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「陛下!」
「あら、アランが来たの」
私は突然の旦那様の登場に驚き声をあげる。
「どうされたのですか?陛下。執務室にいらっしゃるはずでは」
「今日は「精霊のお菓子祭り」だからね。仕事を片付けて、そろそろライサがお菓子を持って来てくれる頃かな?と思って待っていたんだけど、全く来る気配がないからね」
「ごめんなさい!ちょっと色々あって。陛下をお待たせするなんて・・・・・」
慌てふためく私に少し意地悪気な顔をした陛下はそれからクスッと笑い
「そんなに慌てなくても事情は聞いたよ。ローズ様にも困ったものだ。それでね、その様子を偶然見たルーゼさんに君が落ち込んでいるようだから様子を見てきてほしいと頼まれたんだ。お菓子はきっと上手く手直しするはずだからその時間は作ってから、とね」
「そうでしたのね、そんなに表情に出てましたかしら。もっと気をつけなければ」
「いや、君の振る舞いは問題ないと思うよ。彼女達は昔からライサの表情の変化についてはほんの些細なものでも見逃さないからね」
愛されているね、と笑う陛下に私は少し気恥ずかしくなり、「それで」と強引に話を変える。
「わざわざこちらまで来てくださってありがとうございます。ちょうどお菓子が出来たから陛下のもとへ向かおうとしていましたの。その・・・・・、あんなことがあったのであまり格好はつかないおかしなのですが」
と、私はちょうどカートに載せたところだったトライフルを示す。
「あれは・・・・・トライフルだね!なるほど、崩れたケーキの再利用というわけだね。さすがライサだ」
「褒められる程のものではありませんわ。今日は流石にケーキを焼き直す時間はなかったのでこんな風にさせていただきました。陛下に贈ろうと思っていたケーキはまた後日作りますわ」
「トライフルも充分美味しそうだよ。勿論そのケーキも楽しみにしているね。それにしても崩れたケーキで作ったトライフルって懐かしいね。ライサが子供の頃にもそんなことがなかったっけ?」
「陛下もオロンジュと同じことをおっしゃられますのね。私がケーキをひっくり返したのは本当に幼い頃ですわ。それに今回は不可抗力で」
そう抗議する私に陛下は「まあまあ、落ち着いて」と笑い肩を抱いてくる。
ここにはオロンジュ以外いないから、素直にそうされていると、陛下は満足げに腕に力を込め、話を続ける。
「勿論今日はライサのせいじゃないのは知っているよ。ただなんとなく懐かしくなってね。あの頃はライサもうんと小さかったからひっくり返ったケーキのそばで大泣きしていて、義母上が慰めても泣き止まなかった。あの頃のライサも可愛かったね」
本当に子供の頃の話を懐かしげにする陛下に私はボンッと顔を赤くする。
「時間通りに行ってみたらライサは全然来ないし、で、厨房に行ってみたら大泣きしているしでびっくりしたよ。結局そのケーキを使って一緒にトライフルを作ったんだよね」
「陛下と一緒にですか!」
「やっぱり覚えてなかった?このトライフルのレシピは私が母上に教えてもらったものだよ」
と、そこで急に思いでが蘇る。そうだ、小さな手でケーキの入った箱を運ぼうとして落っことし大泣きする私のもとに現れた陛下が「じゃあ一緒にこのケーキを修理しょうか」と言ってトライフルを作ったのだ。
当時はふたりとも幼かったからカスタードを作った覚えもないし、見た目も結局そこまできれいにはならなかったはず、でも
「いえ、思い出しましたわ。あの時も陛下はわざわざ私のところまで来てくださったのでしたね」
「勿論、ほとんど泣かないライサを泣き止ませるのは私の役目だって決めていたからね」
私のどこを気に入ってくださたのか、幼い頃に婚約して以来一途に愛情を注ぎ続けてくださる陛下の言葉に頬を染めつつ、陛下の瞳を見つめる。
陛下もまた私の瞳を見つめて、そっと顎を掬い、その仕草に更に赤くなりつつも、
(誰もいないし、今日は精霊のお菓子祭りだし)
と、瞳を閉じる。とその時、ガチャリ、とドアが開く音がして、私はとっさに陛下から離れる。
まあ、私の私室にノックもなしに入るのが誰かなんてだいたい分かる。
「こら、ベル、レオン!お母様の部屋でも入るときにはノックをしなさいとあれ程」
「あら、ベルとレオンも来てくれたのね。でもノックはしないと駄目よ」
「ごめんなさい、お母様、お兄様」
声を合わせるの長女ベルと次男レオン。そしてその後ろには彼らを追いかけてきたらしい長男ロイドが大人びた表情で彼らを見下ろしている。
「ロイドも戻ってきてくれたのね。何だったらお菓子祭りのお菓子は宿舎に贈っても良かったのに」
