82.悪夢と欲望の期末テスト⑨
俺は改めてソファに座り、結社のエージェントを名乗る2人と向かい合うことになった。
「まずは……謝罪させていただきます。貴方にまで術をかけるようなことをしてしまい、申し訳ありません。雪ノ下のお嬢様からの報告書には目を通していますが……にわかには信じがたかったもので」
「…………」
立花がソファに座ったまま頭を下げると、隣の小野もそれにならう。
「護符や対抗術式も使わずにあのレベルの精神干渉を無効化できるのであれば、報告書の内容にも信憑性がありますね……もっとも、神格を撃退したというのは眉唾ですけど」
「あの山の……両面宿儺のことですか?」
「ええ、非常に愉快な報告書でしたよ。フィクションだったらの話ですが」
「…………」
俺は眉をひそめて、どこか小馬鹿にしたような態度をとっている男を睨みつける。
初対面の相手にこんな態度をとられるのは鬱陶しい。さらに、実害こそなかったものの、急におかしな術をかけられそうになったことは、流石に不愉快なことだった。
「結社のエージェントと言いましたけど……県警の人っていうのは噓だったんですか?」
俺が訊ねると、立花は芝居がかった動きで肩を竦める。
「いえ? 確かに我々は結社に所属していますが、ちゃんと警察官としての身分も有していますよ。あ、警察手帳、見ますか?」
立花が二つ折りになった手帳を開いて見せてくれる。
しかし、警察手帳なんて刑事ドラマでしか見たことがないため、それが本物かどうかなんて判断できなかった。
「結社のメンバーとして活動するために必要だから、警察官になったのですよ。知ってますか……日本で発生している刑事事件のうち、どれくらいの件数に何らかの怪異が関与しているのか?」
「……いえ」
訊ねてもいないのに説明してくる立花に、短く答えて首を振った。
「認知されているだけでおよそ12万件。つまり、刑法認知件数の15%に直接・間接的に怪異が関わっていることになりますね」
「そんなに!?」
俺が思わず声を上げると、立花は我が意を得たりとばかりに「ふふんっ」と鼻を鳴らす。
「ええ、すごい数字ですよね。もっとも、これらの全てに結社が出向くわけではありません。淫魔に憑りつかれた男が路上で服を脱いで走り回ったとか、そんな些事にいちいち顔を出してはいられませんので、大部分は怪異のことなど知らない一般の警察官に任せています。我々が担当するのは、彼らでは解決不可能と思われる事案だけです」
「……お話、とても面白かったです。それで……俺に話を聞きに来たというのは、どういうことですか?」
話を脱線させる立花に、俺は路線修正をはかった。
結社の内情やらに興味がないわけではないのだが、それ以上に、彼らの目的が気になったのだ。
もしも、俺の勘が正しかったとすれば……そこに春歌と早苗が関わっているのかもしれない。
「ああ、そうでしたね」
立花はつまらなそうに唇を尖らせた。糸目の瞳からは感情がほとんど窺えないが、ひょっとしたら説明好きな人なのかもしれない。
「我々が貴方に話を聞きに来たのは……貴方のご友人宅で起こった集団昏睡事件についてですよ」
「集団昏睡……!?」
俺は目を見開いて、前のめりになった。
立花は『友人宅』と言ったが、それはまさか……
「ええ、現場は藤林春歌さんの家。被害者は彼女と桜井早苗さん、山吹彩子さんの3人ですよ」
「っ……!」
立花は淡々とした口調で説明するが、それは俺にとってあまりにもな内容だった。
昨日は普通に勉強会を開いて、夜になったら別れた3人。どうして、彼女達の身にそんな異常事態が降りかかっているのだ。
「事件を発見したのは、藤林春歌さんのお母様ですね。夜勤の仕事から帰ってきた彼女は、リビングで3人が倒れているのを見つけて、すぐに救急車を呼んだそうです。3人は呼吸や脈拍は正常でしたが、いくら呼びかけても意識が戻らなかったとか」
「それはっ……!」
思わず叫び出しそうになって、俺は自分で自分の口を押える。ここで俺が声を荒げたところで何も解決しないことは明白だ。
今は感情を爆発させるよりも、落ち着いて情報を集めたほうがいい。
以前の俺であれば感情を抑えられなかったかもしれないが、色々と経験して場慣れしたおかげで、冷静な判断を下すことができた。
「へえ……」
感情を抑え込んだ俺を見て、立花がやや感心したようにアゴを撫でた。
そして、説明を再開させる。
「病院で検査をしたのですが、3人の身体には一切の異常が見つかりませんでした。薬物の痕跡などもありません。運び込まれた病院がたまたま『訳知り』だったため、その段階で結社に連絡が入りました」
「…………」
「先ほど、病院で被害者達を確認してきましたが……明らかな霊障と思われる痕跡が発見され、結社の管轄であると判断しました。月城君に話を聞きにきたのは、山吹彩子さんが恋人とMINEをしており、その中に貴方の名前があったからです。一緒に勉強をされていたそうですね?」
「…………はい」
「そこで何かおかしなことはありませんでしたか? あるいは……おかしなことをした、とか?」
「…………」
糸のように細い立花の目から、鋭い眼光を感じた。
なるほど。これは事情聴取ではなく、容疑者への取り調べなのか。
確かに……ある場所で怪異がらみの事件が起こって、その直前に『そっち側』の関係者である人物が接触していれば、疑いたくなる気持ちもわかる。
「……俺は何もしていませんよ。するメリットもないですし」
俺が3人を害することなど、あり得ないことである。
いくら合理的な理由があるとはいえ、疑いの目を向けられるのは不愉快なことだった。
「ええ、もちろん信じていますとも。貴方はこの土地の管理者である雪ノ下の関係者ですから」
立花は心外だとばかりに肩を竦めるが、その言葉を信用するほど俺も頭がお花畑なわけではなかった。
それよりも……あの3人が何らかの事件に巻き込まれているのであれば、助けなくてはいけない。
「3人に会うことはできますか? ひょっとしたら、治療することができるかもしれません」
【治癒魔法】のスキルであれば、あるいは回復アイテムを使えば、3人の昏睡状態を治すことができるかもしれない。
得体の知れない結社の人間に力を明かすのは危険なことだが、春歌たちのことを考えればそんなことは言っていられない。
そう思って提案するが、立花は嘲るように唇を吊り上げた。
「ああ、貴方は我流の術者だそうですね。しかし……それは不可能ですよ。どんな術を用いても、彼女達を治療することはできません」
「そんなこと……やってみないとわからないじゃないですか!」
最初から歯牙にもかけない態度の立花に、俺は苛立って声のトーンを上げた。
しかし、立花は意にも介さないとばかりに髪を掻き上げて、信じがたい事実を告げてくる。
「わかりますとも。あの3人は何者かに魂を抜かれています。奪われた魂を取り返さない限り、目覚めることは決してないでしょう」




