17.五日目は教会でセーブを④
「ふう……けっこう遅くなっちゃったな」
5月になってだいぶ日は長くなったものの、すでに夕方の6時を回っている。
太陽は地平線に沈みかけており、町は夕暮れのオレンジの光に包まれていた。
「遅くなったら真麻が怖いからな。ちょっと急ぎめで帰るか」
俺は身体強化スキルを発動させて駆け足になろうとする。
しかし、そんな俺の足元に黒い影が落ちた。
「ん?」
顔を上げると、少し離れた場所に夕日を背にして人影が立っていた。
車がすれ違うにも難儀するほど狭く人通りのない裏道。
西日を背負っている相手の姿は逆光になっており、顔ははっきりと見ることはできない。
なんとか背丈や身体つきから男性で、黒っぽい服を着ていることがわかるくらいだ。
(黄昏……逢魔が時……)
なぜだかわからないが、俺の頭にそんな単語が浮かんできた。
逢魔が時。誰そ彼。
日が落ちかけてすれ違う人の顔もはっきりと見ることができない時間帯。
目の前に立っているのが本当に人間かどうかすらも判然としない魔性の時刻。
「そこのお前、ローズレッドの教会から出てきたな?」
目の前の黒い影が声を発してきた。バリトンボイスの成人男性の声だった。
「ローズレッド? なんの話かな?」
俺は端的に尋ねた。
教会から出てきたのは事実だったが、ローズレッドなどという単語は初めて聞く。
(直訳すると……赤い薔薇?)
そういえば、牧師の娘が自分のことを「朱薔薇」とか名乗っていたような……
「あの教会には何の目的で行った? 日曜礼拝でもあるまいに、お前のような信心の薄そうな小僧が意味もなく教会に訪れるとは思えん。貴様とローズレッドはどういう関係だ?」
「……初対面の相手に随分と偉そうだな。あそこの牧師さんとは初対面で赤の他人なんだけど、言葉は通じてるかな?」
いったい自分は何に巻き込まれているというのだ。
目の前の得体の知れない男と、教会の牧師さんにどんな関係があるのだろうか。
俺は自問しながら顔をしかめた。
ただスキルを修得するために教会を訪れただけなのに、どうして顔もはっきり見られないような得体の知れない人物に尋問をされているのだろう。
ただでさえ帰りが遅くなってしまっているというのに、余計な時間を食ってしまう。
「……ひょっとして、帰り道で人を待ち伏せるのが最近のトレンドなのかな? この間も同じような目に遭ったばかりなんだけど」
「ふん、黙秘するつもりか……まあいい。拷問は連れ帰ってからでも遅くはあるまい」
「拷問……?」
現代日本ではほとんど聞く機会のない言葉に、俺は思わず真顔で聞き返した。
それと同時に頭の中でピコンと電子音が鳴った。
『緊急クエスト発生!』
――――――――――――――――――――
緊急クエスト NEW!
夕闇の襲撃者
教会の帰り道に現れる謎の人影。その正体は人外の魔性だった!
襲いかかる怪物を撃破せよ。
制限時間3分。
報酬:?????
――――――――――――――――――――
「おいおい、マジでか!」
人外の魔性?
襲いかかる怪物?
