15.別れの時
――ウィル達が私物を纏めている中、私は特にやる事もなく手持ち無沙汰になっていた。
『新種』を討伐し、報告書を本部へと送ったウィル達が、もうこの街にとどまる理由は無く。
同様に、私も――記憶を、全てを取り戻した今。
この街に、そしてこの教会に居る理由は何一つ有りはしなかった。
色々な審査や検査などは有るだろうけれど、本部に戻れば私は元通りパラディオンとして再び活動出来るだろう。
それは喜ばしい。とても喜ばしい、ことのはずだ。
「……少し、部屋を見てくるよ」
「あ、うん。まだ時間かかると思うから、ミラは自由にしてていいからね」
ウィルに言葉をかけてから、部屋を出る。
教会にはいくつか部屋があるが、私は……私が、ここ2ヶ月程過ごしていた部屋へと向かっていた。
元に戻ってからは使っていないその部屋は、中に入れば誰も使っていないにも関わらず清潔に保たれていて。
「……シスター、か」
あの時にはちょうど良かった……今の私には余りにも小さすぎる椅子に腰掛けながら、部屋の様子を眺める。
元に戻った今でも、この部屋はまるで自分の部屋のように感じられてしまって……私は思わず、苦笑してしまった。
要するに、私は寂しいのだ。
あれだけ苦痛に満ちた2ヶ月の中で、この部屋と……そして、シスターと共に居る時間だけが、安らいでいたから。
だから、ここから離れるのは、どうしようもなく寂しくて。
「全く、子供か私は」
そんな自分に小さく息を漏らしつつ、部屋の中に置いてある物を見て回った。
子供らしい小物や、ぬいぐるみ。勉強をしようと思って、結局扱いきれなかった筆記用具。
棚に入っている紙束を見れば、そこには……拙い字で、たどたどしく。恐らくは日記のつもりだったのだろう、今の私には良く判らない文字が書かれていて。
「へったくそな字だな、全く」
思わず苦笑しつつも、その紙束に書かれているものが教会での日々だという事は解っているから、私はベッドに軽く腰掛けると、その紙束に目を通し始めた。
紙束に書かれている文字は稚拙で歪んでいて、とても読めたものではなかったけれど。
それでも不思議と……いや、私自身が書いたのだから当然なのかもしれないが、おおよその内容を理解することが出来た。
『きょうは しすたーにおほんを よんでもらった。よんでもらったけど なにをよんでもらったのか おもいだせないけど うれしかった』
『きょうは しすたーのおてつだい しようとして ものをこわしちゃった しすたーにおこられるって おもったけど しすたーはおそーじの しかた おしえてくれた』
『きょうも おもらししちゃった けど しすたーに おきがえさせてもらった あたらしいおよーふくは ふわふわで きもちよかった』
「……まったく、本当にどうしようも無かったんだな、私は」
紙束を捲りつつ、その内容に思わず笑みを零しながら。
言葉の使い方も、書き方も滅茶苦茶なそれを見て、しかし私は酷く懐かしい気持ちになっていた。
今となっては、あの日々は遠い過去のように思えてしまって……でも、同時に確かにあったことなのだと、私の胸に深く刻まれていて。
そんな奇妙な感覚を覚えつつ……紙束を読んでいけば、どれもこれもシスターの事ばかりで。
他の事はと言えば、まあ……言うまでもなく、私の失敗くらいだった。
紙束を読み終えれば、元に戻しながら改めて部屋を見る。
あの時はとても広く思えていたのに、今では手狭に感じてしまう、私の――私のものだった部屋。
シスターが用意してくれた洋服も、本も……もう私のものではないのだな、と思うと妙に寂しくて。
「――誰か、いらっしゃるのですか?」
そんな感情を抱いていると、控えめなノックと共に扉が開き。
シスターは少し驚いたような顔をしてから、以前のように……前から私に向けてくれていた、変わらない笑顔を見せてくれた。
「ミラさん、どうかしたのですか?」
「いや……少し、懐かしくなったので」
私が苦笑しつつそんな言葉を口にすれば、シスターは私の隣に腰掛けた。
……あんなに大きくて頼もしく感じられたシスターは、私よりも頭一つ分は小さくて。不思議な気分になりながら……私はなにも、言葉を口にする事が出来ず。
「……良かったですね、ミラさん」
そんな私を見兼ねてか、それとも場の空気に耐えられなくなったのか。
シスターは優しい笑みを浮かべたまま、以前のように……私に言い聞かせるような声色で、話しかけてくれた。
それが少しだけ嬉しくて、私は胸の内が暖かくなるのを感じながら、こくん、と頷いて。
「シスターには一杯、迷惑をかけてしまったな」
「あら、私はミラさんの事で迷惑なんて思ったことは有りませんよ?」
