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完璧令嬢エルリーゼの秘密と人生最大の過ち



「良いお天気ね。ご機嫌いかがかしら。ミス・クレア」

「あっ。エルリーゼ様、御機嫌ようございます!」

「ふふ。元気が良さそうで何よりですわね。それでは今日も一日頑張りましょうね」

「はいっ! ……ああ、エルリーゼ様と挨拶しちゃった。感動……」



「あら。折角のタイが曲がっておりましてよ、ミスター・アルフレッド」

「エ、エルリーゼ会長!す、すみませんお目汚しを!」

「気になさらないで。ほら、こうして少し整えてあげればよいのだから」

「エルリーゼ会長は、なんてお優しい……!」




生徒会長のエルリーゼ・エルロッテは微笑を振りまき、皆の憧れの眼差しの中、悠々と学舎の中へと去っていった。



容姿端麗、文武両道、品行方正。

誰もがアッと息をのんで振り返るような麗しい容姿。

神に愛されたとしか言いようのない貴重な魔術の才能。

模範学生を絵にかいたような高貴な品性。

良家出身の可憐なお嬢様。


それが、このエルリーゼ・エルロッテの評判だった。



だが。

その評判には、一つ大きな間違いがあった。


それは、誰にも知られてはいけない重大な秘密だ。

エルリーゼは、王都の貴族が通う学園の生徒会長としてにこやかに活動する裏で、その秘密を必死に隠していた。



では、そのエルリーゼの秘密とは。


それは、実家が治安の悪い下町の小さな飲食店で、ものすごい貧乏だということだ。

大貴族のご令嬢だなんて、とんでもない。

本当のエルリーゼはこの雨漏りしまくりの家に住んでいて、それを直すお金も用意出来ないほどの貧乏だ。



では何故、貴族でもないエルリーゼが、由緒正しい家柄の秀才たちだけが集う魔術学園に入れたのか。

何故エルリーゼのような超貧乏娘が、上位貴族のステータスの一つとも言われる高貴な魔術学園で学ぶことになったのか。



それは、ひとえにエルリーゼの才能のおかげだった。


エルリーゼには強力な治癒魔法を扱う能力があった。

それをたまたま見つけた学園長が、エルリーゼをスカウトしたのだ。

家柄だけで選別される書類選考や、最難関と言われる試験をすっ飛ばした上に、タダで4年間学ばせてやろう、と。


そしてその条件は、たったの二つだけ。


一つ目は、将来王宮に尽くすと約束すること。

これについては、もちろん二つ返事で了承した。

一流の学校で学ばせてもらえる上に良い就職先まで決定したとなれば、断る理由など無いからだ。


そして二つ目は、良家のお嬢様を演じること。貧乏人だと決してバレないこと。

令嬢に偽装する為に、エルリーゼは王国最北端の名家・エルロッテ家の家名を借りることとなり、両親と5歳上の兄がいて婚約者は留学中いう設定が作られた。

ちなみに、本当のエルリーゼは両親と祖父母、それから5人の弟妹という大家族だ。



約半年ほどの学園長直伝のマナー教育を受けた後、エルリーゼは時期を待って入学した。

王国一授業料が高くて、王国最高の教育機関である魔術学園に。



知識は付けていたとはいえ、入学したてのエルリーゼは少々戸惑った。

お金持ちと、貧乏人との違いに。


この学園の生徒たちは皆、揃いも揃って超がつくほどのお金持ちだ。

彼らの朝の登校は8頭立てのユニコーンの馬車が常識だし、昼のランチは皆フルコースの料理だし、放課後は遊びに買い物三昧だ。

メイドが数百いる令息もいれば、金食い虫として有名なドラゴンを複数頭飼っている令嬢もいた。


それに比べてエルリーゼは、いつも自分の足で走りまわっている下町の貧乏娘で、昼は蒸し芋をコソコソ隠れて食べるしかなくて、放課後は両親の飲食店で5人の兄弟の面倒を見ながら深夜まで労働をしている。


だが一流の貴族である学園長から所作の手ほどきを受け、一流の学び舎で一流の教師に師事したエルリーゼはメキメキと実力をつけて、最高学年の四年生の今、生徒会長にまで上り詰めていた。


エルリーゼの学園生活は、順風満帆だった。


この学園では皆が完全に、エルリーゼは良家の完璧令嬢なのだと信じている。


エルリーゼのこの完璧な演技とたゆまぬ努力は、ひとえに貧乏を脱却して家族におなか一杯いいものをを食べさせてあげたいという強い信念によって支えられていた。


生徒会長の座を守り、このまま首席で卒業して就職して高給取りになる。

家族に楽をさせてあげられる。

その夢はあと一年で叶う。




……そう思っていたのに。

その夢はあと一年で叶うはずだったのに。







「エルちゃーん。ごめん、今ベルが泣いてて手が離せないのー!お客さん来ちゃったから対応してー」

「わかった、お母さん。 あ、こらアルフ、お姉ちゃん忙しいからエプロン引っ張らないで」


「エルちゃん、すまないが今いらっしゃったお客様対応したら、配膳も頼む」

「了解、お父さん。 あっ、ルドルフ!お姉ちゃんいつも言ってるでしょ、伝票に落書きしないの!」



スラムにほど近い、下町の小汚い飲食店。

ここが、エルリーゼの家だ。


放課後、エルリーゼはこの飲食店を営んでいる両親を手伝っている。

ここは雑多で治安が良くない場所にあるから、金持ちの貴族連中は絶対に来ない。

だから学園の生徒たちにエルリーゼの正体がバレることはない。


……そのはず、だったのだけれど。




「はいはーい。すみません、弟たちがヤンチャ盛りでお待たせしちゃって……」


エルリーゼの両親が忙しくて手が離せなかった夕食時。

やってきた客を席に案内しようと、お古のエプロンとひっつめ髪の姿のまま店内に飛び出たその時だ。



「あれ……もしかして会長?」


エルリーゼの心臓はギュッと凍るように縮まった。


(このお客さん、今、か……会長って言った?)


エルリーゼを会長と呼ぶのは、学園の生徒であるとしか考えられない。

いや、そんなまさか。

大金持ちの令息令嬢が、こんな場末の小汚い店で食事なんて。


おそるおそる客と目を合わせると。



「やっぱり会長だ」


切れ長の紫の目、艶のある灰色の髪、綺麗に整った顔立ち。

そして、すらりと背の高い体に着こなされた学園の制服が目に飛び込んできた。


この男は、容姿と奔放さで目立つ大金持ちのグループのうちの一人。

いつも女の子を侍らせている男子グループの中の一人。

品行方正なエルリーゼとは、ある意味対極な立ち位置で人気のある男。


アシュレイ・ブランドールだった。




(ひ、ひええええええええええええ!!!!!!)


