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いやね私、この歳になってケーキを駄目にして泣くなんて子供みたい。思っていたよりも私は今日の行事を楽しみにしていたらしい。そのことに自分でも驚いていると、
「ライサ、大丈夫?」
そうそばから小さくて可愛らしい声が聞こえてくる。私のことをライサ、と呼ぶ人は数人しかいない。そしてこの小さな声からも誰が声をかけてくれたのは一目瞭然だった。
「オロンジュ?心配して出てきてくれたの?」
「そうよ。あと甘い匂いがしたから」
なんとも正直な言葉に私は思わずクスリと笑みをこぼす。私の隣でふわふわと飛ぶ手のひらくらいの白く光る少女。もちろん彼女は人間ではない。
フェンジェルベルは精霊に愛される国。他国ではその存在も半信半疑、という人が多いが、私は精霊が実在していることを知っている。この小さな少女も精霊の一人だからだ。
もっともわたしもオロンジュ以外の精霊を見たことはないのだが、彼女は私が物心ついたときからずっとそばにいてくれている。ちなみにオロンジュいうのは私が幼い頃につけた名前。由来は果物ではなく白く小さくて可憐な姿が花に似ていることからつけた。オロンジュ自身も気に入ってくれているらしい。
そんな彼女は実は今日の主役、お菓子の精霊だ。今も崩れてしまったとはいえ良い香りを漂わせているケーキに興味津津といった様子で周囲を飛んでいる。
「確かに崩れたてしまったとはいえ食べないともったいないわよね。失敗作でも良ければオロンジュも少し食べる?」
「良いの?これはアランのためのケーキでしょう?」
「そうだけど、ここまで崩れてしまってはプレゼントには出来ないわ。陛下には事情を話して別の日にもう一度お菓子を焼き直すわ」
「そうなの。じゃあ遠慮なくいただくわね。それにしてもローズだったっけ?あの子もひどいものね」
精霊にとっては国も身分も関係ない。ローズ王女へも遠慮がない言葉に苦笑しつつ、一応彼女をかばっておく。
「そんな事言わないで。彼女だってわざとじゃないわ。誰も怪我しなかったことが一番よ」
「もう!ライサは優しすぎよ。それが良いところだとも思うけどね」
どこからか体にあったサイズのフォークを取り出しつつ怒りは収まらない様子だ。もっともそんな怒りも一口ケーキを口にするとどこかに行ったようだ。ちょこんと座って口をモゴモゴとさせている様は可愛らしい。
と、そこでオロンジュが懐かしげに言う。
「に、してもこうして失敗したケーキを食べるのなんて久しぶりね。昔は多かったけど」
「もう!いつの話よ、オロンジュ。それに今回のは不可抗力だわ」
「もちろんわかっているわよライサ。でも懐かしいな、と思って。確かこんなふうにデコレーションケーキをひっくり返したこともあったわね。あの時もライサは泣いていてて・・・・・でもあの時はそのケーキを使ってなにか作ったんだっけ?」
「崩れたケーキで?」
「そうよ。なにかは覚えてないけど、さあ、食べようと思ったところでケーキを取り上げられたのは覚えているわ」
どんなお菓子になったんだっけ、と訝しげにするオロンジュに私はハッとする。
「そうだわ!トライフルだわ」
思わず大きな声を出した私に、オロンジュはびっくりしたのか飛び上がる。
「ごめんねオロンジュ。でもあなたのおかげでこのケーキの良い利用法が思いついたわ」
「なにか別のお菓子にするの?」
「そうよ、トライフルにするの。これなら崩れたケーキを使えるし、見た目も豪華な品にできるわ。オロンジュの力も貸してくれる?」
「もちろんよ、ライサと美味しいお菓子のためなら」
現金なオロンジュにクスリと笑いつつ、早速作り始めることにする。オーブンは使わないとはいえ、そんなにのんびりしている時間もない。