「……で、でも、その……色々と」
「ふふっ、確かにミラさんと過ごす日々は少し大変でしたが」
私の言葉に、シスターは笑みを零しながらそう言うと、私の肩をそっと抱き寄せた。
とくん、と胸が暖かくなり……酷く、安心してしまう。
シスターはとん、とん、と。優しく私の肩を撫でながら、まるで子供をあやすようにしてくれて。
「……私は、ミラさんと一緒にいて楽しかったですよ」
「シスター……」
「ミラさんに本を読んだり、お掃除を教えたり。一時は、女神様への祈りを教えた事もありましたね」
……覚えている。
膝の上に載せられて、絵本を読んでもらったこと。
教会の掃除を教えてもらったこと。女神様への祈りの仕方を教えてもらったこと。
その内の、掃除と祈りの仕方は結局最後まで覚える事は出来なかったけれど。
それでもシスターは優しく、私がやりたいと口にした時は親身になって教えてくれた。
「まあ、殆ど覚えられませんでしたけど、ね」
「それでも、ミラさんは一生懸命覚えようとしてくれていました。私は、それが嬉しかった」
自嘲気味に出した私の言葉に、シスターは私の肩を抱く力を少しだけ強めて。そして、その言葉を否定するように頭を振った。
……才能が殆ど全てのようなこの世の中で、シスターはそれに関係なく私に接してくれて。周りの人たちがどんなに私を蔑んでも、シスターは私を見捨てないで居てくれた。
あの時は判らなかったけれど……今になってやっと理解出来たけれど。
だからこそ、私はシスターを、心の底から敬愛していたんだ。
「ミラさんは、これから元の生活に戻るのですよね」
「……は、い」
「私は、心からそれを祝福します。害獣に襲われ、何もかもを失い、それでも――努力をするような人であった、そんなミラさんが救われる事を、心の底から嬉しく思います」
優しい、心に染み入るようなシスターの言葉に、勝手に目から雫がこぼれ落ちる。
――その言葉はとても、とても優しかったけれど。
同時に、シスターからの別れの言葉でもあって……それが、とても、とても寂しくて。
「……っ、シス、ター……っ」
「……大きくなっても泣き虫なのは変わりませんね、ミラさんは」
ボロボロと泣きながら声を漏らした私の頭を、シスターは優しくその胸元に抱きとめてくれた。
ぽん、ぽん、と優しく撫でてくれるその手は、あの時のままで。
少しだけからかうような、しかし優しさに満ちたその言葉に、私はしばらくの間嗚咽を漏らしながら、彼女にすがり続けた。
――そうして、翌日。
荷物をまとめ終えたウィルと共に、私は教会を去る事になった。
別れは既に済ませたから、寂しさこそ感じる事はあっても後悔はなく。
「そうだ、ミラさん。これを」
教会を出る段になって、シスターは何か本のような物を私に手渡してくれた。
それは――そう、確か。以前シスターに、読んでもらったような。
少し懐かしい、しかし内容は思い出せない、そんな子供向けの本で――……
「ミラさんが好きだった本です。少々子供向けかもしれませんが、よろしければ」
「……有難うございます、シスター」
私はそれを受け取れば、少ない荷物の中にしまいこんで。
子供向けの本だというのに、少しだけ楽しみな、そんな気持ちになりながら……シスターに深く、深く頭を下げた。
「――どうか、お元気で」
「はい。ミラさんも、どうかご健勝でありますように」
互いに短く言葉をかわすと、私も、そしてシスターも笑みを零して。
そして……私はウィル達の元へと足を進めた。
パラディオンは多忙だ。ここは本部からも遠いし、もしかしたらこれが今生の別れになるのかもしれない。
でも、それでも――私はここで過ごした、恐ろしくも暖かだった日々を忘れる事は無いだろう。
「……あれ? きょうはのーなしいないのー?」
「ちぇー、のーなしであそぼうとおもったのにーっ」
教会から出て、ウィル達と共に歩く最中。
小さな、まだ幼い子供たちがそんな事を口にしながら教会を覗き込んでいた。
私はそれに、軽く苦笑すれば――……
「こら、そんな事を言っているとその能無しに追い越されてしまうぞ?」
「な、なんだよーっ、そんなわけないだ、ろ……」
「わ……きれーなおねえさん……」
子供たちに、軽く。
少しだけからかうようにそんな事を口にすれば、ぽんぽん、と頭をなでて。
無事で良かったな、と口にすること無く、心の中で少しだけ安堵しながら。
「それじゃあな、今となってはそう悪くない日々だったぞ」
「……う、ん?」
「えっと……じゃあねー? おねえさんっ」
不思議そうにする子供たちに軽く手を振れば、そのままウィル達と共に街を後にした。




