1.酒場の来訪者 ☆
■物語の舞台
召喚士の村を去ったリリィは、東部辺境を東西に横切る街道沿いの宿場町・ウスバロに到着します。第2話は、その町の酒場からスタートします。
■登場人物
・リリィ
右腕に死霊を宿した召喚士の少女。
・マリーシアス
リリィに『力』を与えたと自称する死霊使いの男。
・ハイアライア
リリィの母。
■その他
・1ルート(複数形『ルーテ』)
距離の単位。約1.8メートル
・1カロルーテ
距離の単位。1カロルーテ=1,000ルーテ≒1.8キロメートル
・1ソータ(複数形『ソリタ』)
通貨の単位。約0.5円。ただし食料や日用品は、我々の世界より概して安価。
「おや?」
せわしなく手を動かしていた店主が、カウンターの奥で目を細める。
開いた扉が細く切り取る町の夜。その闇を背に少女が立っている。長い黒髪。くたびれたローブから覗く右手にロッドを握る少女は、熱気のこもった店内を一望する。背にはたすきに掛けた麻袋。旅姿である。連れはいないようだ。目は厳しく、それでいてどこか醒めていた。
「お嬢ちゃん、魔導師かい?最近じゃ珍しいね」
何世代も前ならともかく、今では強力な魔法を繰り出すことのできる術師はいない。現在『魔導師』の名で呼ばれる類の人間は、効果があるのかどうかはさておき、何やらありがたげな呪文や薬草の知識で病気を治したり、魔除けの儀式やはては悩み事相談まで請け負う、言わば呪術師だ。
マスターに声を掛けられ、少女は何も応えなかった。ただ鼻から小さく息を抜き、目を閉じた。その表情から先刻の威圧感は消えていた。床の木目を踏み進んだ少女はロッドをカウンターに立て、荷物を下ろした。木組みの椅子に腰かけると、右の手首で銀の腕輪がジャラリと鳴る。
「何にする?」
「キナワイン」
「キナワインね」
キナワインは、キネという植物の実を発酵させて作る酒だ。キナと呼ばれるキネのエキスは気付け薬にも使われる。疲労回復や覚醒作用が期待されるため、酔うための酒というよりは、どちらかと言うと薬酒だ。
少女が再び店内を見渡した。酒場特有の臭気。薄暗い空間に、油っぽい焼き料理の煙が充満する。ランプの淡い光の中を揺らぐそのもやの向こうでは、この町には不釣り合いなほど大勢の男たちが、騒ぎ、酒食に興じている。
「ずいぶん賑やかね」
カウンターの向こうにしゃがんでいたマスターが声だけ届ける。
「ブルーフラッグ騎馬隊の皆さんですよ」
答えを聞くまでもなく、彼女は知っていた。彼女でなくても、店の前に並ぶ馬車の列が掲げる鮮やかな青旗の波を見れば、東部辺境の者なら一目瞭然だろう。
「よっこいしょっ」
マスターが立ち上がり、苔色のビンに栓抜きを捩じ込んだ。ポンと小気味良い音と共に立ち昇る目の細かい蒸気。開栓したビンは棚にいくつも並んでいるにもかかわらず未開封の酒を振る舞うのは、歓迎の意思表示だ。彼女は口元を緩め、目を伏せて謝意を表した。マスターはグラスをふたつ用意し、その両方に黄金色の液体を注いだ。
「乾杯」
チン……
喧噪の中に響く音は、泥の中で光る砂金のように輝いていた。少女はグラスの液体を一気に喉に流し込んだ。
「いい飲みっぷりじゃねーか、嬢ちゃん!」
下卑た声が上がった。髭面の大男だ。近くで丸テーブルを囲んでいる。顔だけでなく、腕やはだけた胸まで毛むくじゃらだ。ブルーフラッグ騎馬隊のメンバーだろう。
「こっちに来て飲めよ!酒はあるぜ!」
両脇の男たちも彼に調子を合わせる。
「来い来い!」
「酌しな!」
ほかの隊員も気付いたようだ。口々に囃し立てる。
「こっちにも来いよ!」
「俺がかわいがってやるぜ!」
「裸ンなって踊りな!」
少女がゆらりと立ち上がった。伏せた顔に前髪が垂れ、また店内の仄暗さも手伝って表情はわからない。ただ、カウンターに立て掛けられていたはずのロッドが消えていた。
(まずい!……)
マスターは思った。止めなければならない。だがそれは男たちの方ではない。
「お嬢ちゃん!……」
しかし手遅れだった。少女の右腕が翻った。
「!!」
握られたロッドは、次の瞬間、板張りの床にめり込んでいた。その直前、先端がスツールの脚を砕いた。飛び散る破片と共に、座っていた長身の男が背中から落ちた。床に仰向けになり、見苦しいまでに目を白黒させていた。髭面の大男も、あんぐりと口を開け固まった。
「まだやる気ある奴いる?」
店を埋める何十人という荒くれ者たちが、借りてきた猫のようになった。誰ひとりとして、いや、そこにいた全員が束になっても、少女の迫力には抗えなかった。
そんな男たちに背を向け、彼女は席に戻った。力なく両腕を垂らしたマスターが、紡ぐ言葉を探して口を半開きにしていた。
※
「ネクロマンサー?」
マスターが聞き返した。彼は少し離れたところで、旅人風の男に飲物を渡していた。
「そう。マリーシアスという名で、数年前に東の方から流れてきたはずだけど」
この町で『東』と言えば、ツォイボヤン山脈の向こう、かつて豪族たちが割拠した、東方諸候領を指す。
「そうだね。名は知らぬが、町から北東に十カロルーテほど行った森の中に魔導師が住み着いたって話は聞いたことがある」
「それはいつごろのこと?」
「数年前さ。今でもそこに住んでいるかどうかは知らんがね。町に出てくることもないし、最近では会ったという話も聞かない。このウスバロの町で聞く魔導師と言えば、そのくらいだね」
「そう……」
彼女は明かり窓に目を遣った。月が、夜空をほのかに蒼くしていた。
「この町に宿屋はあるかしら?」
「まあ、こういう時だからねえ」
小ぢんまりとした街道上の町。ただでさえわずかなベッドは、ブルーフラッグ騎馬隊のメンバーを収容するのにも不十分だ。
「今夜も野宿か……」
少女はため息をつき、椅子から下りた。
「ごちそうさま」
そう言って腰の巾着から硬貨を取り出し、カウンターに置く。
「おいしいワインをありがとう」
「!……」
マスターは目をむいた。ランプの灯りを跳ね返す分厚いコインは、十万ソリタ金貨。家族が三月は暮らせる金額だ。
「壊した椅子と床の修理代、あとは商売の邪魔をしたお詫びに」
そして彼女は背を向け、悠然と店を出ていった。




