのぉ」
『合わなかった』と言っても、十数年ここで共に暮らしたのだ。ほかに事情があったのかも知れぬ。だがリリィは詮索をやめた。『合わなかった』、その陳腐な言葉が最も適切に思えたからだ。
リリィは視線だけで様子を窺った。矢羽を括り付ける手元に目を落とすアレス。肩幅はがっしりしているものの、丸まった背中は寄る年波を隠せていない。そんな、どこか矮小な姿を見て彼女は思った――彼も孤独を感じていたのだ。そんな折に、思いがけなく降って湧いた自分の存在が彼の慰めになっているのなら……そんな自分も悪くない。今、自分が平穏を感じているのだとすれば、それは誰かに必要とされているという認識からくるものかもしれない。そう、その『誰か』が善人であれ、悪人であれ……




