63.俺が知らない世界の裏側③
翌日。俺は昼食を摂ってから、指定されていた通りに沙耶香の剣術道場へと向かった。
今日は稽古も休みになっているらしい。ゴールデンウィークに来た時には大勢の門下生の姿があった道場であったが、今は閑散と静まり返っている。
「やあ、よく来てくれたね。上がってくれ」
「ども、失礼します」
インターフォンを押すと、すぐに沙耶香が現れた。稽古は休みだというのに沙耶香は剣道着を身に着けている。
玄関で靴を脱ぎ、彼女の背中に続いて廊下を歩いて行く。すると――ふと目の前で揺れるポニーテールからふわりと花のような匂いが香ってきた。
「ん……?」
注意深く見てみると、沙耶香の美しい黒髪は少しだけ水気を帯びているように見えた。
午前中に自主トレでもしていたのだろうか。どうやらシャワーを浴びてから間もないようで、ポニーテールの下で見え隠れするうなじもしっとりと湿っていた。
「…………」
何だろう、この感情は。変に緊張してきてしまった。
別に色っぽい用件でやって来たわけではないのだが、考えても見れば休日に女性の家を尋ねるのは初めてかもしれない。
俺はこのまま何処に通されるのだろうか。
もしも沙耶香の寝室にでも入るように言われたら、どう反応すればいいのだろう。
普段から沙耶香が眠っているであろう布団やベッド、それに下着が詰め込まれているかもしれないタンスがある部屋に、どんな顔をして足を踏み入れればいいのだろうか。
そんなことを考えてドギマギと胸を高鳴らせていたが、連れて行かれたのはやはりというか、道場のほうだった。
「まあ……予想はしてたんだけどね」
「ん? どうかしたのかな?」
「どうもしてません。夢見たっていいじゃない、だって男の子だもん」
「はあ?」
意味不明の発言に沙耶香はコクリと首を傾げた。大人びた美貌の沙耶香であったが、ふとした動作は妙に子供じみていて可愛らしい。
「それじゃあ、そこに座ってくれ」
「あ、はい」
俺はすでに用意されていた座布団を勧められて、そこに腰かけた。
「少し待っていてくれ。すぐに戻るよ」
沙耶香はそのまま道場から出て行き、しばらくするとお盆を手にして戻ってきた。
お盆の上には湯気を立てている湯飲みと和菓子が載っている。
「改めて……休日に呼び出してしまって済まない。それに説明が遅くなってしまって申し訳ない。まずはお菓子でも食べて寛いでくれ」
「あ、お構いなく」
とは言ったものの、出された物に手を付けないのもかえって失礼だろう。
俺は出された湯飲みに口をつけて、皿に乗った和菓子に楊枝を刺した。
「おお……美味い」
程よく飲みやすい温度のお茶は飲みやすく、口当たりが良いものである。緑茶の良し悪しには詳しくないが、かなり高級な茶葉であることを予想がついた。
お菓子のほうもいかにも高そうなものである。桜の花を模している京菓子は目にも鮮やかで、口に入れると白餡が舌の上でホロリと溶けた。
「口に合ったようでよかった。うちの家が贔屓にしている店のものなんだが、私も好きでよく食べるんだ」
モグモグと菓子に舌鼓を打つ俺に、沙耶香が嬉しそうに表情をほころばせる。
柔らかな笑みを浮かべている沙耶香をチラリと一瞥して、俺はもう一口緑茶を喉に流し込んだ。
「良ければ、おかわりもあるからもっと飲んでくれ」
「いただきます」
俺は遠慮することなく湯飲みを差し出した。沙耶香が丁寧な手つきで、急須からお茶を注いでくれる。
「…………」
こうして見ると、改めて綺麗な女性だ。
長い黒髪といい、大和撫子を体現したような女性である。剣道着姿もそうだが、きっと浴衣や振袖も似合うことだろう。機会があれば見てみたいものだ。
結社のこと。沙耶香のこと。聖のこと――聞きたいことはたくさんあったが、もう少しこのままでもいいかもしれない。
初めて上がり込む女子の家。
部屋に入ってドギマギとか甘酸っぱい展開とは程遠いが、こんな穏やかな時間も悪くはない。
そんなことを考えながら、俺は半分残った和菓子を口に放り込んだ。
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新しく短編小説を投稿させていただきました。
「勇者パーティーの『魔物使い』ですが、魔王の力を引き継いだので異世界に逃亡します」
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特に連載予定があるわけでもない短編ですが、感想や評価をいただければとても嬉しいです。
今年の本作の更新はこれで終わりとなります。
『悪逆覇道のブレイブハート』は毎日投稿を続けていますので、どうぞよろしくお願いします。
来年もどうぞよろしくお願いします。皆様、どうかよいお年を。




