落。
砂利道かと見間違う程にぐちゃぐちゃのボロボロになった石畳を避けて、酷く乾いた土の上を歩く。
現在オレ達は、目覚めた建物から離れるべく移動していた。向かう先はオレと奏夢が仕事場兼住居として使っていた場所だそうで、相棒って仕事の相棒か、なんて現実逃避にもならない事を思った。
吐き気は既に治まっていた。どうしようもない不快感は、しばらくすると消え失せた。彷徨くアンデッドを見ても、もはや何も感じなくなっている。ただ、漠然とした喪失感だけがある。
まるで感情を失った様に思えたが、いまだ現状に困惑しているし、そう言う訳ではないのだろう。それでも、恐怖の一欠片も感じないとなると自分が人間でないと無理やり自覚させられているようで。
オレはただ、無言で奏夢について行くことしか出来なかった。コイツもコイツで、気を使っているのか何も言わない。遠くの呻き声と自分たちの足音しか聞こえない中、それは突然聞こえて来た。
─………ぅ…ぅぁああああぁぁあああぁあアアアアアッッ
「いっ!?」
「うげ」
劈くようなその声に思わず耳を塞ぐ。距離は差程近い訳では無いが、単純に聴力の上がっているこの耳では随分とキツい。音量依然に、ハッキリと聞こえてしまう事に問題がある。
それでも先程よりマシな気がするのは、今の自分を自覚したからか。あからさまに嫌な顔をする奏夢は、クルリと振り返ると焦った表情でオレの腕を掴んだ。
「逃げるぜ!!!」
「は?おい、あの声が何か知って」
「全部後!!早くしねぇと…」
─…ぉぉおああぁあああああぁぁあアアァアアアッッ
駆け出そうとした瞬間、その声は物凄いスピードでこちらに近づきオレたちの目の前へと姿を現した。
餅のような柔らかそうに見える巨大な体に、その巨体を支える何本もの短い触手のようなもの。それだけならどこぞのキャラクターかと思えたが、残念ながらそれはないだろう。
その赤黒い肉塊には所々肌色が混じり、毛のように飛び出しているのは人間の手足だ。巨体の表面には苦悶の表情を浮かべる人間の顔がいくつも浮かび上がり、バラバラに呻き声を上げている。
いくつもの濁った目玉が、一斉にこちらを見た。
恐怖とかそういうの依然に、見た目が単純に気持ち悪い。
「クロ早く!!……クロ?」
「…………スゥ」
「め、目を開けたまま気絶してる…!?嘘でしょ!?あの、ちょっ、クロ!?クロさん!?あー、もうっ!!」
ぐわっと勢いよく体が浮いた。どうやらまたしても担がれたようで、そのまま奏夢は猛スピードであの肉塊から逃亡した。人一人担いでこのスピードは凄いな。
「あの、クロさーん!?放心してないで!!彼奴、他のアンデッドとかを取り込んじゃうんだよ!捕まったら俺らも取り込まれるか」
「死ぬ気で逃げろ!!!!!」
「自分で走んねぇの!?」
ズルズルと這う様にこちらを追いかけてくる肉塊が見える。これを背後に走るとか無理だ。こうしていればオレが後方を確認出来て効率も良いし、何よりコイツと離れて迷子にでもなったら面倒だ。
しかし、あの巨体からは考えられないほど肉塊のスピードもかなり早い。形の残ってる建物を壁にしつつ逃げているが、それでも追ってくる。
的確に後を追ってくるが、もしや知能でもあるのだろうか。
「…つか、アレは何だ?アレもアンデッドとか言わないよな?」
「え!?えと、あれは大量のアンデッドがくっついた奴!」
「チッ…何でそんなのまでいるんだ」
「倒した奴埋めようと思って一箇所にまとめてたら、何かくっついちまって!!」
「アレお前が原因かよ!!!何だ!?邪神でも召喚しようと思ったのか!?成功してんじゃねぇか!!」
「俺だってビックリしてんだぜ!あと、彼奴に俺の武器飲み込まれちまってさ!!どうすればいい!?」
「はぁ!?おまっ、この、バカ犬!!」
「ごめぇん!!!」
思わず飛び出した罵りに、情けない声で返される。何だ、武器飲み込まれたって。アレがこっちを追うのって、コイツに恨みでもあるからなんじゃ…見れば見るほど気持ち悪いな。
と言うか、よく見たらアレのてっぺん辺りに何か手足じゃないものが飛び出して無いか?形的に、知ってはいるものだ。基本のもので主な用途は、確か木を切ること。