トライフルは、グラスに崩したスポンジケーキとカスタードを重ねてホイップクリームや果物を飾ったケーキだ。スポンジにたっぷりとシェリーやブランデーを染み込ませれば大人向きのデザートになるし、果汁を染み込ませても美味しい。勿論一からスポンジを焼いても良いけどスポンジの切れ端でも作れてしまう。
これがライセル王国から入ってきたお菓子というのが因果を感じるわね。「トライフル」とはあの国の言葉で「なんでもないもの」という意味。どこにでもある材料で作れるからそんな名前になったらしいけど、そんな名前と裏腹にとっても美味しくて、見た目もスポンジとカスタード、それにクリームの三層が素敵なお菓子だ。
まずは要になるカスタードづくり。
卵を割って卵白と卵黄に分けたら、卵黄に砂糖を入れてよくすり混ぜる。卵白は別の容器で取っておいて今度メレンゲにでもしましょう。
しっかりと混ざったら、お鍋に牛乳とクリームを入れて沸騰する直前まで加熱する。ふつふつとしだしたら先程の卵黄液をあわせる。さらに何回かに分けて小麦粉を入れて混ぜる。木べらを持つ手が重くなり始めたらここからは時間との勝負。小麦粉が分離しないよう手早く混ぜ合わせてクリーム状になったら卵の優しい香りがするカスタードの完成。ふんわりと漂う香りを楽しみつつバットにクリームを移す。
「じゃあオロンジュ、早速このカスタードを冷ましてくれる?」
「お任せあれ」
オロンジュがバットに近づきパチンと指を鳴らすと、柔らかい黄色のカスタードが入った鍋の周りが白い靄に包まれ、少しずつ涼しい風を感じる。
お菓子の精霊であるオロンジュが得意とするのは温度を操る魔法。それも繊細な調節もお手の物らしく、手早く、それも風味も損なわずに温めたり、冷やしたりすることができる。今日作ったケーキもそんな彼女の手伝いがあったからこそ、すぐに盛り付けに移れたのだ。
急に温度が下がりすぎないよう、魔力を調整するのは難しいらしく、バットの周りをせわしなく飛び回りつつ、魔法を調整しているらしい、オロンジュはいつもののほほんとしたものとは違う真剣な様子で鍋を見つめる。そんなオロンジュも可愛いと思いながら彼女の様子を見る。
「よし、出来たわ。このくらいで良い?」
こちらのほうへ飛んでくるオロンジュ。スプーンで一匙救って食べてみると、先程まで熱々だったのが嘘のように冷めている。オロンジュにも一匙食べさせてあげると、
「やっぱりライサの作るカスタードはとっても美味しいわ」とご満悦の様子。
二人で味見したあとはもう盛り付けるだけだ。
崩れてしまったケーキはカスタードを冷ましている間にスポンジとクリーム、それに飾りの部分に分けている。
まずはスポンジを軽く崩してグラスに敷いたら果汁を染み込ませる。子どもたちも食べるからお酒はなし。スポンジをスプーンで軽くならしたら次はカスタード、そしてクリームこれを何層か作ったら、一番上にきれいにクレームを塗り果物を飾る。ついでに飾りにしていたクッキーやチョコレートのかけらも飾ったらとても華やかな見た目になった。
「とってもきれいね、ライサ。昔作ってくれたのもこんなのだったと思うわ」
「えぇ、前に、と言っても本当に子供の頃よ。ケーキをひっくり返した時もこんな風にしたの。きっとお母様に教えてもらったのね。さぁ、きっと陛下も心配されているだろうし、さっそくお茶にしましょうか」
「そうね、私も早く食べたいわ!」
陛下に上げるプレゼントに失敗作というのもどうかと思うからまた別に作るとして、とにかく精霊のお菓子祭りに一緒にお菓子を食べる、という目的は達成できそうなことにホッとした私はアンリを呼んで陛下のもとへトライフルを持っていくことにする。流石に箱に入れていくわけにいかないこのお菓子はカートで運ぶしかない。
と、思っていたのだが、呼び鈴で呼んだアンリは予想外な人物を取り次いだ。