5.告白 (1) ☆
「……………」
小屋のそばの、申し訳程度の穀物畑。しゃがんで草をむしっていたリリィは物音に顔を上げた。
下草の上から覗く、くせのあるブリュネットの髪が不安げに揺れる。現れたのは白皙の少年。気まずそうに視線を落としている。
「あの……」
彼には言いたい、いや言わなければならないことがあった。現にここに来るまで、その言葉を心中何度も反芻した。しかし彼女の顔を見た途端、彼の唇は縫い付けられてしまった。
そんな様子を、リリィはしばらく見つめていた。やがて小さく息を吐くと、体を起こしていつもの平板な口調で言った。
「チャムチャでも飲む?」
「……………」
※
エスはいつかのようにベッドの端に腰掛け、リリィの丸まった背中を見ていた。
その背中に、エスは愛着にも似た感情を抱いていた。彼は二度にわたり、その背に運ばれた。確かに臭いは強烈だった。だがその感触は柔らかく、そして温かかった。
「はい」
「あ、ありがとう」
エスはリリィから陶器のカップを受け取った。チャムチャは、植物の葉を煎じた湯に蜜を加えた飲料だ。その甘味は、エスの心をいくぶん解きほぐしてくれた。
「あ、あの……」
彼は、小屋の外で口にしたその言葉を繰り返した。
「その……ごめん」
彼が何について謝ったのか。語るまでもない。ひと月前の、あの出来事のことだ。
無論、リリィに暴行を加えたのは彼ではない。しかし彼は、父の暴挙を防げなかった。そしてそんな自分を彼女が蔑んでいることを恐れた。
リリィは、彼の精一杯の言葉に反応を示さなかった。だが、かなりの時間を経てではあったが、意外な反応を見せた。
「……脚はもう大丈夫なの?」
「えっ、う……うん」
予想外の言葉に戸惑いながら、エスはどうにか返答する。
「君の応急処置のおかげだよ」
「……………」
小屋を再び沈黙が覆った。
エスは思った。これ以上あの出来事を蒸し返してもやぶへびとなろう。リリィは誰も許してはいない。ただ、言い訳や取り繕いに無関心なのだ。彼は心中であの問題に終止符を打った。小屋の中を見回し、彼は新しい話題を探った。
「……綺麗な刺繍だね」
エスが指したのは、壁や床の上の刺繍製品だ。
「ちょっと変わった模様だけど」
それは黒か白の布の上に、原色の糸で施されていた。意匠は写実的なものではなく、彼にとっては何の情報もない幾何学模様だった。その印象を、彼は正直に『変わった』という形容詞で表した。リリィが答えた。
「リカントロープ向きだからね」
亜人相手に商売をする――
エスにとって、そのことは理解の範疇を超えていた。彼ばかりでなく、村の人間の誰にとっても、亜人は平和を脅かす魔物以外の何者でもない。
なぜ彼女が人間ではなく亜人と商売をしているのか。それは明白だった。彼女は村人との無用なトラブルを避けているのだ。そこまでは理解できた。
だが彼には、どうしても分からないことがあった。それは彼女の意図だった。東方からやって来たと言う彼女が、なぜこの村に腰を据えたのか。確かに彼女は召喚士で、ここは召喚士の村だ。同じ能力をもつ者同士――と言っても、今や『召喚術』と呼べるほどの魔術を操る村人はいないが、そんな彼らと共生したいとでも考えたのだろうか?もしそうだとしたら、その試みはお世辞にも成功しているとは言い難い。
彼女は村の女たちに罵声を浴びせられても、石を投げられても耐えた。いや『耐えた』と言うより、まるで関心がないようだった。そして自分の父親に暴行された時でさえ、報いることなく立ち去った。いったい何を企んでいるのか……彼女に好意的なエスの目にも、その腹には一物あるのではないかと疑ってしまうほど、その態度は不可解だった。
「!……」
不意にエスは、リリィが自分を凝視していることに気付いた。あまりに長く黙っていたからか。彼は表情を取り繕った。
「あ、そ……それにしても、リカントロープと取引するなんてすごいね。襲ってこないの?」
思考に入る前に浮かんでいた疑問を、彼は頭の片隅から引きずり出した。リリィはチャムチャの最後の一口を喉に送った。
「その点彼らは動物と同じだからね。一度自分の方が強いというところを見せれば、あとは逆らってきたりはしないわ」
彼女がどうやって自分の優越をリカントロープどもに示したのか。想像するのを彼は意識的にやめた。
「でも、彼らは刺繍をお金で買ってくれたりはしないよね。何と交換してるの?」
「場合によるけど……食料の蓄えが寂しいときには干し肉とか。あと、たくさん採れるところを知ってるんでしょうね。彼らは人間ほど宝石や貴金属に対して価値を抱いていないから、そう言った物と交換すれば、結構おいしい商売ができるわよ」
その時のエスにとって、彼女の答えは確かに興味の対象だった。しかし何よりもありがたかったのは、彼女が自分の質問に普通に受け答えしてくれるという事実だった。
「それにしてもすごいや。リカントロープと交流できちゃうなんて」
「……………」
「僕を助けてくれたときも何か話してたけど。あれは何語なの?リカントロープ語?」
それを聞いたリリィは、横顔に軽いあざけりを浮かべた。
「古グル語よ」
「古グル語?あの、大昔、人間と亜人が同じ言葉を話してたころの?」
「そうよ。その後、文明が発達して人間の言葉は多少複雑になったけど、亜人たちはいまだにこの言葉を使ってる。だから召喚術を使うときの呪文だって、全部古グル語よ」
彼女はテーブルに置いていた縫いかけの刺繍を取り上げた。そして皮肉っぽい笑みを少年に見せた。
「魔導士の必須知識でしょ?」
その時エスは、自らが召喚士の血を引く村の者であることを思い出し、顔を赤らめた。
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