転生してもただの犬
「申し訳ありませんでしたー!」
小太郎が目を覚ますと、正座をして頭を下げている女の子が見えた。
小太郎に向かってではない。腕を組んで立っている髪の長い女性に対して、小さな女の子が、正座をして頭を下げていた。いわゆる土下座である。
「あのね。あんた何しに下界にいっているのよ。変なもん拾ってきちゃだめじゃない」
黒髪に釣り目、足元まで隠れる白い着物を着ている女が言った。
「だって、神様、かわいそうだったんですよ」
小さな女の子は、土下座しながらも上目遣いで神様と呼ばれた女を見た。
「かわいそうって、あんたね。天使がえこひいきしてどうするのよ」
「うー、申し訳ありませんでした」
天使と呼ばれた女の子は再び深々と頭を下げた。女の子の背には小さな羽が生えていた。
「それで、なにがあったの」
女は腕を組み自分の二の腕を人差し指で叩いた。
「それがですね。とっても偉いわんちゃんなんです。飼い主の女の子を、居眠り運転のトラックから、かばって死んじゃったんです」
女の子は身振り手振りを交えて説明した。最後は少し悲しそうな顔をした。
「ゆりちゃん!」
犬の小太郎は四つの足で立ち上がり声を上げた。
「あら、目が覚めたのね」
神様と呼ばれた女は柔らかい笑顔を浮かべた。
「ゆりちゃんはどうなったの!」
小太郎と飼い主のゆりちゃんが散歩をしているときに、トラックが、正面から突っ込んできた。小太郎はトラックとゆりちゃんの間に入り押し出した。
「大丈夫よ。ゆりちゃんは怪我一つなく元気よ」
天使と呼ばれた女の子が答えた。
「よかった」
小太郎は、自分が死んでしまったことを認識していた。トラックにぶつかったときの痛み、たくさんの血が流れ、ゆりちゃんの声が、徐々に消えていった。もう会えないのは寂しい気がするけど、小太郎は安堵していた。
「本当に、いい子ね」
神様と呼ばれた女は困ったような顔をした。
「あれ、なんで言葉が伝わるの?」
小太郎は首をかしげた。小太郎は犬である。言葉もしゃべれないし、複雑な言葉も理解できないはずだった。にも関わらず言葉が通じていた。
「ここは天界よ。言葉は意味を成さないわ。意識で意味を伝えることができるのよ。あなたは魂だけの存在になってしまったのよ。姿形は、ぼんやり残っているけど、犬の能力に縛られないわ」
小太郎の体は、犬の形をした明るいもやのようなものでできていた。
「うーん、よくわかんないけど、おしゃべりできるってことだね」
小太郎はうれしそうにしっぽを振った。
「そうね。でも、困ったわ。どうすればいいのかしら」
「神様の力で生き返らせてあげればいいじゃないですか。それでゆりちゃんの元へ返せばいいんです」
天使と呼ばれた小さい女の子は立ち上がり、両の拳を握りしめた。
「そんなことできるわけないでしょうが! えこひいきはいけません!」
神様と呼ばれた女は、女の子のほっぺをぎゅっとつねり、持ち上げた。
「いひゃい、いひゃい、いひゃいです神様ー!」
天使は足と羽をばたつかせた。
「とはいえ、天界に連れて来てしまったものを、そのまま放置するわけにも行かないわね」
ぽいっと、神様は天使を投げ捨てた。天使は羽をぱたつかせ、宙をふらふらと飛んだ。
「じゃあ、ここで飼えばいいじゃないですか」
天使が頬を押さえながら言った。
「だめよ。天界に長くいたら神格化してしまうわ。まだ未熟な魂が、資格も得ずに神格化してしまうと何が起こるかわからないわ。形を保てなくなったり、天界に徒なす荒神になる可能性もあるのよ」
「それは困りますね」
「そうよ。だから怒っているのよ」
天使をにらみつけた。
「ひぃいい」
天使は、再び土下座した。
「元の世界に生き返らすことはできないけど、別の世界に移すことはできるわ」