「…なぁ、お前の武器ってあれじゃないか?あの、てっぺんのやつ」
「え?何が……お、俺のオノぉぉおおぉ!?!?」
こちら側から側面が見える感じで飛び出ていたのは、形状はシンプルなバトルアックスだった。やはりと言うかなんと言うか、コイツはパワータイプなんだろう。第一印象そのまんまだな。
と言うか、何故刃の部分が見えるように飛び出てるんだろうか。何がしたいんだ、アレ。
「俺、俺の斧が…トサカにされた…!!」
「……お子様ランチのライス。旗刺さってるやつ」
「大喜利やってんじゃねぇんだ!!」
怒られてしまった。いやしかし、そう思ったら何か気持ち悪さも半減した気が……しないな。気のせいだった。
かれこれ十分程逃げているが、アレとオレたちの距離は付かず離れずのまま均衡している。撒きたいのだが、なかなかどうしてやるものだ。大量のアンデッドがくっついたという事は、多少知能が生まれてもおかしくはない。あの巨体だし。
となると、ただ走るだけじゃ逃げきれないだろう。どうにかして、アレが来れない場所に逃げられれば。
「っと、クロ!!何か目の前にでかい地割れあるんだけど!!どうする!?」
「何?ふむ、丁度いい。お前、アレ飛び越えられるか?」
「んー……ギリ?」
「よし、じゃあ飛べ」
「うう~ん、サラッと無茶振り。ま、いいけど。そんじゃあ、クロ先行っといて!!」
「は?なんっ───」
ブォンッと風を切る音がした。体が物凄いスピードで空中へと投げ出されたらしい。内蔵がめちゃくちゃになりそうだ。彼奴は後で殴る。
そう思って奏夢を見れば、地割れギリギリでしゃがんでいるのが見えた。何をしているのかと思えば、まるでロケットのようにこちらに跳んだ。
オレは空中で奏夢にキャッチされ、そのまま地割れを大幅に超えて着地した。ギリとは。
二回目だからか、そこまで酔わなかった。もう慣れたのかと自分に驚く。それでもやっぱり少し脳が揺れているような感覚がする。
「なんか、思ったより跳べたわ」
「次からは投げる前に言えバカ犬」
「うぅん、懐かしい呼び方だけどガチ怒だからなんとも言えん…ちゃんと言います!はい!」
睨みつければピシッと敬礼をして返事をする奏夢。妙に敬礼が似合わないな、コイツ。
地割れ─よく見たら地盤の陥没に近い─はかなり大きい。いくら体がでかくても、飛び越えようにも重さで先に落ちるだろうし、回り込むにしてもその間にオレたちは逃げられる。
対岸で止まった肉塊を見て、とりあえず一時的だが凌げたようでほっと一息をつく。いずれどうにかしなくてはならない相手だが、今はどうやっても無理だろう。オレは本調子とは言えないし、奏夢に至ってはアレに武器を取られている。
準備を万端にしなくては、無駄に二回目の死を迎え─
「クロッ!!前!!まえー!!!」
「あ?…っ!?走っ─」
─…ぉうぅあああぁぁああぁああぁあああアアッ
ふっと陰る周りと奏夢の声に思考から頭を上げれば、脅威的な跳躍で穴を飛び越えようとしている肉塊がいた。まさか飛び越えられるのかと、驚きをどうにか投げ捨て逃げるため足に力を入れる。
が、
─ガッあぁああああああぁぁぁぁぁ、ぁ…ぁ……………
肉塊は空中の半ばで止まり、深く暗い穴の底へと落ちていった。走ろうと中途半端な姿勢で数秒固まり、音が完全に聞こえなくなってその場にへたり込む。
死んでいる筈なのに、バクバクと大きな心臓の音が聞こえる気がした。それだけ動揺している。まさか越えようとしてくるとは思わなかった。
いや、アレに知性が無ければ、届かないと分かっていても目の前の獲物を愚直に追うであろうことは予測できた筈だ。それを無しと感じたのは、追われているときに見た挙動が思考力のない死体の塊とは思えなかったから。
…違う。恐らくあの肉塊は越えられる自信があった。オレがアレを甘く見ていただけで、実際跳んだ高さと速度的に越えられておかしくなかった。おかしいのは、アレが落ちる直前。
確かに、あの肉塊は何者かにより撃たれた。
見えた訳ではないし、発砲音も聞こえなかった。しかし、オレの耳は小さい何かがあの肉塊に当たる音を聞いた。奏夢は何も気づいていない所を見るに、風で消える程の音だったのだろう。
