14.『感情』
――それは何という事はない、一方的な狩りの筈だった。
自らが紛れるに都合のいい暗闇に、そこで繁殖している薬草や食料。
そういった物を取りに来る人間はとても多く、実際狩りは順調だった。
人間はとても、とても脆弱だから爪で一刺しするだけで簡単になれ果てる。
成れの果てになった人間は最後に抱いていた感情を強く、強く抱き続ける為、絶対にこちらを傷つける事はありえない。
愚かにも、恐怖と絶望に塗り固められた人間は成れの果てになった後も人間のぬくもりを求め、救いを求め、勝手に人間を殺し、素材を増やしてくれるのだ。
ああ、なんと簡単なのか!
自分は他の害獣とは違い、こうやって考える事ができる。
頭を使って、より効率的に……そしてより楽しく、物事を行う事ができる。
――自分は、何よりも特別な存在なのだ。
無論、悪神様の直轄である彼らと比較すれば格段に落ちるだろうが――それも今だけのこと。
こうして多くの人間を害し、殺し、狂わせ続ければいずれは自分も悪神様の目に留まる事となるだろう。
それはそう難しいことでも、遠いことでもない。
何しろ、人間たちは馬鹿で愚かで、群れを成して来る者なのだから。
事実、自分の狩りはとてもとても順調だった。
暗がりから爪で傷つけるだけで、簡単に人間は死ぬ。
成れの果てをけしかけるだけで、簡単に殺し合う。
武装した集団であれど、それは変わらない。成れの果てを見るだけで震える人間どもは、とても愉快で――……
「……っ、ガ、ァ――!!」
――だと言うのに、何故。
何故自分は、こうも追い込まれている?
何故取るに足らない、愚かで愉快な人間なんかに、追い込まれているのだ?
「よくも仲間たちを……!!」
「貴様は……貴様だけは――ッ!!」
おかしい。
こいつらは、異常だ。
恐ろしくはないのか? 自分の爪は触れるだけで相手を冒す猛毒だ。
ただの一掻きで良い。ただそうするだけで、人間は遅かれ早かれなれ果ててしまうというのに――!?
「ウットウシイ、ゾ――ニンゲン――ッ!!」
「……っ、が、ぁ……っ!!」
しつこく食い下がってくる人間に、爪を突き立てる。
たったそれだけで人間は苦悶の声を上げながら、醜く膨れ上がり、なれ果てていった。
そうだ、恐怖しろ。恐怖して、縋り付け。
無様に同士討ちをして、恐れ合え――!!
「――こ、ろす――ころす、おまえ……だけは――」
「……ナ、ゼ」
何なのだ、この人間たちは。
何なのだ、何なのだ、何なのだ……この、感情は!?
狂っている……こいつらは、狂っている!何故恐れない、何故恐怖しない、何故――
――何故、なれ果てたと言うのに、自分に襲いかかってくるのだ――!?
「こ、ろす、ころす、ころすころすころす――!!!」
「グ、ギ――ア、アアアアァァァァァァ!!!!!」
腕に、体に組み付いてくる醜い成れの果てに爪を突き立てる。
毒を過剰に送り込めば、それだけで成れの果ては自壊し、砕け散り、爆ぜて――
「グギ、ァ――……ッ!?!?」
――その瞬間、鈍い痛みと共に視界が暗闇に閉ざされた。
何だ、何だ……何を、された――!?
そうだ、最初もそうだった。何故この、自分に有利なはずの暗闇でこんな――狙いすましたような、攻撃が――!!!
「い、ま――い、って……ラビ、エ……リ――ッ!!」
「ああ……っ、全員離れて!ありったけを、叩き込んでやる――!!」
「――――……ッ!?!?!?」
……人間の喚き散らすような声と同時に、全身が凄まじい熱に包み込まれた。
本来ならば、この程度は問題はない。
自分の羽はこの程度の熱では焼けないし、何の問題もなく耐えきれる、筈――だった。
「ガ――ァ――ッ」
……千切り取られた部分の、肉が燃えている。
あ、あ――ああ、ああ……っ、馬鹿な、こんな馬鹿な……!!
燃えていく、燃えていく――自分の体が、燃えて、焦げていく……!!
何なのだ、何なのだ――何故、こんな事に――!?
人間は取るに足らない、ただの素材に過ぎない存在だったはずなのに……!!!
「――ギ、グ――ァァ……ッッ!!!!」
渾身の力で体を振るい、炎を振り払う。
……身体の内から湧き上がるその何かに、自分は震えが止まらなかった。
にげ、なければ……逃げなければ、逃げなければ――この、狂った生き物たちから、逃げ出さなければ――!!
