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召喚士の休日  作者: ittpg(三崎 まき)
第2話 魔封環(サーリング)
27/228

2.契約 (1) ☆

 リリィは町外れの丘の上で、枝葉を広げる巨木に身を委ねた。

 月明かりのもと、眼下にウスバロの町並みが望める。空は薄雲に覆われ、満月に近い月はにじんでいる。濃紺の夜空を東に目を遣れば、地平近くには、遠くツォイボヤン山脈の稜線が浮かぶ。しばらくはそんな夜の景色を眺めていたリリィだったが、やがて緩やかに眠りへと落ちていった。



 ※


「リリィ」


 闇の中から名を呼ぶ声が聞こえる。


「リリィ」

 彼女は顔を上げた。目は開いているはずである。だが何も見えない。気配もない。ただ、声だけがする。それもそう遠くないところから。

「聞こえるか、リリィ」

 三度(みたび)呼ばれる。前でもない。後ろでもない。かと言って頭上でも足元でもない。


「あなたはだれ?どこにいるの?」

「私が誰であるか、それはお前にとって問題ではない。ただ、私はお前の中にいる」

「わたしのなか?」

「そう。お前の、その右腕だ」


(!………)


 全くの闇であるにもかかわらず、自分の右腕だけがぼうと白く見える。その腕は短く、そして細い。十五歳の自分の腕ではない。子供のころの腕だ。そしてそこに、いつも巻いている布帯がないことに気付いた。黒ずみ、(かさ)を吹く皮膚があらわになっている。


「ここに?……」

「そうだ。私はお前が生まれる前からそこに棲んでいる」

「わたしが生まれるまえから……ずっと、いつも、ここにいるの?わたしがひとりぼっちのときも?」

「そうだ」

 その時初めて、彼女はその声に温かみを感じた。いや親しみすら覚えた。彼女は右腕に頬擦りした。幾度となく呪い、嫌悪した自分の腕を、例えようもなく愛しく感じた。


「リリィ、私と契約するのだ」

「けいやく?」

「この契約は、無論私のためである。だがそれは、同時にお前の利益ともなる」

「わたしの、りえき……」

「私と契約すれば、私は封じ込められているお前の右腕から解放される。そしてお前は、私の力を手に入れることができる」

「ちからって?」

「お前に危害を加えようとする者をことごとく粉砕する、強大な力だ」

 その契約は魅力的だった。無力さゆえ、これまで何度辛酸をなめ、苦痛を味わい、屈辱に甘んじてきたことか。『力』を手に入れれば、それもなくなるのだ。

「わたしは……どうすればいいの?」

「今から私がふたつの道を示す。お前は、自分の選ぶ方を答えればよい」

「……………」

「まず最初の選択だ」

 そして『声』は問うた。


「……(ヨーグ)か、(ヘイヅ)か?」

「……………」

 口をつぐむ。


「……わかんない」


「では契約はできぬ」

 『声』に微かな失望が浮かぶ。

「もうダメなの?けいやくできないの?」

「そんなことはない」

 『声』はなだめる。

「リリィよ、西へ向かえ」

「西へ?」

「荒野の向こう、ルグランの森に、マリーシアスという魔導師を訪ねるのだ。そこにはお前の母がいる。お前が選ぶべき道も、そこで示されるだろう」

 不意にあたりが明るくなった。どこからか光が差し込んでくる。光の量は、次第に増してくる。それに反比例して、『声』の存在感が薄れてゆく。

「よいな、リリィ、もう一度言う。西へ向かえ」

「まって!わたしをひとりぼっちにしないで!」

 ……………



 ※


「!……」

 気付いたとき、リリィは寝床で体を起こしていた。粗末な毛布を両手でつかみ、胸元に引き寄せている。その手は小さい。


「ゆめ……」

 狭く、埃っぽい石造りの小屋に、明かり窓から朝の陽光が差し込む。全身がひどくだるい。体はまだ眠りに落ちたままのようだ。ただ意識の輪郭は次第にはっきりとしてきた。それにつれ、昨夜の夢の内容も記憶の底から浮かび上がってきた。


挿絵(By みてみん)


 リリィは右腕を見た。手首から肘にかけて、いつものように布を巻いている。銀の腕輪は着けたままだ。その腕輪が、リリィに悲しい現実を思い出させた。


 ――ひと月ものあいだ家を空けていた母親は、先日ようやく帰ってきた。その腕輪を手に。だがすぐに、再び姿を消してしまった。数日が経過したが、戻ってくる気配はなかった。リリィの脳裏に、夢の中で聞いたあの声の、最後の言葉が蘇った。


『もう一度言う。西へ向かえ』……


 リリィは立ち上がった。旅の支度は簡単だった。彼女が執着しなければならないものは多くなかった。彼女は小屋を背に歩き始めた。

 ……………



 ※


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