学園の生徒に遭遇してしまったという事実に、エルリーゼは顔面蒼白になった。

腕の力も失って、持っていたメニューをぽとりと下に取り落とす。


「学園にいる時とは随分雰囲気が違うね。会長さん?」


アシュレイは笑顔でエルリーゼに近づいてきて、エルリーゼが取り落としたメニューを拾い上げた。

そして優雅な仕草でパンパンとメニューに付いたほこりを払う。


「ああ、会長さんなんて呼ぶべきじゃなかったね。ここではエルちゃんと呼ぶべきかな。ね、エルちゃん」



(や!やばい!!!!!)


エルリーゼの本能が叫んだ。

逃げなければ。

この場を被害最小限に収める方法はきっと、これ以上この男に生徒会長のエルリーゼとこの下町の給仕が同じだという証拠を残さないことだ。

声を出してもいけない。目を見て対話をするなどもっての他だ。


逃げなければ。


エルリーゼはくるりと踵を返して走り出した。




と、思ったのに。

逃走は失敗に終わった。


アシュレイがハシッとエルリーゼの手首を掴んだからだ。


「早く席に案内してよ、エルちゃん」


(い、い、いやあああああああああああ!!!!放してええええ!!!)


「ほら、お客様をこんなに長い時間立たせっぱなしにしておくものじゃないよね?お店の評判、悪くなっちゃうかもしれないよ?」


促されたエルリーゼは、真っ白な頭でダラダラと冷や汗を流しつつ、機械のようにアシュレイを店の隅の席に案内した。


「ど、どうぞ」


「ありがと、エルちゃん」


「で、では」


「や、まだ逃げるのはダメ。今から注文するから」


案内後に即行で厨房に逃げ帰ろうと計画していたが、アシュレイは掴んだエルリーゼの手を離してくれない。


エルリーゼは仕方なく、ヨレヨレのエプロンのポケットから注文伝票を取り出して、震える手でペンを準備した。





「……それからプリン?って庶民のデザートよろしく。 で、エルちゃんは貧乏なのに、なんで学園に来て貴族の振りしてるわけ?」


アシュレイが注文をし終わり、そして間髪を容れずに核心をついてきた。


エルリーゼはグッと息を詰まらせる。

しかし先程はパニクって真っ白になっていた脳みそも、時間を経ていくらか落ち着いてきている。


エルリーゼは、なんとかそれらしい言い訳をひねり出すことに成功した。



「ふふ、ええ、ふふ……。そうね、これは、そう。社会見学ですわ。わたくしは様々な経験をすることで様々な人の立場に立って考えることが容易になると考えておりますの」


言い切ってから恐る恐るアシュレイの反応を窺うと、アシュレイはははっと笑った。


「ここにはヤンチャ盛りの弟がたくさんいて大変なのに?」


「……ふふふ。わたくしには何のことだかさっぱりですわ」


「ルドルフくん、そこでまた伝票に落書きしてるけど?」


「えっ? あー!ルドルフ!みんなが困るから伝票に落書きだけはやめてって言ったでしょーっ!!」



バッと後ろを振り向けば、エルリーゼの二人目の弟であるルドルフがお客さんの伝票に落書きをしていた。

慌てて駆け寄ってクレヨンを取り上げてから、エルリーゼはハッと我に返った。



(……やばい。詰んだ)


取り押さえたルドルフを腕に抱き、青い顔を上げると、微笑んだアシュレイと目が合った。


もう、駄目だ。

エルリーゼは全てを悟った。


エルリーゼはきっとこれから、生徒会長の座を剥奪される。貧乏人だとこの男が言いふらすからだ。

どれだけ頑張っても認めてもらえなくなるだろう。名もなきしょぼい家の出だと皆が知ってしまうからだ。

それから皆から虐められたりするのだろう。皆を騙して裏口入学していたから。


そしてなにより、将来の道を断たれたエルリーゼは、高給取りになって家族を養うことが出来なくなる。


約束された将来が砕け散る音がした。


(い、嫌よ……それだけは……)



「……お願い」


「ん?」


「何でもするから、お願い!!」


アシュレイの席まで戻ってきたエルリーゼは、なりふり構わず頭を下げていた。


「お願いだから誰にも言わないで!私が本当は貧乏でしょぼい下町の家の娘だってこと、言わないで!無事に卒業して就職したいの!!お願い!何でもするから!!」


「……ふうん。何でも?」


「そう、私が出来ることなら、なんでも!」


エルリーゼはコクコクと頷く。

今すぐ高級ステーキを食わせろとか金銀財宝を持って来いとか、そういうのは貧乏人には無理だ。

だけど、出来ることであれば何でもやって見せる。

無事に卒業出来るのならば、なんでもする。



必死に頭を下げるエルリーゼを見て、アシュレイはニコリと笑った。


「じゃあ、何でもしてもらおうかな」





それから、エルリーゼの日常は激変した。


まず、エルリーゼは行きと帰りにアシュレイの8頭立ての馬車に引きずり込まれ、無理矢理送り迎えをされるようになった。


やめてくれと頼むけれど、「ん?エルちゃんは文句言える立場だっけ」と言われてしまえばもう為す術がない。

確かに最近下町で誘拐事件が多発しているから送り迎えは助かるのだけれど、馬車の中で正面に座っているのがエルリーゼの弱みを握ったアシュレイだから、ある意味誘拐よりも気が抜けない。



