108.愛と悲しみの夏合宿⑰
「やれやれ……勘弁してくださいよ、チョモランマ先輩」
「ごめんごめん……っていうか、チョモランマとか失礼じゃない? どこを見てるかバレバレなんだけどな!」
チョモランマ先輩は両手を自分の胸の前でクロスさせ、唇を尖らせた。
不満そうな口調であったが、チョモランマ先輩の表情は楽しそうである。どうやら、後輩を揶揄うことを楽しんでいるのだろう。
「よっと……」
「ばたんきゅー……」
俺は気を失った聖を背中に負ぶった。
小さな後輩は非常に軽く、まるで幼い子供を背負っている気分である。
特に背中にあたっている胸部は断崖絶壁。感触もまるで物足りない。チョモランマ先輩の半分でもあれば、この状況も嬉しいのだが。
「後輩想いのいい先輩だねー。好きになっちゃうかも」
「なってもいいですよー。毎日パフパフしてくれるのなら」
冗談だとわかっているので、こちらも冗談を返しておいた。
「それじゃあ……僕達はそろそろ行きますね。あんまり帰りが遅くなっても他の人達に心配をかけちゃいますから」
「そっかー、残念だね。もっとお話ししたかったのに」
「僕もですよ。美人さんとはいくら話しても飽きないですから……ところで、最後に1つだけ聞いてもいいですか?」
「もちろん。スリーサイズだって教えてあげるよ?」
「……それは非常に興味深いですけど、そっちじゃありません」
俺はふっと息をついて、気になっていたことを尋ねることにした。
「あなた、誰ですか?」
「…………」
「うちの吹奏楽部員じゃないですよね? どうして俺に関わってくるんですか?」
それは少し前に気がついたことである。
目の前にいる名前不詳の先輩は吹奏楽部の部員ではない。
あの海水浴以来ホテルの中では顔を合わせることはなかったし、聖に聞いても「そんな人は知らない」と首を振っていた。
つまり、チョモランマ先輩は先輩ではない。チョモランマ他人だったのだ!
「あははは、バレちゃったかー。でも、別にいいかな? 君にはちゃんとお礼を言っておきたかったし」
「お礼?」
「うん、私はね……この死骨ヵ浜に囚われた幽霊。『ミサキ様』の生贄にされた人間の1人だよー」
「はあ?」
予想していなかった回答に、俺は思わず呆けた声を発してしまう。
チョモランマさんはそんな俺の顔を見やり、愉快そうにケラケラと笑う。
「驚いてくれて嬉しいかな? ほらほら、身体に触れてみたらわかるよ。私は幽霊だから触っても実体がなくて透き通るんだよ?」
「…………」
俺は恐る恐る手を伸ばして、チョモランマ先輩の身体に触れようとして……
「やんっ! 真砂君のえっち!」
「うわあっ!?」
おっぱいを思いっきり揉んでしまった。
ふにゅんってしてた! ものすっごい柔らかかった!
「実体あるじゃないですかっ! 嵌めましたね騙しましたねありがとうございますっ!?」
「すごいテンパってるねー、怒るのか感謝するのかどっちかにして欲しいかなー」
あまりにも幸せな感触にのけぞりながら叫ぶと、チョモランマさんは再びイタズラっぽく笑いかけてくる。
「確かに触れるけど、幽霊だっていうのはホントだよー? 私は10年前に『ミサキ様』の生贄にされて死んじゃったんだ」
チョモランマさんは悲壮感をまったく感じさせない明るい表情で、そんなことを口にした。
「この地域――死骨ヵ浜ではね、昔から海に悪い神様がいて時折災いをもたらすんだよ。だから町の人達……その中でも迷信深いお年寄りは、悪いことが起こったら女の子を攫ってきて海に投げ込んできたんだ」
悪いことが起こったら。
そういえば、近くのホテルでは連続殺人事件が起こっていたんだったか。
その事件を『ミサキ様』とやらの祟りであると考えて、例の一つ目神主と迷信深い老人が生贄を捧げようとしたのだろう。
「私もかつて生贄にされた人間の1人。10年前に今の君達みたいに外の町から合宿にきたんだけど、夜に散歩しているところを捕まっちゃって海に投げ込まれたんだ。それ以来、魂がこの土地に縛りつけられてさまよってたの」
チョモランマさんは両手をグッと夜空に伸ばす。
頭上に輝く星空を掴み取るような仕草だったが、当然ながらその手は星々に届かない。
「いつか誰かが助けてくれないかなって待ってたんだけど……君がミサキ様の社を壊してくれたおかげで、ようやく解放されたみたい。これでやっと家に帰れる」
「……成仏とかしないんですか? その……天国とか極楽とかに?」
「アッチに行くのはお盆が終わってからでいいかなー。それまで家族と一緒に家で過ごしたい。10年間も会えなかったからね」
「…………」
テクテクと俺の前を歩いていたチョモランマさんだったが、不意にこちらを振り返る。
「帰る前に君にちゃんとお礼を言っておきたかったんだ。本当にありがとう、真砂君」
「いえ……お役に立てたのなら何よりです」
「お礼に何かしてあげたいけど…………あ、パフパフとかしてあげようか? 胸には自信あるから」
「台無しだよ、せっかくしんみりしてたのに……」
俺はゆっくりと首を振り、魅力的な提案を遠慮する。
「さっきおっぱい触らせてくれたから、お礼はそれで充分ですよ。後輩背中におぶって別の女性の胸に顔をうずめるとか特殊過ぎるじゃないですか」
「あはははは、それもそうだねー。それじゃあお礼は来世でしようかな? 次に生まれ変わったら、パフパフよりもすごいことをさせてあげるねー」
「す、すごいこと……」
ゴクリと唾をのむ。
色々と想像力を掻き立てられる言葉である。
そっちの方は遠慮しないでおく。そのいつかを楽しみにしておくとしよう。
「はい。じゃあ、お別れ。聖ちゃんと仲良くしてあげてね」
「……はい。おかしなことを言っている気がしますけど、お元気で」
「はいはーい。またねー」
あっさり過ぎる別れの言葉を告げると、チョモランマさんの身体が空気に溶けるようにして消えてしまった。
燐光のようなものを残して消え去った美女に、俺は思わず溜息をついてしまう。
「……肝試しで本物の幽霊に遭遇か。聖が寝ていてよかったな」
そういえば、結局最後まで彼女の名前は知らずじまいだったな。
そんなことをぼんやりと考えながら、俺は天の川が横断する夜空を見上げた。
夏は水着の女の子と幽霊のもの。
7月の終わり。美少女とお化けと過ごした夏合宿は、こうして幕を下ろしたのである。
愛と悲しみの夏合宿 完
夏合宿編、これにて終了になります。
次回、最終章突入――『夏の終わり、世界の終わり』
どうぞお楽しみに。




