93.愛と悲しみの夏合宿②
事の始まりは1週間ほど前。夏休みが始まった直後のことである。
その日――俺は真麻に連れられて、雪ノ下沙耶香の剣術道場を訪れていた。
「お兄はもう門下生なんだから! 夏休みくらい、ちゃんと道場に顔を出さないとダメでしょ!」
プリプリと怒る真麻に、俺は首を傾げた。
いったい、いつの間にか門下生に加えられていたのだろうか。ゴールデンウィークに体験入門しただけなのだが……。
俺が道場に顔を出したとき、周囲の反応は2種類。
歓迎ムードで出迎えてくれる人もいれば、あからさまに嫌そうな顔になる人もいた。
前者は主に女の門下生。後者は男の門下生だ。
「やあ、真砂君。よく来てくれたね」
「どうも、沙耶香さん。先日はお世話になりました」
道場に足を踏み入れるや、師範の娘である沙耶香が出迎えてくれた。
沙耶香と顔を合わせるのは1週間ぶり。先日の昏睡事件の後、事情を説明しにうかがって以来のことになる。
沙耶香は今日もいつも通りの格好。白い道着に黒の袴。長い黒髪を頭の後ろでポニーテールにした格好だった。
すでに稽古を始めていたらしく、沙耶香の服や髪はしっとりと汗で濡れている。
どうして汗をかいている女性というのは、こんなに色っぽく見えるのだろうか。俺は不思議に思いながらも、頭を下げて挨拶をする。
「今日はよろしくお願いします。その……ちゃんとした門下生でもないのに、ついて来ちゃってすいません」
そもそも、俺は真麻と違って月謝なども払っていないのだ。
いくら妹が通っているからといって、こうやって当然のようについてくるのは図々しいことかもしれない。
だが――恐縮する俺に、沙耶香は鷹揚に笑ってみせる。
「いいや、真砂君ならばいつだって大歓迎だ。君には色々と迷惑をかけているし、いつだって稽古に来てくれ。あー……父と母も、君の顔を見たがっているからな」
「はあ? そうですか?」
先日、事件の説明にやって来たところ、沙耶香の両親と顔を合わせていた。
沙耶香とよく似た顔立ちの母親は何故か大歓迎のムードであり、高そうな緑茶とお菓子、さらには夕飯にお寿司まで振舞ってくれた。
厳格そうな顔をした父親は終始気まずそうな表情をしており、何とも言えない微妙な表情で俺をチラチラと窺ってきた。
何か気に入らないことをしてしまったかと首を傾げたものだが……母親からはせっかくだから泊っていくように勧められたことだし、印象を悪くするようなことはしていないだろう。
もちろん、お泊りは遠慮したが……その時、朗らかに微笑む母親の背後には、何故か蜘蛛の巣のようなオーラが浮かんでいたのはいまだに謎である。
「ところで……真砂君。この後、少し相談したいことがあるのだが、構わないだろうか?」
「それはもちろんいいですけど……ひょっとして、そっちの事情ですか?」
真麻が少し離れた場所で友達と話しているのを確認して、俺は声を潜めて確認する。
沙耶香は剣術道場の娘であるが、同時に『結社』に所属する退魔師でもあった。そんな沙耶香からの相談となれば、どうしても少し身構えてしまう。
「うーん……そっちの話と言えなくもないんだが……直接、関係はないかな……?」
沙耶香は眉尻を下げ、曖昧に言葉を濁す。
どう説明すればいいのか迷っているらしい。口ぶりからしてそこまで厄介事というわけではなさそうだが、どこか申し訳なさそうな空気を感じる。
「詳しくは後で説明しよう。稽古の後、少し残ってくれ」
「はあ、わかりました」
そこで会話を打ち切り、俺は借りた道着と防具を身に着けて稽古に参加する。
素振りなどの型の練習が終わると、2人ずつ練習試合が行われることになった。
「俺と勝負しやがれ!」
「次はこっちだ! 今日こそぶちのめしてやる!」
何故か練習試合が始まるや、数人の男子門下生が勝負を仕掛けてきた。
目を血走らせて挑んできたのは同年代かちょっと上くらいの年齢の門下生。いずれも沙耶香が目当てで道場に通っている連中だ。
ゴールデンウィークには一度叩きのめしてやったのだが、どうやら根に持っていたらしい。
先ほど、沙耶香と声を潜めて話し合っていたところもしっかりと見られていたらしく、男達の瞳には嫉妬の感情があからさまに浮かんでいた。
「おらあ、相手しろやあ!」
「……別にいいけどさあ」
もはや敵意を隠そうとしない男達に、仕方がなしに了承する。
【剣術】スキルはゴールデンウィークよりもずっと成長しており、身体強化系統のスキルだって上がっていた。
もはや彼らに勝ち目などないのだが……そんなことは説明しようがない。
それから30分後。
道場には、俺に叩きのめされた男性門下生が死屍累々と並ぶことになるのであった。
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