それから学園内でも、アシュレイに頻繁に呼びつけられるようになった。

渋々呼びかけに応じれば、屋上に連れていかれて昼寝に付き合わされたり、温室に呼ばれて散歩に付き合わされたりした。


両親を手伝う合間に勉強も人一倍しなくてはならないのに、こんな男と屋上でのんびりしたり温室で花を見るなんて、本当に時間の無駄だ。

そう言って拒否したいのだが、「え?エルちゃん俺に口答えしていいと思ってる?」と言われれば黙るしかない。



それに、アシュレイは所かまわずエルリーゼに話しかけてくるようになった。

男子乗馬部の部長と談笑していた時も遮られたし、男子生徒に告白されていた時も乱入してきたりした。

生徒会長として生徒たちの声も聞かなければならないのに、邪魔ばかりされる。



このような頻繁な呼び出しや送り迎えなどに加えて、遂に、無理矢理ランチも行われるようになった。



「何故、貴方とランチを戴かなくてはならないんですの?」


中庭に呼びつけられたエルリーゼは文句を言いつつ、先に来ていたアシュレイの隣に距離を開けて腰掛けた。


貧乏エルリーゼのランチは蒸した芋だから、たとえ秘密を知られていたとしても、あまり他人に見せたくはない。

膝の上に置いた小さな弁当の包みを腕で隠すようにしながら、小さくため息をついた。


「わたくし、ランチは一人で静かに食べたい派ですのに」


「そう?でもエルちゃんに拒否権はないよ。それに、俺の前ではその変な言葉遣い禁止って言ったよね」


「あら、この喋り方は変ではなくってよ。立派な上流階級の……」


「色々バラされたくはないよね?」


「…………。 でも、ここは学園だし、普通に喋ってみんなに聞かれたらバレちゃうじゃない」


エルリーゼはきょろきょろとあたりを見回した。

人影は見えないけれど、どこで誰に聞かれているか分からない。

もうこれ以上、誰かに秘密がバレるのは避けたい。


挙動不審になっていたエルリーゼを見てふっと笑ったアシュレイが、不意にエルリーゼの腕を引き寄せた。


「じゃあ誰にも聞かれないように、俺にもっと寄れば?」


「えっ?!い、嫌よ」


目の前にアシュレイの綺麗な顔が迫って来た。

エルリーゼが反射的にブルブルと頭を振ると、アシュレイは意地悪く笑う。


「じゃあ俺は構わないけどね?エルちゃんのバリバリの下町の言葉遣いが誰かに聞かれても」


「……」


そんなことを言われては、エルリーゼはアシュレイに近づく他選択肢がないではないか。


(ええい、仕方ない。極力喋らず、これ以上近寄らず、ランチをさっさと終わらせよう)


ジリジリとギリギリのところまでアシュレイに寄って、エルリーゼは膝の上に載せた蒸し芋の包みを開けようと手をかけた。


「あ、待った。エルちゃんはこれ」


「え、これ、お弁当?私に?」


「そ。エルちゃんは痩せすぎだからね」


蒸し芋の包みはひょいっと奪われて、代わりに高級そうで大きなランチボックスがエルリーゼの膝の上に置かれた。


「ほんとにいいの?」


「どーぞ」


パカリと蓋を開けて、恐る恐る中を覗き込む。

ランチボックスから想像した通り、中には色とりどりの高級料理が詰め込まれていた。


夢にしか出てこなかったような、本物の貴族のランチボックスだった。

下町の茶色い料理とは比べ物にならないその輝きに暫く見入っていると、横にいるアシュレイがははっと笑った。



「下町育ちのエルちゃんは食べ方わからない?なら俺が食べさせてあげようか」


「い、要らないわよっ。テーブルマナーだって完璧に覚えたんだから。使う機会はあまりないけど……」


ランチボックスと共に包んであった銀のスプーンをおずおずと手に取り、じっと見つめてくるアシュレイの視線を避けながら、手ごろなグラタンを掬って口に運ぶ。


(!!!!!!)


ふわっといい香りが口の中に広がって、クリーミーなそれは舌の上で溶けていった。



「こんなの、食べた事ない……」


「どう、うまい?」


アシュレイはエルリーゼの顔を覗き込んで質問してくる。

仕方がないから答えてあげようと思い、アシュレイの袖を小さく引っ張って、エルリーゼはアシュレイに顔を寄せた。


「……とってもうまいわ」


下品な言葉遣いは絶対に他の生徒に聞かれてはならないと思ったので、しっかりとアシュレイの耳元で囁いた。

これで誰かに聞かれた心配もなく安心だと思いながらアシュレイの顔を何気なく見ると、何故か彼は真っ赤だった。



「あ、あれ? えっと、顔赤いけど大丈夫?熱があるのかしら。ごめん。気づかなくて」


弟たちが良く熱を出すので、エルリーゼのポケットには魔法の携帯氷嚢が入っている。

ポケットをゴソゴソやって見つけた携帯氷嚢をアシュレイのおでこに貼ろうとすると、手で制された。


「いつもツンツンしてる癖にいきなりこんなに近づいてくるとか反則…… あー、もう見るな。しばらくあっち向いてて」


「で、でも顔が真っ赤……」


「あっち!向いてて!色々バラすよ?」


秘密をバラすと脅されては、もう何も出来ない。

エルリーゼは大人しく明後日の方を向き、アシュレイのお許しが出るまで黙々と美味しい料理を食べていたのだった。






そして明くる日。


エルリーゼはいつものようにアシュレイに屋上に呼びつけられていた。

拒否権はないので了承したが、この日のエルリーゼは大幅に約束の時間に遅れていた。

生徒会長として緊急の案件に対処していたからだ。


秘密を守ってもらうことは大事だが、その所為で生徒会長としての評判を落としてしまう訳にもいかない。

アシュレイにはなんとか平謝りで許してもらおうと考えながら、屋上の扉を開けた。



影になっている場所へ回り込むと、アシュレイがいた。

だが、いつものように憎まれ口をたたいて来るのではなくて、すうすうと寝息を立てていた。


(なーんだ。寝てるのね)


仕方がないので、アシュレイから距離を取った場所に座り込む。

エルリーゼは暫く空を見上げていたが、アシュレイが寝返りをうったので何となく彼に視線を戻した。


(あれ? 枕敷いてなかったんだわ。直接地べたに寝っ転がっちゃって、なんだか頭痛そう)