「元の世界じゃだめなんですか」
「だめよ。一度消えた力を、元の世界に戻したら、その世界の法則を曲げてしまうことになるのよ。小太郎くんが死んだ世界と、小太郎くんが生き返った世界、どちらの認識が正しいのかわからなくなって、最悪世界が二つに裂けてしまうことになるのよ」
「それはやばいです」
「そうよ。やばいのよ」
「でも、別の世界に移しても同じことなんじゃないですか。別の世界の法則を曲げてしまうことになるのでは」
「まだましよ。もともと小太郎くんがいなかった世界に、小太郎くんが移っても、魂が別の世界から移動したと解釈すれば、二つに裂ける心配はないはずよ」
たぶん大丈夫と、自信なさげにつぶやいた。
「本当に、大丈夫なんですか」
「わからないわよ。私だってこんなこと初めてなんだから」
神様は天使をにらみつけた。天使は土下座しながら後ろに下がった。
「ぼく、どこか他の世界に行くの」
小太郎は神様の話をあまり理解できなかったが、元の世界に戻ると大変なことになるということは理解した。
「そうよ。勝手なことばっかり言って申し訳ないけど、別の世界に転生してもらうわ」
「なんだかよくわからないけど、それでいいよ」
小太郎はぺたんと尻をついた。
「どんな世界に行きたい?」
「うーん、僕おしゃべりしたい」
「おしゃべり?」
「今みたいな感じで、人間とおしゃべりしたい」
家で、ゆりちゃんとゆりちゃんのパパとママが楽しそうにおしゃべりしているのを小太郎は見ていた。きっと、人間とお話しできたらとっても楽しいに違いない。小太郎はそう思った。
「そんな世界あったかしら、犬と人間がおしゃべり、うーん、さすがにそんな世界はないわね」
「そう」
小太郎の耳が下を向いた。
「わかったわよ。なんとかするわ。人の言葉をしゃべれるように、体の方を作り替えれば何とかなるはずよ。脳もそのままってわけにはいかないわね。多言語機能を付け加えて、これで人間の言葉がしゃべれるようになるはずよ」
神様が手を振ると、透けていた小太郎の体がしっかりと現れた。
「えっ、ちょっと、これは」
天使は困惑した表情を浮かべた。
「時間がないわ。他の神に見つかる前に移動させるわよ」
「うん」
「幸あれ」
神は小太郎の頭をなでた。小太郎は光に包まれ消えた。
気がつくと、小太郎は小さな村の入り口にいた。土と草の匂い、人の匂いもした。
「別の世界へ移動したのかな」
小太郎は不安げにあたりの様子をうかがった。
少し歩くと、老人が外で椅子に座っていた。小太郎は匂いをかぎながら、近づいた。
「こ、こんにちわ」
おそるおそる声をかけた。ちゃんと言葉が出ているか不安だった。
老人は、しばらくぼんやり小太郎を眺めていたが、やがて立ち上がり、叫び声を上げて逃げていった。
「え」
それから、他の村人に話しかけたが芳しくなかった。怯えられたり、逃げられたり、棒を持って追っ掛けて来る大人もいた。小太郎は逃げるように村から離れた。
「はぁ、せっかく話せるようになったのに、やっぱり犬が話せるのって変なのかなぁ」
しっぽを垂らしながら歩いた。
しばらく歩くと、湖があった。小太郎は水を飲もうと、湖に顔を近づけた。違和感を感じた。舌がずいぶん短くなっていた。口もあまり大きく開けなかった。どうしたのだろうと、水面に浮かぶ自分の顔をのぞき込んだ。
茶色の毛並みにつんと上に尖った耳、濃い茶色の瞳に丸い鼻、そこまではいい。見慣れた光景だ。問題はその下、鼻から下がおかしかった。赤紫色の唇にまばらに毛が生えた肌、口の中には小さな歯しか生えておらず、鋭い牙はどこにもなかった。
人の言葉をしゃべれるように、体の方を作り替えれば何とかなるはずよ。神様が言っていた言葉思い出した。小太郎の鼻から下、胸元まで、人間のそれに変わっていた。
おしまい