7.取捨選択
交代で見張りをしながら迎えた翌日。僕らは火の始末をした後、テントを畳み拠点を移すことにした。
ミラからの提案で、ここからあの巨大な害獣が見えた場所とは逆方向へ行こう、という事になったのだ。
確かに此処に居てはアレの注意を引くことになりかねないし――多分、僕らではアレは手に負えない。リターンのないリスクは犯すべきじゃないだろう。
そんな訳で荷物を纏め終えれば、僕らは川の上流へ。
途中、何度か小さな方の害獣に出くわしたものの、2人ならば苦労する要素など微塵もなく。それでも大量の害獣に囲まれることはないように、慎重に進んでいく。
まあ、慎重に進んでいる理由の半分は、あの巨大な害獣なのだけれど。
「ウィル、そちらは?」
「大丈夫、居ないよ」
互いに短く言葉を交わしながら、足元に居た害獣を剣で突き刺し、払う。
……しかし、この害獣も不思議なものだ。ミラは叩くのは有効ではない、と言っていたがその理由は2つある。
一つは、弾力性に富んだ体皮。どういう仕組か、どんなに強い衝撃を加えても破れることもなければ、傷がつくこともない丈夫さを持ち、そのせいでこの小さな害獣は上から踏みつけても全くと言っていいほど効果がない。
そして、もう一つは――軽い。兎に角、軽いのだ。花の分の重量も有るはずなのに、信じられない程に軽い。どれだけ軽いかと言えば、それこそ手の上に載せても重さを感じられない程に。
その癖、この小さな害獣は体の大きさの割に力が強かった。だからこそ僕らに向かって素早く跳躍出来るのだろうけれど……振り払われないように、そうなっているのだろうか。
「……不思議だよね、本当に」
「害獣に感心してる暇があったらしっかり索敵しろ、全く」
……そんな事を少しミラに話したら、呆れ返ったような顔をされた上に怒られてしまった。まあ、至極もっともな話しではあるが。
そうして、しばらくの間川をさかのぼった頃。鬱蒼としていた木々の先の光景が、僅かに変わった。
木々が途切れ、暖かな光が溢れる。一瞬、花園の外に出てしまったのかと思ったけれど……慎重に進んできたのだし、流石にそれは無いと思いたい。
外から見た花園はかなり広大なように見えたし、何より花々はその先へと続いているのだから。
ミラと互いに視線を合わせつつ頷けば、少しずつ前へ。徐々に視界が開ければ、眩しさに目を細め――
「――おお」
――隣りにいたミラが、感嘆の声をあげた。
僕も、思わず声をあげそうになる。目の前の光景は、それほどまでに綺麗で幻想的だった。
目の前に広がっていたのは、一面の花園。色とりどりの花びらが風に揺れ、舞い散っていく。甘い香りは森の中より強く、強く。足は自然とふらりと、前に出そうになって……
「……って、馬鹿ッ」
慌てて頭を左右に振って、頬を叩く。
何を考えていたんだ、僕は。美しい風景で、見通しもよく、一見敵なんて見当たらないけれど……ここは、あの小さな害獣の生息地。
こんな広い花園なんて、どれだけの害獣が居るのか想像もつかない。
うっかり前に踏み出そうものなら、みすみす害獣の巣にでも飛び込むようなものだ。今まであの害獣に対処できていたのは数が集まる前に倒してきたからであって、大量のアレに囲まれたならきっと、為す術もなく――
「ミラ」
「心配するな、大丈夫だ」
ミラの肩を軽く叩けば、短い言葉が返ってくる。どうやら僕よりもミラの方が、現実に戻るのが早かったらしい。
そんなミラを頼もしく思いつつ、改めて目の前に広がる花園へと視線を向けた。
円形に広がっている花園の広さは、おおよそ150~200m程度だろうか?正確に測るすべはないけれど、相当に広く、そして木の1本すら生えていない。
地面は全て花で埋め尽くされており、土も見えず。それ故に、この広い場所にどれだけの害獣が潜んでいるのか、想像する事さえ出来なかった。
そして、その中央――花が咲き乱れるその場所に、そぐわない物が一つ。
「……あれは、まさかテントか?」
そう、花園の中央辺りに……僕らが先程使用していた、養成所から支給されたテントがあったのだ。
よりにもよってこんな場所に拠点を作るなんて、正気とは思えない。あの場所じゃあ害獣に襲ってくださいと言っているようなものだし……何より、逃げ場が無い。
この花園全部の害獣を駆除した、というわけでも無いだろうし……これは、流石に見ていられない。
何とかあのテントに近付いて、あんな馬鹿げた事は止めさせなければ――
「待て、ウィル。何をするつもりだ」
――そう思って前に進もうとした僕の肩を、ミラが掴んだ。
何をするつもりかなんて、決まってる。
「あんな所にテントを作るなんて危険すぎる。助けないと」
「……馬鹿か貴様は。私達も餌食になるだけだぞ」
「それは……」
ミラの言うことはもっともだ。あの場所に向かう前に、害獣に囲まれて……なんて事もあり得るし、そんな事になっては無意味も良い所だ。
どうにかあの場所に辿り着いたとしても、今度はどうやって脱出するかという話になる。
確証はないが、この花園は間違いなくあの小さな害獣の巣窟だ。テントのある場所は何とも都合の悪い事に、その巣窟の中央近く。あんな場所まで行けば、脱出出来るかどうか危うい。