「おのれ、逃がすものかァ――!!」
「グ、ギュ――!?」
体に、何か重たいモノが叩き込まれる。
普段ならば耐えきれた筈のそれは、今の自分には余りにも重く。
「良くやったギース!これで終わりだ、化物――!!」
「カンナさんの……っ、今まで犠牲になった人達の分、受けてもらうよ!!」
「ギ、ガ――ァ――ッ」
――突き立てられていく刃。
焼け焦げた肉では、弱りきった体では、それを防ぐことは出来ず――何も見えなければ、それから逃れることも叶わない。
……おそろ、しい。
恐ろしい、恐ろしい――何なのだ、この、狂った生き物は。
自分は特別な存在だった、筈なのに……こんな、こんな恐ろしいモノに、出会ってしまった、ばっかりに……
あ、ぁ……怖い……怖い……恐ろしい……
こんな感情を、味わうくらいなら……初めから……こんな、知性なんて……
/
「……っ、終わった……の、か?」
「まだ、油断しないで」
――ラビエリの炎で焼かれ、パラディオン達から更に追撃を受けた鳥頭の害獣は、地に伏せたまま動かなくなった。
黒い体には矢が、槍が、剣が――そしてギースが咄嗟に投げつけた斧が突き刺さっており。
どう見てももう生きていないように、見えるけれど……この害獣は明確な知性を持った相手だ。
騙し討ちを目論んでる可能性だってあるし、油断するべきではない。
「君達はこの害獣の様子を見ておいてくれるかな。僕らは……彼らの様子を見てくるよ」
「了解しました、お気をつけて」
リーダーはリズに声をかけると、彼らの様子を――彼らの不死性がどうなっているのかを、確認しに洞窟の奥へと向かった。
……彼らの地獄が終わっていると良いのだけれど、と心の底から思う。
一応、先程の戦闘でこの害獣の爪であれば、仮に彼らの不死性がそのままで有ったとしても、或いは殺せるかもしれないとは、思うのだけれど。
出来うることなら、最後は……最期だけは、どうか安らかに、苦しみ無く終わらせてあげたかった。
――カンナさんの、そして途中で鳥頭の害獣の犠牲になったパラディオンの行動で、僕らははっきりと――そうなってしまった後でさえ、彼らには意志が残るのだという事が、理解できてしまっていて。
だからだろう、鳥頭の害獣の様子を見ながら……恐らくは駆除し終えたというのに、どうしても気持ちは明るくはならなかった。
洞窟の中ということや、誰も口を開かなかったからか、空気は暗く、重く――……
「……まあ、何だ。兎も角終わったんだ、それで良しとしようや」
そんな空気を晴らそうとするかのように、ギースは努めて明るくそう言葉にすれば、笑みを浮かべた。
僕らもそれにつられるように、軽く笑みを零してしまい――うん、ギースの言うとおりだ。
兎も角これでおおよそは終わったのだから……引きずっても仕方がない。
「貴方の楽天的な所は、こういう時には役に立ちますね」
「おいおい、素直に褒めてくれても良いだろう」
「これでも褒めているつもりなのですが……ふふっ」
リズの冗談めいた言葉に、空気は明るくなり……やがて、洞窟の奥へと彼らの様子を見に行ったリーダー達が戻ってくる。
彼らも何処か安堵したような、そんな様子で――その様子だけで、今回の犠牲者達が不死から抜け出せたのが理解できて。
僕もミラも、アルシエルもラビエリも――そして、明るく振る舞っていたギースとリズも、ほっと息を漏らしながら、リーダー達に手を振った。
「……どうやら、この害獣も本当に息絶えたようだね。しかし、恐ろしい相手だった」
「ええ、本当に――知性のある害獣なんて、本当に居るんですね」
僕の言葉に、リーダーは小さく頷くと……害獣に突き立てていた自分の剣を引き抜き、ドス黒い血を拭い。
剣を鞘に仕舞うと、小さく息を漏らしながら過去を思い返すように、彼は顎に指をあてた。
「本当に数は少ないがね、居ない訳ではないよ。僕も遭遇したのはこれで三度目だし、ここまで悪辣なのはコイツが初めてだったけど」
「……リーダーでも、3回だけなんですか?」
「うん、20年以上パラディオンを続けてきてそのくらいしか出会ったことがない。どれも大きな被害を出してきたけれど――今回は、性質から考えたら被害は少ない方かな」
……パラディオンを何人も失い、多くの犠牲者を出した今回の件でさえ、被害は少ない方だと彼は語る。
確かに、この鳥頭の害獣の性質から考えれば……もっと被害が大きくなっていても、下手をすれば小隊が全滅してたっておかしくはなかった。