エルリーゼは仕方ないなと思いつつ、よっこらしょと立ち上がった。





「ん……寝てたのか。 エルちゃん、俺に呼ばれておいて遅刻していいと思ってるわけ?」


やがて目を覚ましたアシュレイは、起きて早々ぎゅっと眉を寄せて不機嫌そうだった。


「それについては謝るけど、生徒会長として絶対に外せない用事だったの。仕方ないじゃない」


「仕方ないで俺が済ますと思ってる?エルちゃんはさ、俺に秘密を黙っててほしいんだよね?そんな態度でいいの?」


「ひ、秘密は絶対黙っててもらわないと困るわ」


「それはエルちゃん次第だよね。ちょっとは可愛く謝ってみたらどうなの?」


「か、可愛くって……思いつかないわ」


「エルちゃんは優等生なのにそう言うの疎いよね。いや、逆にお堅い優等生様だから分からないのか」


ははは、とわざとらしく馬鹿にしたように笑いながら、アシュレイはごろりと寝返りをうった。


「てかなんか柔らかいし気持ちいいし、なんでエルちゃんが俺の事見下ろしてるわけ?この構図何? …………っ、もしかして膝枕!?」


「そうよ。でも仕方ないじゃない。貴方の頭が直接コンクリートの上にあったから、痛そうだったんだもの」


エルリーゼの膝の上でゴロリと寝返りをうっていたアシュレイは認識するや否や、バッと起き上がった。

アシュレイの顔は真っ赤だ。



「なんか顔が赤いわよ、大丈夫?寝違えたのかしら。私、弟たちにいつも膝枕してあげてるから膝枕は上手い筈なんだけど」


「や、全然寝違えてないし大丈夫だから。だから心配しないでいいから、まじまじ顔見つめるのやめて」


「ご、ごめんね?でも顔が赤いし、やっぱり寝違えてるかもしれないから……」


「だからそれは大丈夫だから。俺が色々思い出して今夜ちょっと眠れなくなるだけであとは全然大丈夫だから」


「でも、顔が赤い……」


「もう!いいから!ちょっと黙って!」


アシュレイがプイっとそっぽを向いてしまったので、エルリーゼはどうすることも出来ずに大人しくするしかなかった。


でも、その時間は別に苦痛では無かった。

こうしてアシュレイとのんびりしていても、気分が悪くならなくなってきた。

少し前まで、勉強する時間が削られるからと苛々したり、生徒会長として奉仕活動に邁進する時間が短くなるからとソワソワしていたのに。


いつの間にかエルリーゼの中で、アシュレイと過ごす、勉強も仕事もしない時間が煩わしくなくなっていたのだった。






ポカポカとした陽気の日、いつものように屋上に呼び出されたエルリーゼはアシュレイの隣で本を読んでいた。

だが、少しだけ近くに寄ってきたアシュレイに「ねえ」と呼びかけられて、顔を上げる。


「エルちゃん、週末に出かけよっか」


「えっ?私、週末は両親のお店の手伝いがあるから無理よ」


飲食店を営んでいるエルリーゼの家は週末は稼ぎ時だ。

エルリーゼは即答したが、アシュレイは気に入らないとばかりに目を細めてジワリと距離を詰めてくる。


「先週もそう言ったよね。でもさ、何でもするから秘密をばらさないでって懇願してたのはどこのどいつかな?」


「………………私です」


「そうだね。エルちゃんだ。だったら俺の言うこと聞けるよね?」



弱みを握られているエルリーゼは、やっぱり今回も頷くしかなかった。



その日のエルリーゼは、両親に週末は仕事を休みたいとお願いした。

両親の仕事を手伝わない週末なんて、初めての事だ。



そして当日。

迎えに来てくれたアシュレイに連れられて、エルリーゼは丘を二つ越えた隣町の中心街に来ていた。



街に到着してしばらくその賑やかな景色を楽しんでいると、半歩前を歩くアシュレイがエルリーゼを振り返った。


「エルちゃん、はい。手」


「手?荷物を持ってくれるの?ありがと」


アシュレイからスッと手が差し出されたので、手に持っていた鞄をかけてやる。

だが、アシュレイは途端に不機嫌な顔になった。



「……全く違う。ほんと可愛くないよね。俺はエルちゃんの手出して、って言ってるんだけど」


「私の手? はい。出したわ」


こんなところでいきなり手相でも見る気だろうか。

良く分からないまま手を差し出すと、ぎゅっと優しく繋がれた。

そして、ついでにエルリーゼの鞄を持ってくれたままアシュレイは歩き出した。



(あっ、えっ、えっと!!)


これは予想してなかった。

男性と手を繋いだことなんてないから、分からない。

アシュレイの大きな手に包まれて、長い指が絡まってくる。

熱い。


エルリーゼはなんだか堪らない気持ちになって、思わず声を上げていた。


「や、やめてよ。こんなことしたらまるで、こ、恋人みたいじゃない」


恥ずかしくなって振りほどこうとするが、振りほどけない。

藻掻くエルリーゼを見降ろして、アシュレイはくすっと笑った。


「あれあれ、でももしかしたらまんざらでもないんじゃない?エルちゃん、顔赤いよ。やらしいね」


「あ、赤くなんてないわよ!別にやらしくもないし!もう嫌!放して」


「俺は別に放していいよ?でも俺の機嫌を損ねて困るのはエルちゃんじゃない?エルちゃんが超貧乏の庶民って知ったら学園の皆はどんな顔するかな」


「それは……あ、謝るわよ。謝ればいいんでしょ、ごめんなさい」


嫌々をしながら適当に謝ると、案の定アシュレイは意地悪な顔をした。


「でもさ、謝って済ませようとするなんて浅はかじゃない?本気で俺の機嫌が取りたいなら、もっと俺の心に響くようなこと言ってみなよ。それか、褒めて機嫌を取る努力をしてみるとかさ」


アシュレイは事あるごとにエルリーゼをからかってくる。

そして、拒否できないエルリーゼの顔を見て楽しんでいる。


「……分かったわよ。じゃあ褒めてあげるわよ。えっと……貴方って顔、かっこいいわよね!」


「は、顔? エルちゃん馬鹿なの?俺はそんなの言われ慣れてるから、今更何か思う訳ないよね」


(確かに言われ慣れていそうだから何も言えないけど、その涼しい顔がムカつくわね)

ムッと睨みつけてやったけれど、アシュレイは涼しい顔のままだ。



「じゃあ、えっと、貴方って女性にモテるわよね」


「で?」


「すごいわね!」


「はいボツ」


頑張ってアイディアを絞り出して褒めてみたが、お気に召さなかったようだ。


エルリーゼはしばし考えてみたが、結局アシュレイの褒めるポイントなど他に何も思いつけなかった。


「……駄目だわ。もう思いつかないわ」


「エルちゃんそれ俺に失礼過ぎない?結局褒めたの顔だけだよね。喧嘩売ってる?」


「だって貴方は性格も悪魔みたいだし、顔くらいしか取り柄がないわ」


「エルちゃんさ、そんな悪態ばっかりついて、実は俺に秘密バラして欲しかったりする?」


「そ、そんな訳ないじゃない! えっと、貴方は性格も悪魔みたいだし顔くらいしか取り柄がないけど、見かけによらず優しいところもあって、一緒にいると何だかんだ楽しいわ。多分、男性の中では一緒にいて一番居心地が良いかも。あ、家族以外ではね。 でもほんと、それくらいしか思いつかないのよ」


