ぼくのなつやすみ……の直前デート⑥
磯谷の案内を受けて、僕と沙耶香は水族館の内部を周っていく。
足を踏み入れて最初に現れたのは、人間大の水槽に入ったサンゴ礁。
そして……砂の中から長い身体を突き出して揺れるチンアナゴである。
円筒形の水槽の中で、十数匹のチンアナゴが白とオレンジの縞模様の身体をくねらせていた。
「おお……これはこれは」
遊びに来たわけではない。
ないのだが……綺麗なサンゴ礁と幻想的なチンアナゴのダンスには、思わず感嘆の声を上げてしまう。
「不思議な色ですよね……どうして、こんなに綺麗な縞模様になっているんでしょう?」
考えても見れば、熱帯魚のような南国の魚というのは色鮮やかなものばかりだ。
どうして、あんなにもカラフルで宝石のような色合いになるのだろう。生命の神秘というものを感じさせられる。
「熱帯にいる魚はサンゴ礁の中に隠れたり、巣を作ったりする子が多いんですよ。だから、サンゴに溶け込みやすいように鮮やかな色をしているんです」
「へえ……そうなんですか」
僕の疑問に、磯谷が答えてくれる。
水族館のスタッフだけあって詳しく、わかりやすい説明だった。
「それじゃあ、奥の方へどうぞ」
奥に進んでいくと暗くて広い場所に出た。
壁一面を覆った巨大な水槽の中を、無数の魚が縦横無尽に泳ぎ回っている。
「へえ……これはすごいな」
沙耶香の口からも感嘆の声が漏れる。
小さな魚、大きな魚。僕でも名前を知っているような有名な魚から、初めて見るような珍しい魚まで。
色とりどり、様々な魚が水槽の中を気持ちよさそうに泳いでおり、まるで海の一部を切り取ってきたようである。
「おっと……いけない。任務のことを忘れるところだった」
「あー……俺もです。気合を入れ直さないと」
思わず水槽の中の光景に魅入ってしまい、行方不明者の捜索やらといった事情を忘れていた。
このまま沙耶香と水族館デートができればどれだけ幸せだっただろう。俺は気を引き締めるために、パンパンと顔を叩く。
「真砂君、あれを見てくれ。サメがいるぞ!」
「沙耶香さん、あっちにウミガメの水槽がありますよ」
「こっちのコーナーは……東南アジアの魚? あの大きい魚がアロワナか?」
「クラゲトンネルだって!? 行ってみましょう!」
はい、無理でした。
すっかりエンジョイしてしまいました。
わりといい加減な性格の俺はともかくとして、珍しく沙耶香までもが任務を忘れてハシャいでいる。
本人に自覚があるのかは不明だが……途中から俺と腕を組むようにして歩いており、肘のあたりに柔らかすぎる感触があった。
「む……すまない、真砂君!」
「あ……」
幸せ過ぎる感触が離れていく。
腕を組んでいることに気がついた沙耶香が、バッと勢いよく離れた。
「別に良かったんですよ、あのまま腕を組んでても」
「むう……そういうわけにはいかない。今は任務の最中だ……」
「それにしては楽しんでいるようですけど。水族館、好きなんですか?」
「うっ……実は、こういう所に初めて来るのだ。それでついつい我を失ってしまった……」
沙耶香が顔を赤くして、恥ずかしそうに目を伏せる。
「私の家は退魔師の家系ということもあって、休日には修行や鍛練に励むことが多くてね。家族で旅行に行ったりすることもほとんどないんだ。学校も休みがちで、遠足や林間学校も欠席することが多くて……」
「あー……なるほど。それじゃあ、仕方がないですね」
真面目な沙耶香が仕事を忘れてしまうなんてどうしたのかと思ったら、そんな事情があったのか。
生まれて初めての水族館となれば、任務を忘れてしまうのも無理はない。
「それじゃあ、今度は仕事なしで一緒に来ませんか? 今日はやってないみたいですけど、この水族館、アシカのショーもあるみたいですよ?」
「うん……私も真砂君と一緒にデートがしたいな。とても楽しみだ」
「うっわ……可愛い……」
はにかんだように笑う沙耶香に、俺は胸をズキュンと撃たれてのけぞった。
非常に可愛い。
普段は凛とした雰囲気で隙のない沙耶香が、今日はちゃんと女の子をしているように見える。
よほど水族館が楽しかったのだろう。普段は張りつめている気が緩んでいるのかもしれない。
「可愛い……もしもこの作品がコミカライズすることがあったら、設定を捻じ曲げてでもメインヒロインにしたいくらい可愛い」
うん、何の話をしているのだろう。
自分でも訳のわからない精神状態になっていると……案内をしていた磯谷が微笑ましそうに吹き出した。
「2人とも、仲が良いんですね。初々しくて見ていて気持ちが良いです」
「あ……申し訳ありません。せっかく手伝っていただいているのに、こんないい加減な態度で……」
行方不明者を捜索に来たというのに、そんな仕事をほったらかしにして男女でイチャついている。わざわざ仕事中に案内をしてくれている磯谷に対して、とても失礼な態度をとってしまった。
申し訳なさそうに謝る沙耶香だったが、磯谷は愉快そうに笑っている。
「いいんですよ、ここは本来そういう場所ですから。楽しんでもらえて何よりです」
「そ、そう言っていただけると助かります。ところで……磯谷さんはこちらに勤めて長いんですか?」
「そうですね……高校の頃にバイトで入ってから、もう10年近くになりますか?」
磯谷は水槽のマンボウを見つめながら、思い出すように遠い目になった。
「昔から魚が大好きで、休日にはしょっちゅうここに訪れていました。卒業してから正式に従業員となり、ダイバーの免許もとって……思えば長くいるものです」
「そうなんですか……ところで、水族館のスタッフにダイビングの免許がいるんですか?」
僕がふと疑問に思って尋ねると、磯谷が頷いた。
「はい、魚にエサをやる際に潜ることがありますから。あ……ちょうどあそこに潜っているスタッフがいますね」
磯谷が指差す先では、酸素ボンベを背負ったダイバーが水槽に入って魚にエサをあげている。
ただエサを与えるだけならば潜る必要はないのだろうが、客を楽しませるためのパフォーマンスなのかもしれない。
「海でなく水槽に入るだけなら免許は必要ないのですが……やはり事故のリスクがありますから。免許を持ったスタッフ以外は、潜ってはいけないことになっています」
「なるほどね…………ん!?」
ピシリと背筋に刺すような感覚。【危険察知】のスキルが発動した。
即座に振り返るが……そこにあるのは水槽だけ。
巨大な水槽の向こうでは変わらず魚が泳いでおり、ユラユラと緑色の海草が揺れていたのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
よろしければブックマーク登録、広告下の☆☆☆☆☆から評価をお願いします。




