10.木枯らしの季節 ☆
カタカタと冷えた風が窓枠を鳴らす。紙面から目を上げ、リリィが窓の向こうに物憂げな眼差しを向ける。西日がエンベロペを茜色に染めている。石組みのカンバスには、まばらな街路樹が影を映す。木々は身に残したわずかな葉を震わせ、足元を芥子色に染める。
秋の作戦を最後に、リリィ中隊には再び声がかからなくなった。ケスランは部下の糊口をしのぐため、ザヅツと掛け合い、北方の亜人対策に当たる正規軍の後方支援を請け負うようになった。
「私たちは出なくていいの?」
リリィが尋ねると、彼は「姉さんに正規軍の小間使いさせるわけにはいきませんや」と笑った。そのためリリィたちは、血生臭さとは無縁の穏やかな日々を過ごしていた。
王都の夏は暑かったが、冬も東国と比べ厳しかった。遮るものがない大平原を、北風が容赦なく吹き抜ける。エンベロペに守られた円城内でも木枯らしは舞い、窓を打つ。冷えたガラスは室内に冷気を忍び込ませる。
だがリリィは、そんな窓際で本を読むのが好きだった。記された世界の見聞。王国の、そして人類の歴史。そんな記述の切れ端に、探し求めるもののヒントがないか。彼女は貪るようにページを繰った。
風が強くなってきた。窓枠のガタつきがひどくなる。これではハルはともかく、シールは安心して眠れないだろう。リリィは布切れを窓枠の隙間に押し込んだ。静かになり、すきま風も治まった。
ちょうどその時、馬のいななきが聞こえた。ふたりが道場から帰ってきたのだ。お気に入りの時間もここまでか。リリィは読んでいたページに紐を挟んだ。ほどなくにぎやかな靴音が階段を上がってきた。扉が開くと、沈んでいた空気が攪拌された。
「戻ったぜ!」
「ただいま、リリィ!」
弓をベッドに放り投げ、ハルは矢籠を背から降ろす。シールは腰の短剣を外し、ベッドに丸いおしりを落とした。新居の部屋の大きさは、下宿のころと変わらない。窓の場所も一緒。だから三人は、ベッドの配置を住み慣れた以前と同じにしていた。
「お帰り」
リリィがふたりに向き直った。途端、シールが「うわぁ!」と歓声を上げた。
「リリィ、かわいい!」
シールが喜んだのは、リリィが眼鏡をかけていたからだ。上掛けを脱いでいたハルは、何事かとリリィを見遣ってすぐにプッと吹き出した。「失礼ね」と憮然としたリリィに、ハルは「わりぃわりぃ」と両手を振った。
「いやいやいや、似合ってるぜ。思ってたより。美少女はどんな格好してもサマになってうらやましいぜ」
眼鏡はふたりが留守にしていた昼間に買っていた。シールは「ねぇ、見せて見せて!」「あたしもかけていい?」と興味津々だった。「子供がかけると近目になるわ」と止められ、少女はぷうと頬をふくらませた。
「冷えるな。炭もらってこようか?」
上着を脱いだハルが両腕で胸を抱えた。リリィは「ええ、お願いするわ」と言いながら本を閉じた。ハルが出ていくと、彼女は立ち上がって部屋着を脱いだ。
「シール、着替えを手伝ってくれる?」
シールは「う、うん……」と返事をしてベッドから腰を上げた。彼女は衣装入れに向かい、リリィの民族衣装とローブを取り出した。その表情は沈んでいた。『着替える』とは、すなわち外出するということだ。最近こういうことが多くなった。自分たちが帰ってくると、入れ替わりに出掛ける。いや、たまたま夕刻になったから外に出るだけかもしれぬ。実際、道場やエレナの下宿で夕食を呼ばれて遅くなった日には、部屋がもぬけの殻になっていることが多かった。だが、どこか自分たちが避けられている……それはなくとも、少なくとも彼女がひとりになりたがっている、シールにはそんなように見えて仕方なかった。
シールは衣装を取って振り向いた。なんとか笑顔を繕った。でも長続きしそうになかったから、すぐにリリィの背に隠れた。リリィは自分で衣装を羽織ると、剣を提げるベルトを巻いて止めた。その上からシールが帯を締め、さらに飾り帯を巻いた。
「きつくない?」
「ええ、ちょうどいいわ。ありがとう」
その時、火鉢を抱えたハルが戻ってきた。
「えっ、出かけるのか?」
「ええ。夕食は適当にとってて頂戴」
リリィはロッドも取らず、読んでいた本を左手に抱えた。そしてハルと入れ違うように出ていった。
扉が閉まり、リリィの足音が遠ざかると、その扉に向かってハルは悪態をついた。
「なんでえ!おめぇが炭持って来いって言うから取ってきてやったのに!」
彼女は抱えていた火鉢を放り投げそうな剣幕だ。
「リリィ、なにかしらべものしてるのかな……」
シールがつぶやいた。その声にハルが反応した。眉根を寄せていたが、怒りは飲み込んでいた。
「やっぱおめぇもそう思うか?」
「えっ?」
「いやだから、『楽しく読書してます』って感じじゃないよな」
「う、うん」
「あたい、聞いたんだよ。何か調べてんのか、って。教えてくれなかったけど。それも気に入らねぇんだけど、なんかこう……『焦ってる』感じがするんだよな」
彼女はそう言った。だがシールの印象は少し違っていた。『焦っている』と言うのは、外的要因があり、それに追い立てられている状態だ。例えば時間の制約などだ。だがシールはそうではなく、内的なもの――すなわちリリィの心中の何かが彼女自身を駆り立てている、そんなように感じていた。
ただそれが何なのか。ハルにすら告げていないのなら、自分のような子供に語ってくれることなど望むべくもない。
「あーあ、腹いせに美味いもんでも食いに行くか!」
投げやりな口調のハルに、「そうだね」とシールが賛同した。最近、こうやって食べることで気持ちを紛らわせることが多い気がする。そう言えば、心なしか太ったような……シールは自分の二の腕をぷにっとつまんだ。
短編『魂の風は、ただ東から西に ~まじない師リリィの事件記録~』は読み切りですが、内容は本作の外伝になっています。時系列としては、この『10.木枯らしの季節』から『12.次なる任務』あたりのお話になります。本作と合わせて、どうかよろしくお願いします。
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