「……」


何故か、アシュレイがピタリと黙った。


「どうしたの? なんだか顔が赤いわよ」


アシュレイの顔を見上げると、何やら片手で口元を押さえている。




「ちゃんと俺の機嫌取れるじゃん……」


それからアシュレイは何かボソッと呟いていたようだが、残念ながらエルリーゼは聞き取ることが出来なかった。





2人はゆっくりとウィンドウショッピングを続けていた。

時たま気になった店を覗いたりして、街の散策を楽しむ。


王都に比べたら小さな町だけれど、だからこそ学園の生徒に会う可能性は低いし、こぢんまりしているからこそ可愛らしい街だ。

エルリーゼはまだ数時間滞在しただけだけれど、既にこの街が好きになっていた。


街だけでなく、お店の一つ一つも丁寧さが感じられて好感が持てる。



こぢんまりとしているけれど壁一面にキラキラと光る小さなアクセサリーをぶら下げたアクセサリー屋さんに入った時も、感動で声を上げてしまった。


「エルちゃん、このお店気に入った?」


「ええ、すごく可愛いわ!本当に素敵なお店」


「じゃあ好きなの買ってあげる」


「え?要らないわよ。貴方に借りを作りたくないし」


隣で手を握っているアシュレイは先ほどまで微笑んでいたのに、エルリーゼが即答した瞬間に空気が張り詰めた。


「エルちゃん、何か勘違いしてるよね?エルちゃんは頭が良い筈なのに、まさか約束を忘れちゃった?」


アシュレイは、有無を言わせぬ笑顔だった。

エルリーゼはまたしても心の中で地団太を踏んだが、秘密がバラされてしまうことだけは避けなくてはならない。


「……忘れてないわ」


「じゃ、さっさと好きなの選んで」


エルリーゼがため息と共に頷くと、アシュレイは綺麗な顔でニコッと笑ったのだった。




色々悩んで、「これが一等可愛いわ」とエルリーゼが選んだのは綺麗なプリズムの小さなピアスだった。

目立ちすぎず、でも夜でもキラキラしていて可愛い。

「ふうん」と頷いたアシュレイは、最初の宣言通り、そのピアスを買ってくれた。




2人して店を出ると、アシュレイに呼び留められた。


「エルちゃん、こっち向いて」


「なによ?」


くるりと振り向けば、アシュレイの顔を両手が近づいてきた。

その大きな手によって、顔の周りにあった長いエルリーゼの髪がふわりと除けられる。


(ひ、ひゃあああ!!)


アシュレイの綺麗な顔が近い。

まつ毛が長い。

指が優しい。


やっぱり、なんだかドキドキする。

エルリーゼが戸惑っていると、アシュレイがスッと姿勢を元に戻した。



「はい、出来た。可愛い」


「……あ、あっそう」


エルリーゼの両耳には、先ほどアシュレイが買ってくれたピアスが付けられていた。

なんだか、耳たぶが熱くて少しジンジンする。


「ん?もしかしてエルちゃん、照れてる?嬉しかった?」


「て、照れてなんかないわよ!嬉しくもないし!」


アシュレイの視線から逃げるように顔を覆い、全力でそっぽを向く。


(今、私、絶対顔真っ赤になってる!なんでよ!なんでこんなに赤くなってるの。もうやだっ……)



必至に逃げるエルリーゼを捕まえて、アシュレイは少しだけ楽しそうだった。


「なんで顔隠すの。見せて」


「嫌よ!絶対嫌!」


「可愛いから見せて」


「嫌だったら嫌!もうあっち行って!」


「エルちゃん、顔見たい」


「もう、やめてってば!」



それからしばらくの攻防戦ののち、お腹がすいたと言うアシュレイに、その街で一番高級なレストランへと連れていかれた。

そこでアシュレイは色々食べさせようとたくさんの料理を注文してくれて、エルリーゼは見たことも聞いたこともないような美味しい料理をたくさん食べた。


それから日の沈んだ後の街を少し歩いて、その日は帰った。





(なんだか、とても楽しかった)

またどこかに行けたらいいな。……なんて。


エルリーゼはその夜、自らの薄いベッドの上でそんなことを考えていた。







(貰ったピアス、付けてきちゃった……。 変じゃないかな。嫌がられたり笑われたりは流石にしないわよね? ……いやいや、可愛いってまた言ってもらいたい訳では断じてないんだから!)



出掛けた日から一週間程が経った日のこと。

エルリーゼはずっと迷って迷って、ようやく貰ったピアスを学園に着けていた。

贈られたものを身に着けるなんて恥ずかしいけれど、でも贈ってもらったものだから身に着けて学園に来たいとも思った。



(多分、アシュレイにはお昼休みは会えるはず。じゃあ、ピアスが隠れちゃうから髪は耳にかけておこうかしら…… でも急にこんなことをしたら、やっぱり変かしら)


普段鏡を見ながら溜息をつくことなど無いのに、今日のエルリーゼはやっぱりおかしい。

様子のおかしい自分にハアッと呆れながら手鏡を仕舞い、エルリーゼはお手洗いを出た。




次は防衛魔術の授業だ。

そろそろ訓練場に移動しておこうか。

そんなことを考えながら廊下を歩いていた時、すぐそばの空き教室から何やら声が聞こえてきた。


「最近遊んでくれなくて寂しかったあ。他の女といたでしょ」

「まあね。でもあの子のことは遊びだよ」

「えー。でもあの子、貴方に本気っぽいのに可哀想」

「ははは。本気になる方が悪い。俺はちょっとからかっただけなのに」



(……遊び?)

何となく気になったエルリーゼは屈んで、扉の隙間からこっそり中を覗いてみた。


薄暗い空き教室の中では、二つの人影が見える。

二人とも後ろ姿しか見えないが、親密そうな雰囲気。


どうやら、逢引中のカップルのようだ。


エルリーゼは気を利かせて、そそくさと立ち去ろうとした。


が、何かが引っ掛かってハタと立ち止まった。

再び扉の前まで戻って来て、細い隙間の間から目を凝らす。


よく見れば、二つの人影のうちの一つは灰色の髪の背の高い男性で、もう一つはウェーブのかかった金髪の女性だった。


(待って。あれって……)


エルリーゼの視線は、男性の影に釘付けになる。


あの男性のすらりと背の高い体つきにも、サラサラの灰色の髪にも見覚えがある。

「可愛いよ、アイリス」と女性に囁く低めのハスキーな声にも聞き覚えがある。

あの大きな手にも見覚えがあるし、長い指の感触も知っている。


それはもう、最近は嫌というほどに。



それに気付いた瞬間、エルリーゼはその場から逃げるように走り出していた。





模範的な令嬢であるべく廊下など一度も走ったことの無いエルリーゼだったが、走って走って走って、全速力で誰もいない生徒会会長室に滑り込んだ。

バタンと扉を閉める。

ガチャリと鍵をかける。


(遊びって言ってた。それって私のことだわ。 それから、あの女の子とは本物の恋人同士みたいだった)


