そっちはどうですか、幸せですか?
──あの日の君は、とても綺麗だった。
黒い髪を肩の辺りで切り揃えて、大きな瞳はこぼれ落ちそうだった。
筋が通った、少し小さな鼻も、笑った時にできるえくぼも、全部。全部がとても綺麗だった。
僕よりもかなり小さな君。いや、あの時は僕と同じくらいの身長だったかも。止まったままの君の時間は、僕の伸びた身長と同じくらい。
僕は、そんな君のいない学校を卒業した。
◇
どんなに時を重ねても、忘れられない記憶がある。俺──真砂 幸一には、どんなものよりも大切な記憶があった。
桜の木を見ると、いつも彼女との記憶を思い出す。
おっちょこちょいで、素直じゃなくて、いつも喧嘩ばっかりしていた。
あの時は楽しかった。
パソコンのキーボードを叩くことが俺の仕事だ。
あの時の記憶は胸にしまい込んで、俺は彼女に似たキャラクターを俺の世界で動かしていく。名前は奈々。
俺とは一文字違いの主人公は、奈々と一緒に学園生活を謳歌する。甘い甘いラブストーリー。思わず乾いた笑みがこぼれる。
何を期待しているのか、乾ききった瞳から水滴がこぼれ落ちた。
泣いてなんかいない。
悲しくなんてないから、泣くわけがないんだ。
ただ、春が近づいて来たから、花粉が俺の目を痛めつけているだけ。ただ、それだけのことなんだ。
一人になると余計に思う。
俺は何をしているんだろうって。
君の髪を靡かせていたあの春風は、相も変わらず吹いている。
神秘的な桜の木は、ピンクの花弁を撒き散らし、辺り一面に桜の道を作り出している。
それなのに、俺の目は霞んで何も映しやしない。
だから俺は、春が嫌いだ。
◇
桜が舞うあの日、僕は君を見た。駅のホームで寂しそうな君の背中を、僕ははっきりと見た。
最近、君はおかしな事を聞いてきた。
──私のこと、どう思う?
君らしくない言葉だった。僕はこう答えた。
──別に、何とも。
いつもの君なら、おどけた顔で言い返してきただろうに、その日の君は悲しそうに笑っていた。
僕は走り出した。
絶対に届かない事は、世界の創造主でさえも分かっていた。
でも僕は必死で走って君に手を伸ばす。
君の細い腕を掴んで、力一杯抱きしめる。
柔軟剤の香りが僕の鼻をくすぐり、僕の頬を水滴が伝う。火が出るほど恥ずかしい。でも、僕は大きな声で叫んだ。
「僕には君が必要だ! だから、絶対に離れるな!」
君は笑っていた。そして君は言ったんだ。
──ありがとう、幸二、って。
◇
僕はパソコンを閉じた。
傍では、すやすやと眠る黒髪の女の子の姿があった。楽しい夢でも見ているのか、頬に可愛いえくぼができている。
僕は祈る。
この画面の向こうにいる幸一も、奈々とは別の優しい女の子と一緒に僕らを見ている事を。
その為に、僕はまたキーボードを叩き始めた。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
短い、とても短い作品です。ただ、書きたい事は書けたので、私は満足しています。
難しい内容だったかもしれません。