「せっかくのお菓子祭りですから、みんなで食べたい、と思いまして。父上も母上もご健勝で何よりです」
そう、折り目正しく礼をとるロイドだが、目が合うと、「で、何をしていたんですか二人で」という呆れた目線が飛んでくる。幼い二人はともかくロイドには陛下と何をしようとしていたかなど丸わかりだろう。
「思っていたよりも早かったな。上手く行ったか?」
「えぇ、勿論ですよ。使用人たちも精霊たちも協力してくれましたし、あっという間でした。あまり強くは出れませんでしたが」
「なら良い。まああまり強く刺激したい国でもないしな。彼女をどうにかしてくれたらそれで良いよ」
一方陛下は何事もなかったかのようにロイドと話している。その様子に自分だけワタワタしているようで一層恥ずかしくなった私は、お菓子の準備をすることにする。
「さぁ、みんな揃ったことだしお茶にしましょうか。ロイドもそう長居は出来ないのでしょう?」
「そうだね、ではお茶は私が準備しよう」
「陛下にそんなことしていただくわけには行きませんわ」
「では僕がします。これでも学園で友人達には褒められているのですよ」
「親しい人の前以外では使用人の仕事を取ってはいけませんからね。自分の立場を忘れないように」
「心得ます」
私に似たのか、世話焼きの性分があるロイドに一言言いつつ、お茶は彼に任せることにする。それにしても王子が自らお茶を入れるなんて周りは恐縮ものなんじゃないかしら。まあ、王太子の婚約者なのに周りの世話を焼いて回ってた私の言えたことじゃないし、私の知る限りロイドも友人達と良い関係を築いているようだから良いけど。
私はトライフルの準備をしようか、と戻るとベルとレオンはふわふわと飛ぶオロンジュを目で追っている。子どもたちが見ていないすきに気になっていたことを聞いてしまおうと私はトライフルのグラスを一旦テーブルへ置き陛下のもとへ向かった。
「ところで陛下?」
「何だい?ライサ」
「えっと、そのローズ王女にお聞きしたのですが・・・・・彼女に手作りのケーキを貰ったのですか?」
まるで浮気を疑うような言葉になってしまい最後は尻窄みになる。決して陛下の気持ちを疑うわけではないのに、どうしても気になっていたのだった。
「もらった、というか、突然押しかけられて贈られたっていうかんじかな?勿論丁重にお断りしたよ。手作りのお菓子はライサと子どもたち以外からはもらわないって決めているし」
「そんな、良かったのですか?」
「理由も丁寧に説明したし彼女もきっとわかってくれるさ。それにきっとあれはローズ王女自身の手作りではないよ」
「そうなのですか?」
「お菓子を手作りする王族なんて世界広しといえどそうはいないと思うけど」
その言葉に私はハッとする。普通は王族が厨房に入るなんて、と止められる方が普通で、ここフェンジェルベルが変わっているのだ。そんなことにも気づかないんて私も相当焦っていたらしい。そんな私に笑みを深めた陛下は更に追い打ちをかける
「ねぇライサ?焼いてくれたの?」
焼いた?ケーキを?ではなく陛下が言うのは嫉妬したという意味だろう。そうかも知れない。今日陛下にお菓子を上げる人は数あれど、手作りをもらってもらえるのは私だけ。それが崩れたことに想像以上に焦っていたのかもしれない。
「えっと、それは」
言葉に詰まる私に
「私は焼いているよ。ライサのお菓子を食べることが出来るすべての人や精霊に。本当は独り占めしたいぐらいだ」
みんながライサのお菓子が大好きなのは知っているからそんなことはしないけどね、と陛下は笑いつつそっと腰を抱く。
突然湧いてきた甘い空気に押されて私も陛下の瞳を見つめると
「お茶の準備が出来ましたよ!」
そう言ってこちらを見るのはロイドだ。またしても僕達がいるんですけど、とでもいいたげな顔だ。
慌てて陛下から離れた私はトライフルを取り分ける。
せっかくきれいに盛り付けたトライフルを崩すのはもったいない気もするけどここは潔くスプーンを入れ更に取り分けていく。オロンジュには専用の小さなお皿に取り分けて上げてお茶の用意もできれば素朴だけど家族で楽しむお茶会の始まりだ。
「さ、じゃあみんないただきましょうか。陛下とロイドとベルとレオンとオロンジュとそれからフェンジェルベルに精霊たちのご加護がありますように」
「精霊たちのご加護がありますように」
「お任せを」
陛下と子どもたちの声に、その精霊であるオロンジュが答え、その光景を私は微笑ましく見る。
そういえばお菓子祭りにはもう一つ言い伝えがあったわね。
家族でお菓子を楽しめば、その年一年は幸福に過ごせる。なんでもない時間だけどみんなで美味しいお菓子を食べるその一時が何よりも幸せ。そんな時間をかみしめて私もスプーンを手に取った。