「……でも、助けないと」
「お前は……」
ミラは心底呆れた表情で僕を見て、綺麗な赤い髪の毛をくしゃくしゃと掻きながら暫く唸り……そして、口を開いた。
「お前は、あんな連中の為に命を張るのか?」
「……」
あんな連中、というのは多分……いや、間違いなく、あんな場所に拠点を構えた相手のこと。そして、同時に僕とミラの同期生のことだろう。
その言葉に、思わず返答を一瞬だけ躊躇った。彼らのために命を張るのか、と言われると首を縦に振ることは出来ない。
罵詈雑言を浴びせてきた彼らのことを別に恨んでいる訳ではないけれど、同時に好んでいる訳でもない。好んでいる筈がない。
そんな相手のために命を張るなんて、馬鹿げている。それは確かにそう思う、けれど……
「……僕は、パラディオンにならないといけないんだ」
……けれど。僕がなりたいと思っているのは。なろうとしているのは、そういうモノだ。
嫌いな人間、疎ましい人間、好きな人間、愛おしい人間、その有象無象を関係なく守るモノ。父さんや母さんのようになる為に、僕はこうして今まで生きてきたし、これから先だってそうやって生きると、そう決めている。
だから、助けないといけない。
僕の言葉にミラは少しだけ黙った後、大きくため息を吐き出して。
「――理想家め。せめて何かしら策を考えてから行くぞ」
「え、でも」
「私もパラディオンを目指している。助けられるなら、助けるさ」
無論無理なら諦めるがな、と付け加えながら……ミラは視線をテントの方へと向けた。
……ミラの言う通りだ、冷静にならないと。無策で突っ込んで死ぬなんて、本当に馬鹿げた事だし――なにより、今はミラと組んでいるのだ。
自分の軽率な行動がミラを巻き込むことになる事を、完全に失念していた。ずっと自分一人でやっていたせいかもしれないが、言い訳にもならない。
「……ごめん、ミラ」
「気にするな、それよりも考えろ」
ミラの言葉に小さく頷けば、どうやってあんな場所にテントをたてた連中を助けるかを考える。
……なぜだか、そんな僕を見ながらミラが少し笑っていたような気がした。
/
少しの話し合いの後、方針が決まった。
先ず、あのテントまでは向かう。無事だった場合は、張り倒してでも花園の外へと引っ張り出す。
もし直ぐに救助するのが難しい状況だったなら、周囲の花を焼き払ってある程度の安全を確保し、状態が良くなるまで籠城する。
……万が一、全員死亡していたなら即時撤退。遺体の回収は先生たちに任せる。
僕らはそう決めてから、松明に火を灯すと花々に消えない程度に押し当てた。当然、直ぐに燃え広がる事はない。魔法を使えば直ぐに広範囲を燃やす事も出来たが、戻る時、籠城する時のことを考えれば無駄遣いは避けるべきだろう。
少しずつ足元の花々を燃やしつつ、道を作っていく。時折現れる小さな害獣を切り、突き殺しながら進んでいく。
幸いだったのは、この小さな害獣が花のない部分に来ることを嫌う性質を持っていると知っていた事だろうか。こうして「道」さえ作ってしまえば、ある程度は安全にテントへと向かう事はできた――夜のことを考えるとあまり消耗したくない物を使ってしまう事は、頭が痛かったけれど仕方がない。
「……全く、こんな場所にテントなど……」
ミラは道を作る僕の背中側を警戒してくれていた。彼女自身、この場所が危険である事は理解しているからだろう。文句を口にしつつも気を抜いている訳ではなく、おかげで安心して道を作る作業に集中できた。
100mにも満たない距離をどの程度時間をかけたのか。黒く焼けた道をテント近くまで繋ぎ終えれば、僕らは聞き耳を立てる。
人の声はしない。流石にもう日が高いので眠っている、という訳では無い……と、思いたいが……否、むしろそうであってくれた方が安心できるかもしれない。
「……ウィル、準備を」
「うん、分かってる」
考えられるのは2つ。声が出せない程に身動きが取れないような状況にあるか、或いは――既に、死んでいるか。
出来ることなら、前者であってほしい。寝坊助であってくれても構わない。ただ、余り話した事もなく仲も良くない、そんな相手であっても死んでいて欲しくはない。
僕もミラも緊張した面持ちでテントへ近づけば、幕に手をかけて……そして、最悪の想像を振り切るように、思い切り開いた。
「――え?」
――テントの中に広がっていたのは、予想外の光景だった。
リュックサックから溢れた食料……というよりは、お菓子。遊ぶつもりでいたのか、地面に放り出されたままの嗜好品。毛布も投げ出されたままで、テントの中はまるで散らかった子供部屋のよう。
だが、問題は……いや、それも大分問題だとは思うけれど……それではなく。
「……誰も、いない?」
「おい、誰か居ないのか……?」
そう、テントの中には誰も居なかったのだ。毛布に触れてみれば冷たく、大分前から……少なくとも、昨日の内にはもう誰も居なかったような、そんな気さえする。
僕とミラはテントの中に入り、少し周囲を見回してみたが、当然ながら隠れられるようなスペースもない。
こんな場所にテントを立てて、人だけ綺麗に消えた、という事なのだろうか?