「まさかお前、人間じゃないのかよっ⁉」
「ほう? 我が正体を見抜いたか。やはり只人ではないようだな! 私の予想は間違っていなかった!」
「うおっ!?」
男が恐るべき速さで肉薄してきた。
俺はとっさに横に飛んで振り下ろされる『ナニカ』を避けた。
「これは……爪っ!?」
「ほう、これを避けるか。なかなか素早い」
俺が先ほどまで居た空間を切り裂いたのは、男の指から生えた爪だった。
30㎝ほどまでに伸びた爪は刃物のように鋭く、俺の身体など豆腐のように斬ってしまえるのではないかと思えるくらい切れ味がよさそうだ。
あわや命の危機だった事態に俺は頭に血が昇り、あらん限りに叫んだ。
「こんのっ、通り魔があああああああああああっ!」
「ぐっ!?」
強化系統のスキルをフルに発動させて、男の身体に渾身の飛び蹴りを叩き込む。
男がボールのように飛んでいき、ブロック塀へと頭から突っ込んだ。
「通りがかりに遭遇する魔物。まさに通り魔! 俺を襲うとは運の悪い奴め!」
俺は塀の残骸に埋もれる男にビシリと指を突きつけ、高々と言い放つ。
若干、テンションがおかしくなっているのは、初めての未知との遭遇によって内心で錯乱しているからである。
「……油断をしたな。人間の身体能力ではない。貴様まさかハーフブラッドか? それとも十字教のクルセイダーか?」
堅い壁に頭から激突したはずの男がゆっくりと起き上がった。
頭を振ってパラパラと塀の破片をはねのけ、何事もなかったかのように立ち上がる。
普通の人間であれば頭蓋骨が砕けるような衝撃だったはずなのに、男に目に見えるダメージはないようだった。
「ハーフブラッドとかクルセイダーとか、ずいぶんと気になる単語を連発するじゃないか。中二心がくすぐられるな。できれば詳しく事情を説明して欲しいんだが?」
「クククッ、どうやら捕縛して拷問をしようなど失礼だったようだな。貴様を全力で葬り去るべき敵と認識を改めよう。我が本気を見せてやる!」
「もしもーし、話を聞いてますかー?」
「グオオオオオオオオオオオオオッ!」
俺の話など全くもって耳に入れていないようで、男が地の底から響いてくるような唸り声を上げた。
身に着けていた黒い服がビリビリと破れる。
服を突き破って生えてきたのは漆黒の羽。
両目は赤く爛々と輝いており、口からは長い牙が生えている。
十数秒後、人間を冒涜的に改造したような怪物が俺の目の前に立っていた。
悪魔のように変貌した男の目玉がギョロリと動き、俺の姿を捉える。
「クククッ、ハハハハハハハッ! この姿を見て生きて帰った者はいない! さあ、刮目せよ! 恐怖せよ! そして、魂にまで刻み込むがいい! 我が名はグルトナ……あちいいいいいいいいいいっ!?」
「とう、くらえっ!」
「ぎゃああああああああああああああああ!? なんだああああああああああああっ!?」
バリン、とガラスの割れる音が鳴った。
格好いいセリフとともに名乗りを上げようとしていた男だったが、それを途中で切り上げて悲鳴とともに地面を転がり回る。
「へえ、すごいな。聖水ってこんな威力なんだ」
もちろん、その原因を作ったのは俺である。
さきほどデイリークエストの報酬として獲得したばかりのアイテム――『聖水』を男の頭へと投げつけたのだ。
変身した男の頭部に狙い通りに命中したガラス瓶は粉々に割れて、中に入っていた水をぶちまけた。
聖水を浴びた男はまるで濃硫酸でも食らったかのように全身から白い煙を上げて地面をゴロゴロと転がっている。
「せ、聖水ッ⁉ 馬鹿なっ、この私にこれほどのダメージを与える聖水などバチカンにでも行かなければぎゃぴっ!?」
「えいっ、えいっ、えいっ!」
「や、やめっ! 石を投げるなっ!」
聖水によるダメージで起き上がることもできない男へと、俺はひたすらに石を拾って投擲した。
「いや、せっかくだから他のクエストも一緒に達成させてもらおうと思ってな。間接攻撃を10回あてると【命中強化】のスキルが手に入るんだよ」
「な、なにをいってべっ!?」
男の頭にブロックの欠片が突き刺さる。さっき男が突き破った壁の残骸だ。
欠片といっても投げつけられたそれはボーリング玉ほどの重さがあり、おまけに先端が尖っている。
ブロックの破片は男の頭蓋骨を貫き、脳にまで突き刺さった。
「えいっ、えいっ!」
『ワールドクエストを達成! 【命中強化Lv1】を修得!』
「お、やった」
「ぐ……あ……ばかな……このわたしが、こんなところで……」
俺がクエストを達成するのと、男の身体がバラバラに砕け散るのは同時だった。
怪物に変貌した男が粉々になって白い灰へと変わっていく。
『レッサーヴァンパイアをやっつけた!』
『緊急クエストを達成。報酬を確認してください』
「終わったみたいだな。あー怖っ。怪物相手の実戦、むちゃくちゃ怖かったぜ!」
俺は胸を抑えて「フーッ」と深い息を吐いた。
男の残骸が風に運ばれて散っていき、闇の中へと消えていく。
すでに太陽は完全に沈んでいる。
空は夜闇に覆われており、逢魔が時は通り過ぎていた。
こうして、俺にとって初めてとなるファンタジー的生命体との遭遇は幕を下ろしたのであった。
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