4.待ち伏せ (1) ☆
十日後の朝、雨が止んだ。
昨日まで町を覆っていた煙霧は朝霧に姿を変え、家並みを優しく包んでいた。ベッドから身を起こしたリリィは、久しぶりの陽光に左腕を晒した。皮膚に感じる熱量は、長かった雨期の終焉を告げていた。そして同時に、彼女に出立を促していた。荷物を整え、彼女は部屋を後にした。
階下は賑わいにあふれていた。
食事処は満席。飛び交う声も、旅立ちの予感に昂ぶる。ほとんどは商人で男性だが、婦人の姿もちらほら見える。着飾った女性たちは、馬車で山脈を越えるのだろう。昼過ぎにはこの喧噪もはけ、早ければ明日の晩、入れ替わりに東方からの旅人が到着する。山脈を東に越えた次の宿場町、キシュルまで徒歩なら三日、馬なら一日半ほどだ。
カウンターの前には、携行用の保存食が山積みされていた。パン、干し肉、木の実、家畜の乳を発酵させて固めたラクティス。ミンナと呼ばれる、炊いた穀物を握って丸めたもの。リリィはいくつかを選び、宿賃と合わせて清算した。繁忙期にもかかわらず、太った中年の主は逗留していたリリィに個室を確保し続け、宿賃も据え置く便宜を図っていた。
「これも持っていきな」
身をかがめ、カウンターの下から取り出したものをリリィは受け取った。キーズと呼ばれる野鳥の干し肉だった。非常に美味だが、飼育できず、数が少ないため高価な品だ。
「ありがとう。世話になったわね」
「こっちこそ。珍しい楽器の演奏ありがとよ」
リリィは主人に頼まれ、夜に酒場となるこの場所でバイカヴァルの腕前を披露していた。彼女にとってもちょうどよい暇つぶしだった。二本の管を使うその楽器は難しく、中央大平原でも演奏者が少なかった。ましてや東部辺境ではかなりレアだ。
「気を付けて。よい山越えを」
子供たちの足が、青空を映す街道の水溜りを踏み抜く。
往来に、ひと月ぶりの賑わいが戻った。忙しなく行き交う人や荷車。並ぶ市。そして売り買いの声。マチャルテの町が、一年で最も輝く時間だ。若い娘の一人旅にも、気をとめる者はいない。
リリィは歩を進めた。ほどなく街道は町を外れ、マチャの森に飲み込まれた。高木に見下ろされた道を、東へ、東へと歩く。
昼過ぎ、前方から一騎が駆けてきた。
雨期の明け、山道ではしばしば落石やがけ崩れが発生する。そんな時、特に馬車や荷車は難渋する。馬上の者が背中に差す白い旗は、街道の通行に支障がないことを示す。昨夜から出発し、朝、峠で同じように東から登ってきた者と落ち合い、街道の状態を交換して戻ってきたのだ。旗の色が黄色なら徒歩や単騎での通行のみ可、赤なら通行不可だ。白い旗は、東進する者たちに安堵をもたらした。
日が傾くころになると、道は南に折れ、いよいよ山岳地帯に差し掛かった。商人たちは、大抵このあたりで野宿の準備をする。ここから先は山道。切り立った崖を縫う区間が多く、夜間の通行は危険だ。また大荷物を背負っていたり、荷車を引いていたりすれば、体力的にもこのあたりが限界になる。だがリリィは軽装で、徒歩の単独行だ。行程は自分の判断で決められる。星明りを頼りに、彼女は脚が上がるまで進むことにした。