それほどの相手に、これで済んだのはきっと――
「――カンナの遺体は、今僕の班員達に集めさせてるよ。殆ど残っては居ないけれど、せめて……ちゃんと埋葬くらいは、ね」
「は、い」
「君はどうやら、まだ犠牲を出すことに慣れていないようだ。それは良い事でもあるけれど……もう少し、慣れたほうが良い」
リーダーの手が、優しく僕の頭を撫でる。
……言われた通り、僕は……助けようと、何とかしようと思ったのに、結局カンナさんに助けられて――彼女を犠牲にした事が、心に重く伸し掛かっていた。
もしかしたら、彼女がああしなくてもどうにかできたんじゃないかって、終わった後で考えてしまって。
……どうしても、その考えを消すことが出来なくて。
「カンナは、彼女自身の意志でああしたんだ。君が気に病む事ではないし――気に病むくらいなら、次この害獣に出会った時の手立てを考えておく方が余程、彼女の為になるよ」
「……そう、ですね」
「君はまだ若い。これから先は、君達が僕らのように――……?」
――そこまで口にして、不意にリーダーの言葉が止まった。
顔を上げれば、彼の視線は洞窟の入口の方へと向いていて……つられてそちらに視線を向ければ、そこには幽鬼のようにふらふらと歩く白髪の誰かの姿が、あって。
「――カイン? どうしたんだい、行者と一緒に戻ったんじゃ」
「……あ、あ……たおし、たんだ。それ」
リーダーに言われて、初めてそれがカインだと気付いた。
彼は倒れ伏した害獣を見ながら、興味無さそうにポツリと呟いて……そんな彼に、リーダーは心配そうに声をかける。
けれど、カインはそれに興味が無いと言った様子で、ふらり、ふらりと僕の方へと近づいてきて。
「――ウィル。ウィルで、良かったよね?お前の、名前」
「え、あ……う、うん」
「うん、よかった。一応さぁ……覚えておかないと――ね」
彼の言葉に答えれば、ひっ、とカインは喉を鳴らしながら、笑った。
何か、おかしい。
以前のように憔悴しきった様子じゃなく、その目は明らかに、明確な意志を宿して、いて――……
「――だって、殺しちゃったら二度と聞けないからさぁ」
――どん、と、突き飛ばされるような感覚。
見れば、目の前には――剣を構えたリーダー、と……それに向けて剣を振り下ろしたカインの姿が、あって。
「……っ、ぐ――狂ったか、カイン=アラベイル……!?」
「邪魔しないでほしいなぁ、ざぁこ。ああ、でも……そっか、ははっ。あはははははっ」
キン、という音と共に、リーダーが構えていた剣の――その刀身が落ち、同時にリーダーの顔から、肩から――そして腕から、鮮血が迸る。
ただ剣を振り下ろしただけで、防ぐために構えたリーダーの剣を文字通り切り落としたカインは、少し鬱陶しそうに声を漏らしながら……しかし、すぐにケタケタと笑い始めた。
その笑い声に、そしてリーダーの叫び声に異変に気付いたのか、パラディオン達が彼へと視線を向けて――
「――すぐに殺したら、つまらないもんねぇ。ひひっ、あははっ。ウィル……ねえ、ウィル」
「カ、イン……お前は、何をして」
「いずれ……いずれ、ひひっ。ああ……もうオラクルなんて、どうでもいいや……!必ず、いずれお前を……絶望の淵に、立たせてあげるよ。約束する」
そんな中、カインは狂ったように笑いながら僕へと視線を向けた。
……わけが、わからない。
彼はパラディオンで――そんな彼が、何故リーダーを傷付けたのかも、わからない。
「――っ、カイン=アラベイル!お前は何をしているんだ――!!」
ただ、許せなかった。
全てが終わり、後は帰るだけで――苦闘を終えて、犠牲も少なく済んで。
それを――それを、ぶち壊しにした目の前の男が許せなくて……僕は剣を抜いた。
――抜いた、つもりだった。
「あはっ、はは……焦るなよ、ウィル。ふふっ、ひひ……っ、今はまだダメだ、だって――まだ、今やったって、お前は絶望なんて、しないだろう?」
「――ッ!?」
いつ、剣を振るったのか。
短く鋭い金属音が聞こえたかと思えば、僕の剣は根本から切り裂かれており――……
「――お前を殺すのは、まだ先だよ……ひひっ、安心して、幸せに暮らしてるといいさ……っ」
僕の耳元でそう囁やけば……他のパラディオン達が集まってくるより早く、カインはその場から悠々と立ち去って。
――その日以降、カイン=アラベイルはパラディオンの如何なる支部からも、姿を消した。




