7.はるかなる王都 (2) ☆
※
「あっ、プラセボカリス」
声を上げたエスがしゃがみ込んだ。少し前を歩いていたリリィも、二、三歩戻って覗き込んだ。
「花?」
「薬草だよ。こいつの茎を煎じると、いい鎮痛剤ができるんだ。まあモルフィンほどじゃないけどね。でも森の外じゃ、そうありふれた植物じゃないよ」
エスは根元から茎を折った。
「薬草に詳しいのね」
「はは……でも、リリィもモルフィンを作ってたじゃないか」
「私の作れるのは、モルフィンのほかはほんの少し。それだけよ」
「……………」
モルフィンには恐るべき副作用がある。時には痛み止めとしてよりも、その副作用の方が積極的に利用される。彼女がモルフィンの作り方を覚えた理由があるとするなら、それは金のためだろう。原料のモルフォ草は栽培できず、自生地も、人の侵入を拒む険しい場所が多い。さらには精製にも知識と技術がいるため、高値で取り引きされる。禁制品であり、当然売買には盗賊団など非合法組織が入り込んでくる。カタギの薬師なら扱わないシロモノだ。彼女はひとりで生きるため、そうしたものにも手を出したのだろう。エスは、あらためてリリィの特殊性を認識した。
「今度、薬の作り方を教えてよ」
そんな彼の心理にも気付かぬのか、リリィが無邪気に言った。エスは表情を和らげた。
「うん。何がいい?」
「どんなのが作れるの?」
「何でも作れるよ。お腹の薬のセイロガニス、頭痛・生理痛のセデセリン、お尻の薬のボラギノン……」
肩をすくめるエスの言葉に、リリィは吹き出した。こぼれ出た笑みは、紛れもない、普通の、それでいてとびきり愛らしい少女のそれだった。エスは、プラセボカリスの茎を花柄で手折るとリリィに差し出した。幾重もの花弁からなる、手のひらほどの白い花を、リリィは自分の髪で縛って頭に留めた。
森に道らしい道などなかったが、純白の民族衣装は、そこに生まれたけもののように迷いなく進んだ。いや、「登った」と表現すべきか。彼女が選んだ進路は、ひたすら上り傾斜だった。エスは息を上げ、言葉を発する余裕を失った。やがて木々はまばらになり、露出した岩がそれにとって代わった。ついには眼前に岩肌が立ちはだかった。
「こ、これ、どうするの……?」
両手を膝に突くエス。振り返ったリリィはロッドを背に担いだ。
「登るわよ」
「えっ……」
「はあ、はあ……」
彼女はカモシカのように足場を見つけ、時には両手を岩にかけよじ登った。エスは懸命にそのあとに従った。足を滑らせれば命を失うような場所を何度も越え、登りきると、傾斜は緩やかになった。
「もう少しだから、頑張って」
「ど、どこに行くの?」
「内緒。でも素敵なところよ」
肌に熱を感じる初夏の木漏れ日とは不釣り合いに、鼻腔をくぐる空気はしんと冷えていた。相当な高所まで来たことをエスは悟った。やがて前方、木々が途絶えた。振り向いたリリィは、彼をまばゆいばかりの光の世界に招き入れた。
「着いたわ」
エスは額に手をかざし、前方に広がる光景を見遣った。
「!……」
その絶景を、なんと形容しようか。
眼下には、一面に青い山々が脈打つ。その向こう、山の青さと空の蒼さの溶け合う狭間に、ひときわ高い峰々が連なっていた。頂の雪が、精緻なレースとなって蒼穹に架かっていた。この世のものとは思えぬ、そう、エスにはその言葉しか思い浮かばなかった。まさに、この世のものとは思えぬ光景だった。
「……………」
彼は立ち尽くした。
「綺麗でしょ?」
『綺麗』、その陳腐な言葉が、彼には宝石のように輝いて聞こえた。
「マーロン山系よ」
「マーロン山系!……」
「そう。あの峰々の向こうには、王都のある中央大平原が広がってる」
「……………」
彼にとっては、まだ伝聞と想像の世界でしかない王都。それがあの山の向こうにある!……その事実に彼は震えた。そしてそれと同時に、その果てしなさも痛感した。
「あの山は……」
陽光を反射する、ひときわせり上がった峰をエスが指した。
「あれが最高峰、マーロン峰よ」
「そっか……」
その峰は、村からは見えぬ。前衛峰が、地べたに這いずる生き物の視線を遮るからだ。
「今、人が見つけた最も高い山……と言われてる」
「どれくらいあるの?」
「文献には、二千八百十ルーテと書かれていたわ」
ルーテはルートの複数形だ。一ルートは、成人男性の身長に相当する。エスはあらためて頂に目を遣り、その神秘と、偉大さと、絶対性を噛みしめた。
※




