116.夏の終わり、世界の終わり⑧
「ふう……。お茶が美味い……」
こうして座ってミルクティーを飲んでいると妙に達観した気持ちになるというか、変に心が落ち着いて普段は考えもしない内容が頭に浮かんでくる。
「…………」
今さらながら改めて思うが……随分と遠くまで来てしまったものである。
ゴールデンウィークに『クエストボード』という謎の能力を獲得して、最初は好奇心からクエストを達成してきた。
そうして強くなっていくうちに吸血鬼やら神様やらおかしな敵と戦うはめになっていき、それが日常の一部になりつつある。
タダの高校生だった自分が、どうしてこんな遠くまでやって来たのだろうか。
「さて……落ち着いたところで本題に入りましょうか」
ミルクティーを飲んで一息ついたところで牧師さんがそう切り出した。
教会には俺と牧師さんしかいない。聖は留守にしているのか姿が見えなかった。
コンクールも近いと言っていたし、学校で遅くまで吹奏楽の練習に励んでいるのかもしれない。
「じきに雪ノ下のほうから君にも連絡が入るでしょうが……現在、この国には多くの吸血鬼がやって来ています。彼らの目的は吸血鬼が崇める神の復活です」
牧師さんはミルクティーを盆の上において、ファンタジーな内容を語り出した。
「『血の礼拝』……ひょっとしたら娘から話を聞いているかもしれませんが、我々、吸血鬼は異世界からこの世界にわたってきました。崇めていた『神』と共に」
「…………」
それは夏合宿のときに聖も話していた内容である。
正直、あのアホの後輩の口から語られると眉唾な妄想にしか聞こえなかったのだが……牧師さんが話しているところを聞くと信憑性があった。
「吸血鬼が最初に来訪した場所はルーマニアという国。そこから先は、この世界の僧侶との戦いの日々でした。『異端審問会』、あるいは『十字騎士』を名乗る者達と激しい抗争。戦いに敗れた吸血鬼の血族は東に逃れ、最終的には極東の島国――日本までたどり着きました。信じられないかもしれませんが、『十字軍の遠征』や『魔女狩り』といった歴史的な出来事は、吸血鬼との戦いを隠すために後付けされたものなのです」
「それはまた荒唐無稽な……。流石に信じがたい話ですね」
「そうでしょうね。ですが……困ったことに事実なのですよ。東の果てに流れてきた吸血鬼と『神』は、西から追いかけてきた追手と『陰陽寮』と呼ばれるこの国の魔術師に打ち倒され、『神』は特殊な呪いによって異界の果てに追放されました」
「えーと……その追放された神様の復活が吸血鬼の狙いなんですよね? 具体的にどうやって?」
「そう遠くない未来に、かつて『神』が追放された夜と星の巡りが一致するときがやってきます。『神』が消えた地に多くの血と命を贄に捧げることで、吸血鬼は『神』を呼び戻そうとしているのです」
牧師さんは秀麗な顔立ちを物憂げに歪めて、ゆっくりと首を振った。
「たとえ遠く離れていても眷族である私にはわかるのです。異界に追いやられた『神』はかつて倒された時以上の力を有しています。教会はかつての隆盛を失い、今は『結社』を名乗る陰陽寮も科学に支配された時代となって衰退しています。今度は『神』に勝つことは難しいでしょう。『神』が復活すれば、今度こそ人類は破滅を迎えることでしょう」
「ものすっごい嫌な予感がしてるんですけど……その神様がいなくなった場所ってもしかして……」
「おそらく、想像の通りですよ。この場所――雪ノ下が管理している土地こそが『神』の終焉の土地なのです」
「やっぱりか……」
俺はガックリと肩を落とす。
つまり、この土地に吸血鬼がたびたび現れていたのは偶然ではなく、『神』とやらを復活させるための前準備として刺客が放たれていたということか。
「ちょっと気になるんですけど……牧師さんはどういう立場なんですか? さっきお仲間を倒してたし、アッチ側じゃないですよね?」
「私は吸血鬼側の裏切り者ですよ。生き残るために『神』と同胞を売って陰陽寮に身売りして、今はこうしてしがない牧師として暮らしています。おかげで、かつての仲間からは付け狙われていますが……愛する女性と出会って娘も生まれましたし、そう悪い人生ではありませんでしたよ」
「そっすか……」
その娘にさんざん迷惑をかけられた身としてはどうリアクションを取っていいかわからないが……牧師さんが味方なのはありがたい。
牧師さんの実力はわからないが、先ほど助けてもらった時のことを思い返せば、かなり強いのではないかと思う。
少なくとも……聖よりははるかに頼りになるはずだ。
「それで、吸血鬼の神様とやらはいつ復活するんですか?」
「そうだね……星の巡りから考えて、あと1週間もないでしょう。つまり、これから1週間が破滅への最後の日々ということになるね」
「はあっ!?」
唐突な終末宣言に思わず声を裏返らせる。
夏休みも残すところ1週間。
破滅までのタイムリミットも1週間。
俺にとって、あるいは人類にとって最後の夏が幕を下ろそうとしていた。




