113.夏の終わり、世界の終わり⑤
「あの……ええっと……月城君よね?」
春歌が震える声でつぶやいた。
その表情には様々な感情が含まれている。混乱と動揺が強く、驚きと疑いに一抹の恐怖が含まれていた。
さて、どうしたものだろうか。
その気になれば謎のコート男を剣で斬り捨てることもできたのだが、春歌の目があるため、あえて素手で攻撃をした。相手が人間か人外か判別できなかったという理由もあるが。
とはいえ……こんな明らかな異能バトルを見せてしまい、「暴漢が襲ってきたから通信教育で習った空手で撃退しただけです!」などという言い訳は通用しないだろう。
「月城君、あなたはいったい何者なの?」
「…………」
春歌は大きな胸に手をあてて深呼吸を繰り返し、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
冷静な口調で訊ねられると……かえってどうしていいのかわからず、言葉に詰まってしまう。
あからさまに怯えられたりしていないだけマシな反応であったが、はたして正直に説明したほうがいいのだろうか?
精神魔法で記憶を消去することもできるが……何となく、気が進まない。
どんな形であれ、春歌に対して魔法を向けることに罪悪感を抱いてしまうのだ。
「えっと……藤林さん、じゃなくて春歌。俺はな、その……」
何を話せばいいのかもわからないままに口を開き、言い訳のように言葉を並べようとする。
だが、そんな春歌の影から突如として黒服の女が飛び出してきた。
「きゃあっ!?」
「春歌っ!?」
黒いワンピースを着た女が赤い髪を振り乱して春歌に飛びつき、背後から首を羽交い絞めにする。
「動かないでクダさい。首をヘシ折りますヨ?」
「っ……!」
女が独特のイントネーションの口調で告げてくる。
赤い髪に病人じみた青白い肌。見たところ、外国人女性のようだった。
「お前……何者だよ」
この女……まったく、気配を感じなかった。
【索敵】スキルもまるで反応せず、無様に人質を取られてしまうなんて。
睨みつけると、女は春歌の首を掴んだままニイッと唇を吊り上げた。
「お見事でス。まさか、ルードリフがやられるトハ、思いませんデシタ。あなたのコトを見くびってイタようですね」
「…………」
「ショセンは人間かと思ってイマしたが……やはり、ローズレッドの関係者ダケはあるようですネ」
「ローズレッド……そうか。またアイツがらみの案件かよ!」
聴き慣れた単語を耳にして、俺はうんざりして吐き捨てた。
ローズレッド――『朱薔薇』。
朱薔薇聖。あのアホの後輩の呼び名である。
その名前で呼ぶのは裏側の関係者。特に聖の同族だけだった。
「お前……吸血鬼か?」
「…………」
女は返答の代わりに口元の笑みを深めた。口裂け女のように吊り上がった唇から真っ赤な舌がチロリとのぞく。
どうやら、当たりだったようである。またしても俺は吸血鬼に襲われてしまったらしい。
「そのローズレッドとやらに用事があるのなら、直接そっちに行ってもらえないか? 顔見知りなだけの俺の方に来られても困るんだが……」
「そうはいきマセン。奴らには裏切リノ報いを受けてもラウ必要がありマスから!」
「ヒッ……!」
女は愉快そうに語りながら、長い舌でべろりと春歌の頬を舐める。
わけのわからないままに人質にされてしまった春歌は恐怖に顔を引きつらせ、女の腕の中で小刻みに震えていた。
女は一方の腕で春歌を拘束し、反対側の手で春歌の胸元をまさぐっている。
どうやら、怯える少女を弄んで楽しんでいるようだ。女の顔にはサディスティックな笑みが浮かんでおり、興奮から荒い息を繰り返している。
「同族を裏切って敵に売ったノです。奴ラト関わった人間。仲間や友人を残ラズ奪ってやらなくては、こちらの気が収まりませんカラね!」
「チッ……!」
女は興奮した様子でまくし立てているが……そんなことよりも、俺は他のことが気になって仕方がない。
俺の……じゃなくて、春歌の胸が不躾な手でまさぐられている。
相手が女だからまだ我慢できているが、どんどん自分の中で怒りのボルテージが上昇していくのが感じられた。
この女、マジでぶっ殺だ。
チリも残さずこの世から消し去ってやる。
「グウッ……よくも人間メガ……!」
「起きマシたか、ルードリフ」
そうこうしていると、先ほど倒した影男が起き上がってきてしまった。
流石は吸血鬼。ボコボコにしたダメージは完全に癒えていないものの、もう立って歩けるようになっている。
この男の名前がルードリフのようだ。名前からしてロシア人っぽいが。
「チョウドいい。ルードリフ、その男を殺しナサい」
「っ……!」
「わかっていルとは思いマスが、抵抗しタラこの娘の命はありマセんよ。攻撃を避けるノハいいですが、逃げることは許しマセん」
「ダメ、真砂君! 逃げ……カハッ!」
「五月蠅イデす」
春歌が悲痛な声で訴えかけてくるが、すぐに女が首を絞めて会話を封じてしまう。
苦しそうにうめく春歌を横目に、俺は拳を握りしめて奥歯を噛みしめることしかできなかった。
「春歌……!」
「さあ、始めてクダさい。貴方が死ぬまデ続くダンスを!」
女が叫ぶと同時に、ルードリフと呼ばれていた男が襲いかかってくる。
俺は表情を歪めながら、振り下ろされる刃を避けた。




