10.旅立ちの日 (3)
「……残念ながら、屍臭の充満する小屋にハイアライアの姿はなかった。しかし我々が睨んだとおり、彼女を攫ったのは彼だった。彼はそこにいた。そして我々に恐るべき事実を告げた。彼は彼女と交わり、その胎内に精を注ぐことによって、宿った子に力を与えたのだ、と」
エスの体がビクンと痙攣した。そんなバカな!……いやそれより、なぜ今まで気付かなかったんだ!そうだ、ネクロマンサーが力を授けたその子こそ、リリィ、あのリリィじゃないか!ならば……
「リリィと僕は、兄妹……」
「それはわからん。が、可能性はある、と言うことだ。彼はさらに我々に告げた。たび重なる凌辱で、ハイアライアは抜け殻のような人格となってしまった。だがその子――ネクロマンサーの力を宿したその子は、復讐のため、必ずお前たちの前に立ちはだかることになろう、と」
「!!………」
「我々は恐怖した。何としてでも彼女の息の根を止め、その子の生を奪い、復讐を阻止しなければならない……そんな私たちの焦りを見抜いたのか、彼は言った。『母体と共に子を殺せば、その子に宿った力はさ迷い、永遠にお前たちを苛むことになる』と。ハッタリだったかも知れぬ。だがその時、私たちにその言葉を疑う余裕はなかった。私たちはハイアライアを追い、さらに東に向かった。そして森の中で、ついに彼女を捕らえた」
そこで何が起こったのか。エスには想像することができなかった。無論、彼が想像できる範疇を超えていた。ヴォラスの口から、ついにそのおぞましい出来事が語られた。
「私たちは彼女を大木の幹に縛り付けた。母体は殺さず、その子だけを殺さなければならない……私たちは棍棒を振るい、ふたりがかりで彼女の膨らんだ腹を殴った。何度も、何度も。殴るたびに、森に絶叫がこだました」
凄惨な光景を想像し、エスは額を押さえた。
「……しかし恐るべきことに、彼女は流産しなかった。私たちは殴る力を強めた。それでも一向に子は流れなかった。まるで胎児だけが、見えない何かに護られているようだった。私たちの心を焦燥と恐怖が支配した。それを見透かしたかのように彼女は言った。『どうせ自分の肉体はネクロマンサーに切り刻まれる。殺すなら殺せ。だが死霊の力を宿した我が子は決して死なない』と。私は動転した。私と行動を共にしていた仲間も同じだった。焦った彼が、ついに最終手段を行使した。彼はやおら棍棒を投げ捨てた。そして縛られていた彼女にとり付いた。彼は……その右手を、彼女の産道にねじ込もうとしたのだ」
ヴォラスがガクリと肩を落とした。エスもめまいを覚えた。よろめいた彼は、後ろの戸板に背をぶつけた。
「悲鳴が森中に響きわたった。彼は胎児を引きずり出そうとした。彼女は自由にならぬ体をバタつかせ苦しみ悶えた。そしてその時……信じられないことが起こった」
これ以上何が信じられないと言うのか。エスは扉にもたれたまま、空ろな目をした。
「突如、彼の顔色が変わった。力を込めていた腕の動きが止まった。直後……その皮膚が、カンナで削られたようにささくれ立った。一瞬の出来事だった。彼の右腕は、血しぶきと共に破裂した。今度は彼が絶叫した。真っ赤な霧の中から、無数の白い塊が尾を引きながら飛び出した。それらは一度八方に散った後、身悶える彼に次々に突き刺さった。彼の体は右腕と同じ運命をたどった。バラバラに散った肉片を残し、白い塊も消えた。私は何が起きたのか理解できなかった。しばらくたってふと、視界の隅のハイアライアの姿が目に入った。彼女は縛られたまま、荒い息に合わせて肩を上下させていた。うなだれた顔に掛かった前髪のあいだから顔色が覗いた。驚くべきことに、彼女は笑みを浮かべていた。それを見て私は全てを理解した。彼女は苦痛の中で、自分と、自分の胎児の可能性に気付いた。そう、彼女は自分の胎児に命じて……死霊を召喚させたのだ!」
ボルシュトローヌト―――
自分が初めて森の中でリリィと出逢った時、リカントロープの群れを粉砕したあの術だ。混乱で止まりそうになる思考の中で、エスはぼんやりと考えた。もう驚くこともあるまい、そんな自分の予想は見事に裏切られた。彼は崩れ落ちるかのようにその場にしゃがみ込んだ。
「……草の上にぶちまけられた仲間の亡骸を見て、私の心には恐怖しかなかった。気付いた時、私は彼女に背を向け走っていた。死にものぐるいで逃げた。その後彼女がどうなったのかは知らぬ。人里離れた森の中に縛り付けたまま置き去りにしたのだから、当然死んだのだろう、そう思っていた……」
ヴォラスの言葉の、最後の不快な余韻がエスの耳に障った。それはもちろん、エスも知っているその後の展開を暗示していた。