完全に誰にも見られることの無い場所まで逃げてきて、エルリーゼはへなへなと座り込んだ。

見上げた生徒会会長室の天井が遠く、とても無慈悲に感じる。



(でも、よく考えたらそうよね。私なんて、遊ばれてただけよね。一緒にいて楽しかったのも、可愛いって言ってくれたのも、みんなアシュレイの娯楽の一部だったのよ。生徒会長の私に凄い秘密があったから、彼はそれをちょっとからかってただけなんだ)



突然目頭が熱くなって、視界がぼやけてしまった。

ぐっと力を入れて堪えるが、すぐに溢れてきてぽたりぽたりと零れていく。



(だって、アシュレイはかっこいいし優しいし、女の子にとってもモテるのよ。たくさんの女の子と遊んでる筈なのに、なんで私だけに優しいとか思っちゃったのかしら)


アシュレイは、女性に人気の目立つ男子生徒のうちの一人だ。勿論女慣れもしているだろう。

対してエルリーゼは、高貴な令嬢を装っているものの、いつ化けの皮が剥がれるやも知れない下町の貧乏娘だ。

だから秘密がバレた貧乏娘のエルリーゼなど、アシュレイからしたらただ暇つぶしの遊び相手に過ぎなかったのだ。


(わたしは、何を勘違いしていたのかしら)



エルリーゼは両耳に着けていたピアスを外し、バシッとゴミ箱の中に投げ捨てた。

物に罪はないけれど、こうでもしなければ勘違いした愚かな自分を戒めることは出来なかった。




(あんな男……あんな酷い男を知らない間に好きになってたのは、人生最大の過ちだわ。貧乏娘が分不相応にズブズブ嵌って、あやうく将来も台無しにするところだった)






エルリーゼは暫く暗い生徒会会長室で泣いた後、スクッと立ち上がった。

そして、エルリーゼを他人の目から守ってくれていた生徒会会長室を後にする。


その顔は、先ほどまでボロボロと泣いていた面影など微塵も感じさせないものだった。






「エルちゃん、今週末も出掛けよ。今回は特別に行きたいところ聞いてあげてもいいけど、どこ行きたい?」


その日の放課後。


エルリーゼが廊下の角を曲がった踊り場のところで、するりと腕を掴まれた。

振り返ると、後ろにいた人物がエルリーゼの耳元で内緒の話をするように囁いた。


その人物は、アシュレイだった。


(昼は女の子と逢引して、放課後は私を玩具にしに来たのね。本当に、酷いやつ)


エルリーゼはぎゅっと眉根に皴を寄せて彼を一睨みすると、ゆっくりと手を振り払う。



「御機嫌よう、ミスター・アシュレイ。わたくしは貴方と違って忙しいの。貴方の遊びに付き合うような暇はもうなくってよ。それと、軽々しく名前を呼ばないでくださる?」


「は?」


「ご理解いただけました?ではわたくしはこれで」


「ちょ、待って」


素早く去ろうとするが、再びアシュレイの手がエルリーゼの手首を掴む。

振り返ったエルリーゼは努めて冷静にアシュレイを睨みつけた。


「なんでしょう。わたくしは忙しいの」


「エルちゃん、何かおかしいね。何かあった?」


「何もありませんわ。この手、離してくださいます?」


「離さない。それにそういう変な言葉遣いも俺の前ではやめろって言ったよね?もしかして約束も全部忘れた?このまま優等生の生徒会長として卒業したいんでしょ?」


「……。言いたければ、全部言いふらせばよろしくてよ。わたくし、目が覚めましたもの。卑怯な脅しにはもう屈しません。学園を追われても、もっと努力してきっと良い仕事について見せますわ。ですから、わたくしにはもう関わらないでくださいませ」


そう言い放ち、エルリーゼは容赦なく踵を返した。

取り残されたアシュレイを振り返ることはせず、階段を降りて去っていく。






「ってか、アシュレイは一体どうしたんだ?前は滅茶苦茶幸せそうにしてたのに、ここ最近はいつ見てもただの死体じゃねえか」


アシュレイが良くつるむ仲間のうちの一人、ガタイが良くて男らしい人物が部屋に入って来るなりそう言った。

彼はソファの上に転がっている、アシュレイの色をした肉塊を指さしている。


この場所は、学園の中でも特に寄付金の多い家の生徒に与えられる専用の談話室で、アシュレイたちのたまり場になっている。


その場には死体になったアシュレイの他に三人がそれぞれ寛いでいて、雑誌を広げていた灰色の髪の男がガタイのいい男の質問に答えた。


「あー、兄貴は何か、一か月くらい前に好きな子に振られて、それからずっと死んでる」


「アシュレイが?振られた?いきなり?」


「そんな驚くこともないでしょ。俺と違って兄貴は結構ヘタレだよ。拗らせてるし」


足を組み替えた灰色の髪の男は ははは、とアシュレイとよく似た声で笑った。

そして、それを補足するように隣にいた黒髪の男が口を開く。


「それに相手はずっと片思いしてた生徒会長だろ。あれは流石に高嶺の花だからな。たしか婚約者もいるって話聞いたぞ」


「あー、それ、なんか兄貴によれば、婚約者は実はいなかったらしい」


「あ、そうなんだ。 ま、いい加減元気出せよ、アシュレイ。女なら他にもいくらでもいるだろ」


「……」


黒髪の男が励ますようにアシュレイを叩いたが、アシュレイは無反応だった。

黒髪の男は、助けを求めるように灰色の髪の男の方へ向く。


「俺もそうやって兄貴に言い聞かせてはいるんだけどね。 会長って公の場では完璧なのに、自分の前でだけ素が出てて、ツンツンしてるのにからかうと照れて可愛くて、時々素直にデレる時もあってほんとに可愛いんだって。だから諦めきれないらしいよ」


灰色の髪の男が色々暴露したことに反応して、死体のアシュレイが起き上がって彼を睨みつけた。

それを見て、灰色の髪の男はハアと溜息をつく。

黒髪の男も呆れ顔だった。


「馬鹿だな、アシュレイ。女なんかとは適当に遊んどけばいいんだよ。お前みたいな一途なことしてると効率悪いんだって」


「ほんと、兄貴はよくやるよ。俺みたいにとっかえひっかえしちゃえばそんな辛くならないのに」






エルリーゼがアシュレイを避け続けて3か月は経っていた。


この日のエルリーゼは放課後に生徒会長の業務に追われていて、すっかり日が暮れてから帰路に就いた。



エルリーゼは、アシュレイとはもう全く会話をしていない。

以前は約束だの秘密だの言って何だかんだ毎日顔を突き合わせていたが、エルリーゼが全力でアシュレイを避けて、アシュレイもエルリーゼに話しかけてこなくなった。

何故かエルリーゼの秘密がバラされている様子はないが、それは今のエルリーゼにとっては些事だ。



エルリーゼは夜道をトボトボと歩く。

あの時から時間は経ったけれど、未だに足取りは重い。


学園を出て高貴な令嬢のエルリーゼではなくただの庶民のエルリーゼに戻ると、やっぱり二人で過ごした時のことを思い出してしまうのだ。

学園では気を張り詰めて毅然としてみせているけれど、一歩学園を出れば、まだ泣けてきてしまいそうだ。



「はあ……」


人気のない裏道を歩きながら溜息をついて、ずびっと鼻水を啜る。





その時だった。


月明かりに照らされていた筈の道が、急に真っ暗になった。


(な、何?!)