いや、そんな事はあるはずがない。あるはずがない、のだが……だとすれば、今は出かけている最中、という事になる。
……それこそ有り得ない。こんな不注意を犯すような連中が、無事に過ごせているとは思えないし……昨日の苦労とかの事を考えたら、そう思いたくもない。
「……取り敢えず、出るか」
「そう、だね」
釈然としない気持ちになりながらも、僕らはそう言葉を交わすと小さく頷いた。
……まあ、何がともあれ死体も無く、被害にあった同期生達も居なかったのだ。そう思えば、いい結果だったと思えなくもない。
無駄骨は負ってしまったが、誰かが死んでいた、なんて結果よりは何倍もマシだ。
肩から力が抜けるのを感じる。僕らはテントから出て、作った道を戻ろうと歩き出して――
――先程僕が作った道の、その中間。丁度その辺りを塞ぐように、何かがいる事に気付いた。
花の塊のようなそれは静かに、音を立てる事もなく。まるで盛り上がるかのように立ち上がれば……四足を真っ直ぐに伸ばした形になり。
胴体のような部分から音もなく何かが伸びれば、それは直ぐに頭だと判るような形へと変わっていく。
「……だから嫌だといったんだ、私は」
「よく言うよ、反対はしてなかったじゃないか」
その姿には見覚えがあった。音も立てずに動くその様には、見覚えがあった。
それは、昨晩見た巨大な害獣――馬のような形をした、花の塊だった。
花の塊は馬の形を象ったまま、暫くの間静止していたが……やがて此方へ視線を向ければ、可愛らしく首をかしげてみせる。
色とりどりの花で出来ている事もあって、その様は愛らしいと言えない事もない、が――
それ以上に、不気味だった。3m超の巨体が此方を見ている、その事実だけで背筋が凍りそうになる。
作っておいた退路は塞がれた。逃げるにしても、咲き乱れる花々の間を抜けようとすれば、恐らく凄まじい数の小さな害獣に襲われるだろう。
何より、あの巨体がどれだけの速度を出せるのかも、此方にはわからないのだ。大きさも足の長さも上の相手に対して背を向けて逃げるのは、余りにもリスクが高すぎる。
「……ウィル、場を」
「そう、だね。やるしかないか」
ミラの言葉に覚悟を決める。逃げる事も出来ないなら、立ち向かうしか無い。
何も倒すまでしないでも良いのだ。何とか逃げるだけの隙を作って、あの巨体の向こう側まで行ければいい。
あの巨体なのだから、森林にさえ入れば何とかなる筈だ。多分、きっと、恐らくは。
短く息を吸い、吐き出す。剣先を弧を描くように振るえば、そこから炎が巻き起こった。
花を焼き払いつつ、十分に戦えるような足場を確保。少なくとも、目の前の巨大な害獣を相手にしている間は、小さな害獣に邪魔されないように。
……この規模の魔法が使えるのは、精々あと1回。それ以上使えば、多分動けなくなるだろう。
もっと魔法の才能があれば、この広い空間を焼く事も可能だったのだろうけれど……無い物ねだりをしても仕方がない。
ミラが槍を携えながら、前に出る。
僕は彼女の邪魔にならないように弓を構え――
――その瞬間。目の前の巨大な害獣の……花の馬の「全身」から、甲高い音が鳴り響いた。