周りを見渡しても、自分たち以外に人影は見えない。空には鳥が飛んでいるだけで、何も無い。それでも、オレたち以外に何かがいるのは事実。
たまたまか、それとも助けられたのか。何の意図かは分からないが、今はとりあえず助かったのだと見ていいだろう。
穴の下を覗き「俺の斧が…」と意気消沈している奏夢を立たせ、オレたちは足早にその場を後にした。
──
─ざり、と足音がして覗いていたスコープから顔を上げる。自分に覆い被さるように立っていたのは、周りを偵察に行っていた仲間─ではなく、失敗作のアンデッド。
ここまで近づかれるとライフルではどうしようもない。寝そべらせていた体を起こすことも無く、振り下ろされる腐り風化しかけている手をただ横目で眺める。
ズガガガガガガッ、と大きな音が聞こえたかと思えばアンデッドが吹っ飛んだ。高度のある建物の残骸の上にいたものだから、そのまま落ちていくアンデッド。その背中は穴だらけになっていた。
今度こそ体を起こして、アンデッドの背後から現れた人物を笑顔で迎える。
「おかえりー。どうだったぁ?」
「問題無い…と言いたいところだが、何も残っていなかったな。こっから先はミサイルの被害から残ってはいたが…全て飛んだか燃えたか、埋まったかだな」
白にも見える白銀の長髪を揺らしながら、白衣を着て大きな棺を背負った男がゆっくりと歩いて来る。片手には硝煙が立つガトリングガンが握られており、先程の音がそれから出たものであることは明白だった。
「そっかぁ…じゃあ、結局収穫は無しになるね。残念」
「そっちはどうだ」
「んーと、アンデッドの集合体が一体。アレは大きくなり過ぎ。知能が芽生え始めてたから、麻酔弾打っといた。しばらくは大人しいだろうけど、あれじゃあ二日もつかな…」
そう言って先程まで見ていた方を眺めるのは、肩で切りそろえられた金髪に女性と見間違うような顔つきの男。こちらは丈の短めな白衣を着ており、無骨なライフルを抱えている様が妙に似合う。
そして彼にじゃれつく、黒い毛並みの小さな仔犬が一匹。
「…そこまででかくなるなんざ、何があった?」
「さぁ?あ、でもでも!何か追ってるなーって思ったら、あの子たちが居たよ!無事に"起動"してたみたい。でもクロウの耳、ちょっと良くし過ぎたかも。ボクが撃ったの気づいてたや」
「ほう?」
嬉しそうに、それでいて興味深そうな表情をして銀髪の男も同じ方を見やる。勿論、男には何も見えない。スコープ越しでもギリギリ見えるかといったところで、例えば飛ぶ蚊の足を一本だけ撃ち抜くようなものだっただろう。
それをなんでもないように平気でやってのけ、ほけほけと笑う友人に苦笑いが零れそうになる。それに気づかず、金髪の男はライフルをバッグに入れ立ち上がると、仔犬を抱えて銀髪の男にの隣に立つ。
「あの子たちが向かった先は、方向的に家だと思うよ。どうする?戻る?」
「そうだな…あの二人、特に奏夢には説明がいるだろう。クロウは大体自分で察するが、それを彼奴に教えるかと言えば…」
「多分、面倒くさがって言わないだろうなぁ」
「あぁ…情報共有をした方がいいだろうし、合流すべきだ」
「はーい!じゃあいこっか、ギル!」
「はしゃぎ過ぎて着地ミスるなよ、コルウス」
「そんな失敗しないもーん」
ぴょんっといた場所から飛び降りた二人は、所々出っ張っている所を伝って無事に地面へと着地した。下には、先程落ちたアンデッドが潰れて原型が分からなくなっていた。
それはよく見るとまだ動いている。しかし、二人は特に気にすることも無く目的地へと足を進めた。
荒れ果て建物の残骸しかない、道ですらない道を談笑しながら歩く二人。まるで学校帰りのような気楽さで、場違いのようにも見える。が、それを咎めるような人物も、異様だと感じる人物も誰も居ない。
いるのは、思考もなく彷徨うアンデッドのみであった。
「どうにか気持ち悪い肉塊から逃げおおせたクロウたち。目的地へと辿り着き自分の記憶を探すクロウは、奏夢から衝撃の事実を聞かされる…!」
「そして、そこに新たな刺客が…」
「次回、失敗作の鎮魂歌」
「邂逅。」
「まった見ってねー♪︎」
「二話目にして次回予告乗っ取られた!?」
「誰だアイツら」