背後に異常を感じて、エルリーゼはバッと振り返った。

そして、驚いてひゅっと息をのむ。



エルリーゼの背後、そこにいたのは。



(っ!捕獲用ゴーレム!!)


土魔法で作られたらしい、大きなゴーレムだ。


ギシギシと音をさせながら、エルリーゼの胴を鷲掴みにしようと腕を伸ばしてくる。

エルリーゼを捕まえ、胴の部分にある扉付きの空洞に押し込めて攫おうというのだろう。


よくある人売りの手法だ。

捕獲用のゴーレムでスラムや下町の人間を攫っては売りに出す。

最近また流行り出した犯罪だ。

両親にも気を付けるようにと言われていたのに。



「このっ!」


エルリーゼは咄嗟に風魔法でゴーレムに攻撃した。

大きな音と共に、エルリーゼに掴み掛ってくるゴーレムの腕を吹き飛ばす。


しかし、あまり効果がありそうにない。

ゴーレムは腕が吹き飛ぼうが足が砕けようがすぐにそのあたりの土を取り込んで再生し、エルリーゼに向かってくる。

人間ではないので、怯む様子もない。

ズンズンと迫ってくる。


「こっちにこないでよっ!」


覆いかぶさるように襲って来たゴーレムの全身を、エルリーゼは水魔法で撃ち抜いた。

ゴーレムの体は吹き飛び、空中に散乱する。



一瞬、脅威はもう消えたかと思われた。


だけど、そんなことはなかった。

ゴーレムは水を含んだまま茶色の雨となって、エルリーゼの上に落ちてくる。



エルリーゼがハッと気が付いた時にはもう遅かった。

泥となったゴーレムはエルリーゼに降りかかり、そのまま体内に閉じ込めるように再生を始めている。


「ちょっと!離しなさいよっ!!!」


藻掻こうと試みるが、動けない。

手も動かせないから、魔術も使えない。

何も出来ずにズブズブとゴーレムに呑み込まれていく。


(た、助けて……っ!)


エルリーゼは、溺れるような底の知れない恐怖を味わっていた。










「エルちゃん!」


もう駄目だ。

そう思った時、エルリーゼを呼ぶ声が聞こえた。

そして、視界を覆っていた土が吹き飛んだ。


捕まったエルリーゼの前に現れたのはアシュレイだった。



「汚い土人形はさっさと消えろ」


首をギチギチと回しているゴーレムを射抜くように睨みつけ、アシュレイはぐっとその場に屈みこむ。

そして、その両手を地面に押し当てた。


間髪入れず、土がうごめいた。

ズズズ、と大地が動く音がする。

サラサラと砂が舞う。


気が付けばゴーレムの下に、丁度ゴーレムだけを飲み込める蟻地獄のようなものが出現していた。

アシュレイの土魔法だ。


ザザザと荒い音を立てて渦巻くそれは、あっという間にゴーレムだけを地中に引きずり込んでいく。

ゴーレムは暴れていたけれど、アシュレイの魔法はゴーレムを許さなかった。


ゴーレムが砂に引き摺り込まれて粉砕される。

完全にただの砂と化した時、道が元通りに戻り、エルリーゼはあっという間に解放された。


それからパンパンと両手を払ったアシュレイはエルリーゼを抱き起して、そのあたりに停まっていた自らの馬車に乗せてくれた。




アシュレイが来てくれてとても嬉しい半分、どうしたらいいか分からない気持ちが半分。

だけどそんなエルリーゼをよそに、アシュレイはまず怒っていた。


「下町で誘拐事件多発してるの知ってるよね。なのにどうしてエルちゃんは、夜道をぼんやり歩いてるわけ?馬車も使わず人気のない道を隙だらけの一人で歩いて帰ってたら、こんなの攫ってって言ってるようなもんでしょ」


「だって」


「だって?だってじゃないよね」


「……」


強く言われて、エルリーゼはもう黙るしかなかった。


アシュレイと仲良くなる前はいつも一人で帰ってたし、大丈夫だと思ったんだもん。

確かにアシュレイとは違って攻撃魔法を実践で使ったことなんてないけれど、私だって弱くはないもん。

というか、怖かったのになんで怒るのよ。

元々は、あんたが私をたぶらかそうとしたから悪いんでしょ。


色々言いたいと思ったけれど、エルリーゼが出来たのは、アシュレイが肩に掛けてくれたブランケットをぎゅっと握りこむことだけだった。




「……ごめん、言い過ぎた。それより怖かったよね」


黙って俯いたエルリーゼに言い過ぎたと思ったアシュレイは、冷静になって謝った。


「……怖かったわよ。すっごく」


「そうだよね。でも、もうここには怖い奴はいない。ゴーレムの魔術師も今追ってもらってる」


「……うん」


エルリーゼは小さく頷いた。


今のアシュレイは穏やかだけれど、やっぱり少し遠かった。

物理的にも、エルリーゼの反対側の一番遠い席に座っている。


まあ、アシュレイはエルリーゼを好きでも無いし、エルリーゼも酷い態度を取ったから、この距離は当然と言えば当然だ。

だけど、今は何故かそのとても遠い距離が憎らしくて、エルリーゼは小さく手を差し出した。



「あの、ちょっとの間、手、握ってくれない?震えが止まらないの」


こんなことを言うのは卑怯かなとも思ったけれど、震えが止まっていないのは真実だ。

怖い思いをしたのだから、今くらい甘えさせてくれないだろうか。



アシュレイは何も言わなかったが、ゆっくりエルリーゼの隣の席に移動してきた。

そして、ぎゅっとエルリーゼの手を握ってくれた。



しばらくの沈黙ののち、アシュレイはふうと息を吐いた。


「でもさ、よく考えたら俺、エルちゃんに『わたくしにはもう関わらないでくださいませ~』って言われてるんだけど。そんな酷い仕打ちを受けたのに、エルちゃんほっとけない俺ってほんとお人よしだよね。 今日だって、会長室の部屋の電気が遅くまで点いてたから、どうしてもエルちゃん残して帰れなかった」


