回想
その日、私は会社を休んだ。どうせたまった有給だ。何の問題もない。
女の子は眠っている。ソファーで私の太腿に頭を乗せて眠っている。まだ正午前だ。お昼寝には早すぎる。寝る子は育つというが、それで夜眠れなくなったら困りものだ。
私は洗い立ての髪をそっと撫でてみた。くせのない真っ直ぐな髪は触り心地がとてもいい。私の使っているシャンプーの匂いも、女の子からはまるで別もののように香る。なんというか、女の子の匂いだ。
この気持ち良く間延びした時間を、本当は何の心配もなく過ごしていたはずだった。ただ、普通に過ごしてさえいれば続いていたはずの時間。
二年前の初夏。結実が死んだ。
梅雨があけて、短い夏が始まろうとしていた矢先だった。
その前年の十月、私達家族は東京からこの地へと引っ越してきた。大学の先輩が継いだ会社に引き抜かれてのことだった。市は違うが私もこの県出身で、それに実家に一人残した母のことが心配だったのも後押しした。
当初妻は反対していたが、役付き待遇で給料が上がること、同居しないということで折れてくれた。四歳の結実にかんしても、小学校前ならあまり影響はないだろうとの判断もあった。
「さあ、ここが新しい家だよ」
この機にマンションを購入したのは、妻の強い意向があってのことだ。新築特有の壁紙や家具のにおいを自分達のにおいにしていく、そんな期待を孕んだ嬉しさを家族で共有していたと思う。それは、当初反対していた妻の笑顔であったり、結実がお気に入りのお絵描き道具で、さっそく室内の絵を書き始めたことでも確かだった。
結実とは一つ約束をしていた。眠る前に私が語って聞かせた、ほたるの光が溢れる川に連れていくと。私の実家付近にある名所だ。そこで思いっきり絵を書きたいと、祐実は顔を輝かせた。まだほたるを見たことがない結実とのささやかな約束だった。
滑り出しは順調だった。やり甲斐のある仕事、幼稚園に楽しそうに通う結実の笑顔、広くなったキッチンで腕をふるう妻。問題などはなかった。
しかし、やがて妻がおかしくなり始めた。秋も終わり、冬に入って年も越していた。最近、疲れた、食欲がないとの言葉が口癖のように出るようになっていた。専業主婦の妻は、結実の幼稚園の送り迎えしか外に出ることはなく、むしろ、なるべく外には出たくないという風にも思えた。あんなに社交的だった妻が友人関係も構築できずにいた。
そして二月のある日、妻は爆発した。