ぼくのなつやすみ……の直前デート②
いくつもの罠をかいくぐり、沙耶香ママに通されたのは雪乃下家の屋敷の裏庭である。
表から見たら気がつかなかったが……この沙耶香の自宅である日本家屋は思いのほかに広く、道場を含めれば100坪以上はあるだろう。
屋敷の他にも山を所有していたりするようだし……改めて、雪乃下家の経済力には驚かされる。
広い屋敷の奥まった場所にある中庭では、沙耶香が井戸の傍に膝を落として座っている。
沙耶香は白い単衣の和服を身に着けており、桶に注いだ井戸水を自分の身体にかけていた。
「…………」
桶を傾けるたび、陽光を反射してキラキラと輝きながら沙耶香の身体に浴びせられる。
濡れぼそった単衣の着物が沙耶香の身体に張り付き、起伏にとんだ身体のラインを浮き立たせていた。
その姿は決して露出が大きいわけでもないし、水着のほうがよほど扇情的だったが……美しい。欲望を抜きにしても素直に綺麗だと思える光景である。
「ああ……来てくれたのか、真砂君。早かったね?」
「……ちょっと今朝は早く目が覚めたもので。お邪魔でしたか?」
「いいや、かまわないよ。こちらこそこんな格好で済まないね」
沙耶香が朗らかな声で挨拶をしてきて、井戸水で身体を濡らした状態で立ち上がる。
「着替えてくるから、応接間で待っていてもらえるかな? というよりも……母には最初からそちらに通してもらえるようにお願いしていたのだが?」
「あらあら、ごめんなさいね? お母様ってばうっかりしていたわあ」
沙耶香ママが頬に手を当てて、笑顔のまま小首をかしげる。
「ごめんなさいねえ、間違えて裏まで通してしまったわ。お見苦しいものをお見せしちゃったかしら」
「いえ、素晴らしいものを……じゃなくて、別に気にしてませんから」
「それじゃあ、応接間にお通しするわねえ。美味しい和菓子があるから、お詫びにご馳走するわあ」
ニコニコと穏やかな表情を崩さない沙耶香ママであったが……不思議と、僕はそんな笑顔に嘘くさいものを感じていた。
何というか……騙されているような、嵌められているような、蜘蛛の糸にゆっくり絡めとられているような気分だ。
「ところで……真砂さんは知っているかしらあ?」
廊下を先導しながら、沙耶香ママが後ろを歩く俺に向かって問いかけてくる。
「……何をですか?」
「さっき娘が着ていた単衣の着物だけど……あれは着物を身に着ける際に下着として着るものなのよ。つまり、沙耶香は下着姿で水浴びをしていたのだけど……興奮してくれたかしら?」
「…………」
俺は返事の代わりに沈黙を返す。
そういわれると……濡れた白い着物の下に下着のラインが浮いていなかったような気がする。
「……もっとちゃんと見ておけばよかったな、と後悔しています」
「正直でよろしい。お母様、素直な男の子は大好きよお」
沙耶香ママはそう言って、悪戯が成功した子供のような顔をしたのである。
〇 〇 〇
応接間に通されると、沙耶香ママがお茶とお菓子まで用意してくれた。
ツバキの花を象った菓子は見た目も鮮やかで、いかにも高級そうである。竹製の楊枝で半分に切って口に運ぶと、上品な甘さが舌の上に広がっていく。
「美味しい……」
「そうでしょう? 京都に本店があるお菓子屋さんで買ったのよ。気に入ったのならお土産にも持たせてあげるわね」
至れり尽くせりである。
とても嬉しいし、歓迎されて居心地も良いのだが……何なのだろう。この外堀を埋められているような感覚は。
「それじゃあ、色々と話を聞かせて欲しいのだけど……」
「すまない、待たせてしまったな。真砂君」
「……娘が来たようだから、これで退散するわね? また今度お話しましょうねー」
応接間にいつもの剣道着に着替えた沙耶香が入ってきた。沙耶香ママは残念そうに会釈をして、入れ替わりに出て行った。
「……真砂君、母におかしなことは言われてないだろうか?」
襖が閉まったのを見計らい、沙耶香がわずかに眉尻を下げて訊いてくる。
「えっと……たぶん大丈夫だと思いますけど、何かありましたか?」
「……いや、何もないのなら良いのだ。母は昔から私に近づく男を値踏みするところがあるからな。失礼なことをしていないのなら構わない」
沙耶香はテーブルに置かれた和菓子をチラリと見やり、「ふむ」と頷いた。
「どうやら、母の眼鏡には叶ったようだな。嬉しいような、照れるような……」
「はあ?」
よくわからないが……何かをされたというのなら、それはどちらかと言うと父親のほうなのだが。
家の中に罠が仕掛けてあったもの。どんだけ娘に近づく男が気に入らないというのだろうか。
「さて……急な呼び出しに応じてもらったことについて、まずはお礼を言わせてもらいたい。忙しいところを済まないな」
「いえ、別に忙しくないですから構いませんよ」
本当は期末テストも近くて暇ではないのだが……まあ、優等生の春歌と勉強会をする約束もしているし、それは後回しでもいいだろう。
どうせウチの両親は海外赴任でいないのだ。テストの成績なんて卒業できればなんだっていい。美人の先輩の誘いを断るほどの重要事項ではない
「それで……いったい何の用事なんですか?」
「ああ、実は今日は折り入って頼みがある。私と一緒に水族館に行ってもらえないだろうか?」
「はあ、水族館?」
水族館というと……あの水族館か?
水槽に入れられた海の生き物を見るデートスポットの水族館か。
「えっと……自意識過剰120パーセントで申し訳ないんですけど、ひょっとしてデートに誘ってます?」
「違っ……いや、ある意味ではその通りなのだが、はっきり言われるとさすがに恥ずかしいな……」
沙耶香は照れくさそうに頬を朱に染めた。
拳を口元に当てて、俺から目線を逸らして口にする。
「『結社』からの任務に付き合ってもらいたいのだ。とある水族館で起こっている怪奇現象の解決を手伝ってもらいたい」
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