一人称における本人の描写 ~私は満足そうに笑った~
一人称小説は、一人称の主である主人公の内心と、主人公が見聞きした物事の描写で物語が描かれていくものです。
目線はあくまで主人公のもの。
にもかかわらず、主人公自身の描写がハッキリしない、ふわっとしている例が散見されます。
例:主人公は満足そうに笑った。
三人称であれば、主人公の心の中をあえて書かず含みを持たせるという手法は有効な場合があるでしょう。
しかしこれが主人公自身の視点だとどうでしょうか。
例:私は満足そうに笑った。
“私”とはもちろん主人公のことです。
満足そうに、と判断するのはその表情を見た者であるはず。客観的で視覚的な表現です。なのに自分自身を見えないはずの主観視点で満足そうだと表現しています。
この場合、主人公はどうやって自分の表情を観測したのでしょうか。そもそも、満足という自身の心の内を断定できていないのでしょうか。
自身を客観的に描写するのであれば、例えば鏡を見ている場合。
例:(鏡の中の)私は満足そうに笑った。
カッコ内は文脈として受け取ってください。
こういった特定の状況であればこの表現もおかしくありません。笑わない主人公が周囲の働きかけで思わず笑ってしまった状況の表現などでしょうか。
例:私は満足そうに(と信じている表情を作り)笑った。
こちらは能動的に表情を作っている場合です。誰かをだまそうとしているシチュエーションでしょうか。
こういった特定状況でなければ、主人公目線で描かれる一人称小説において、特別含みのない文脈の中で、自身のことを客観的に推察する表現を使うのはそぐわないのではないでしょうか。
ぼかした表現を使うと、主人公が、自分が満足しているのか自覚していないのに、自分の表情が見えていて、それをおかしいと思っていない、変な奴になってしまいます。
であればどう表現したらいいのか。
今回の例であれば、
例:私は満足して笑った。
例:私はにんまりと笑みを浮かべた。
例:私はほくそ笑んだ。
例:私はうまくいったと思わず笑みがこぼれた。
例:私は頬がゆるむのを止められなかった。
例:私は満足したと周囲に示すため笑顔を作った。
といった具合でしょうか。最後のものは特殊例でしょう。二つめか四つ目が大体の状況で合うかと思います。ほくそ笑むは文化警察がやってくることもあるので異世界ものなどではお勧めしません。
例に限らず一人称で本人の描写において、“○○そうに”などの断定でない表現は文脈としておかしな印象を与えることがあると思います。
例外は演技しているなど意図的にそのように見せようとしている場合など。しかしその場合ももっと相応しい表現があるかもしれません。
もうちょっとうまい表現がないか、と思ったらweb上の類語辞典などで調べてみるのもいいかもしれません。手軽に表現の幅を広げられます。無理に難解な表現を使っておかしくなることもありますのでそこは注意が必要ですが。
個人的には一人称主人公には自身のことはしっかり理解あるいはしっかり誤解してもらい、あやふやな表現は明確に筆者の意図をもって扱うものなのではないかと思います。