ブランケットにくるまっているエルリーゼの肩に、遠慮がちな何かがのっかった。

首を少し動かして見て見れば、アシュレイがエルリーゼに縋るように寄りかかっていた。



「ねえエルちゃん。俺にもう関わらないでって、本気で言ってた?」


「本気で言ったし、思ってるわよ、今も」


「……なんで」


「だって」


少しだけ、力を入れてアシュレイの手を握り返す。

あの日に空き教室で見たことは思い出したくはないけれど、エルリーゼは思い切って告白した。



「だって私、貴方の沢山いる遊び相手のうちの一人だったんだもの」


「……は?」


「貴方、私のことは遊びだって言ってたじゃない!」


自分の口から言うと、悲しさが倍増した。

思わず涙ぐんでしまいそうになって、エルリーゼはぎゅっと唇を噛んだ。


しかし、アシュレイの反応は、思っていたものとは違っていた。


「誰が言ったって?」



まさか、言ったことさえ忘れてしまったのだろうか。

やっぱりアシュレイは、エルリーゼのことなど心底どうでもよかったらしい。


だが引き下がれないエルリーゼは涙を堪え、あの日見て聞いたことを事細かにアシュレイに教えてやった。





……


「あー。それさ、ほんとに俺だった?エルちゃん、そいつの顔ちゃんと見た?」


「えっと、見ては……いないけど、でも貴方と同じ灰色の髪で、背が高くてすらっとしてたわ!声も一緒だった!」


ハア。

横から、わざとらしい大きなため息が聞こえた。



「それ、絶対弟のユーリスだよね。ユーリスの遊び相手にアイリスっているし。 ユーリスとは双子だから確かにそっくりなところはあっても、顔見れば俺じゃないって分かった筈なのに。でもエルちゃんは碌に確認もせずに、俺に酷い言葉を浴びせて避けてたわけだ」


「え……でも、私のこと遊びだって」


「だから、俺がそんなのいつ言った? そんなの口が裂けても拷問されても言わないけど」


「えっ。そう、なの……?」


「なのにいきなり関わるなって言われて理不尽に避けられて、俺、ほんと可哀そう」


「えっと…… あの」


そういえばあの日の男性は、アシュレイより少し背が低かったような。

そういえば、声がほんの少しだけ高かったような。

そういえば、髪がちょっぴりだけ明るかったような……。


そう言われれば、そんな気がしてきた。

生徒会長ともあろうものが、生徒を見間違えるなんて。


恐る恐る隣の様子を窺うと、アシュレイはぶすっとした顔で頬杖を突き始めていた。


「あの、ごめんなさい」


「やだ」


「ごめんね」


「いや」


「本当にごめんなさい」


エルリーゼは深々と頭を下げる。

でもアシュレイは眉根に皴を寄せたまま、そっぽを向いた。


こんなに謝っているのに、アシュレイは全然取り合ってくれない。

エルリーゼは、段々とどうしようもない気持ちになってきた。

このままアシュレイが許してくれなかったらどうしよう。

やっぱりもう元には戻れないのだろうか。

自分の所為だけれど、だからこそ爆発してしまいたくなった。



「……っ、なによ!許してくれたっていいじゃない!私だってすごく辛かったんだから!私のこと遊びだったって思って凄く傷ついたんだから!それに、貴方と喋れないし、一緒にご飯も食べられないし、お昼寝も出来ないし、もう本当、貴方に会えなくて毎日死にそうだったんだから!!!」


エルリーゼがハアハアと叫び終えると、真っ赤になって驚いた顔をしたアシュレイが振り向いた。


「……エルちゃん。それ、なんか、エルちゃんが俺のこと好きって言ってるようにしか聞こえなかったんだけど」


「えっ!?!? そ、そ、そ、そんなわけないじゃない!!!」


どれだけの被害を受けたのか伝えようと思ったのだが、指摘されてみれば、確かに愛の告白に聞こえなくもないかもしれない。


いや。

いやいやいや。そんなの、恥ずかしすぎる。

無かったことにしたい。

エルリーゼは堪らなくなって、肩に掛かっていたブランケットで顔を覆い隠した。





「エルちゃん」


ブランケットで隠されて外の様子が分からないから、エルリーゼは、自分が今どのような状況にいるのか分からない。

でも、耳元で囁きが聞こえた。


背中が妙に温かい。

何故かいいにおいがする。


モゾモゾと頭だけブランケットから出すと、エルリーゼは座っているアシュレイの足の間にいた。

そして後ろから抱きつかれるような格好で、アシュレイの両手でふわっと包まれている。


(ひ、ひええええ!!!!!!)



「エルちゃん」


後ろからアシュレイが、エルリーゼの首元に顔を埋めてきた。

甘えているような、存在を確かめているような仕草だった。



「エルちゃん。俺のこと好きってちゃんと聞かせてよ」


「き、聞かせないわよ!そ、そもそも、さっきのは、ち、違うわよ!!!」


「そう?じゃあ俺はエルちゃんに嫌われてるらしいから、もう話しかけないことにするけど」


「っ……」


意地悪な顔のアシュレイに攻められて、エルリーゼは肩を震わせた。

もう、観念するしかなかった。



「えっと、その、す、好きよ、好きっ!多分貴方みたいな顔がいい貴族を好きになったことは、私のような貧乏娘にとっては人生で一番の過ちだけど、だいすきよっ!これでいいんでしょっ」


「……エルちゃん。俺もね、エルちゃんのことすごい好き」


悪戯っ子の顔をしたアシュレイが頬を寄せてきたので、エルリーゼはとうとう真っ赤になった顔を両手で覆った。






こうして。

アシュレイに弱みを握られたエルリーゼの毎日は、再び始まったのだった。


今度は身分の秘密ではなくて、惚れた弱みだけれど。











アシュレイは好きな子はいじめたい派だけど、好きな子に攻められると弱いタイプですね…!

これでもエピソードをいくつか削ったのですが、恐ろしい長さになってしまいました。すみません…

でも読んでくださった方おられましたら評価ブックマークして下さると嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ただのモラハラじゃん… 高圧的な態度とってたまに優しくするの完全にDV加害者
[気になる点] こういう話というかキャラは、常に一定の需要があるんだろうな、と思わされる。 愛してるんだからこんな奴でもいいだろう、むしろそこがいいんだという感じの。 [一言] 正直、この手の男とそれ…
[一言] 男ただのクズじゃん
感想一覧
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