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12.今、全てを

「――み、ぎ……ひだ……り、あと……う、え……っ!!」

「くそっ、がぜんげんきになりおってからに!!」

「う、く……っ、けんが、おもいぃ……っ!!」

「く……っ、でも、あとすこし(・・・・・)――」


 暗闇の中。

 既に弱っている筈の『新種』の猛攻に、僕らは劣勢に立たされていた。

 普段のままであったなら問題なく対処できたであろう触手の動きが、今の僕らには余りにも疾く、それに強く。

 リズは両手で何とか剣を持ち上げながら、剣に振り回されるようになりつつも触手に斬りつけるものの、その動きはとても緩慢で。

 本来なら金属製の剣など持ち上げることさえ困難な程に幼くされた今でも、辛うじて扱えている辺りはやはり才能の為せる技なのだろうけれど……害獣を相手にするには、余りにも心もとなく。


「きゃ、あっ!?」

「りず!? ち、ぃっ!!」

「りずから、はなれろぉっ!!」


 リズはそれでも懸命に剣を振るっていたものの、それを触手が軽く弾けば。

 元々剣の重さに振り回されていたのもあって、あっさりと尻もちをついてしまい――剣を落としたリズに向けて、触手が殺到した。

 朧気な輪郭が一気にリズの方へと向くのが見えれば、僕とギースは剣を、斧を振るい、触手を切り払っていく。

 僕は幼く非力になった今でも、幼い頃から父さんに鍛えてもらっていたのが幸いして、両手で持てば何とか剣を扱うことが出来ていたし……ギースも子供の頃から炭鉱で手伝いをしていたのだろう、力強く斧を振るえていて。

 剣と斧の切れ味が抜群だというのもあるのだろう、リズに殺到する触手を一本、二本と斬り裂いていき。


「りず、たって!はやく!」

「も、もうわけありま、せ――」

「……っ、う、えぇっ!!!」


 下水道に、アルシエルの幼い叫び声が響き渡る。

 触手をなんとか斬り裂いた僕らの頭上。

 幼くされたが故に生まれてしまった死角から、ぬるり、と何かが這いずるような音が聞こえて。

 それと同時に、立ち上がろうとしているリズの頬に、触手が――……


「きゃ……っ!?」

「こ、のっ!!はなれんかぁぁっ!!」


 ギースが雄叫びと共にリズの頭上を切り払えば、ぼとん、と床に何かが落ちた音が鳴った。

 重い斧を強引に振るったのもあるのか、ギースは呼吸を切らせてしまい。


「……っ、は、ぁ……っ、ぶじか、りず――」

「は、はい……あ……れ?」


 ――リズは、頬を触れるようにしながら、短く、短く声を漏らせば。

 顔を青褪めさせながら、剣を握り……そして、カラン、とその手から剣を取り落としてしまった。


「わ……た、し……どうやって、けんを……つか、って」

「――っ、らびえり!じゅんびはまだか?!」

「ま、まだ!もうちょっとだけまって……!!」


 突然剣の扱い方が、振るい方がまるで解らなくなったのか。

 リズは顔を真っ青にしながら、地面に落とした剣を握ろうと、振るおうとするものの。

 振るうどころか、先程のように持ち上げることさえ出来なくなっており。

 自分の内にあった物が消失した感覚に、リズは茫然自失となってしまっていて――ギースはそれを守るように斧を振るった。


「く……っ、りず、たって!うしろから、まほうでえんごを!」

「あ、ぁ……っ、は、はい……っ」


 ……ラビエリの準備にはまだ時間がかかるというのに、これはまずい。

 唯でさえ劣勢だったのに、リズが剣を使えなくなったのは痛すぎる……!

 触手は次第に街から戻り始めているのか、何本切り払っても一向に減る気配もないし、このまま持久戦なんて絶対に無理だ。

 僕の言葉に我に返ったのか、リズはアルシエルの隣に立って……まだ震えている体を奮い立たせるようにしながら、援護に回ってはくれたけれど……それでも、まるで足りていない。

 このままじゃ、あと1分も持たずに――……


「……あ、あぁぁ……っ、く、る……い、っぱい……いっぱ……い、くる……!!」

「ちっ!ここが、しょうねんばか!!」

「らびえり、あとどれくらい!?」

「……30びょう、くらい……っ、ううん、20びょうでなんとかする!!」


 アルシエルの言葉に、暗闇の奥へと視線を向ければ……そこから1本、2本、3本……10を下らない程の量の触手が這い出してくる。

 背筋が凍りつきそうになった。

 今の僕らでは、もうあの数を全て対処し切るのは不可能だ。

 遮蔽物を作ることも出来なければ、あの数を触れられずに切り伏せるのだって、難しい。

 ラビエリは必死な声で20秒と言ってくれたけれど、それさえ――無傷で乗り切るのは、不可能と言っていいだろう。


「――ぎーす、あるしえる」

「わぁってる、からだをはれってんだろう?」

「……っ、や、る……っ!」


 ……だから、僕は酷と思いながらも二人の名を口にした。

 ギースとアルシエルはまだ才能を失ってはいない。一度は触れられても、恐らくは大丈夫な筈だ。

 勿論、僕だって体を張る。

 ……ラビエリが要なのだから、そうしてでも彼に触れられないように、残りの時間を稼ぐしかない!


「こい、いっぽんのこらず、しまつしてやるわ……!!」

「――っ、あああぁぁぁっ!!」


 僕らの方へと殺到する触手に刃を向ける。

 動きは間違いなく鈍ってきている筈なのに、触手はまるで怒り狂っているかのようにうねり、僕らを消し去らんとしていて。

 成る程、『新種』も恐らく命の危険を感じて必死になっているのだろう。


 剣を振るい、斧を振るい、その触手を切り払っていく。

 普段ならどれだけ振るっても疲れない筈なのに、今の僕では剣が重く、既に呼吸は荒れきって、剣から手を離さないので精一杯になってきていた。


「ぬ、ぐ……っ!?」

「ぎーす!?」

「……っ、だいじょうぶ、だ!まだおのは、ふるえる!!」


 触手に触れられたのか、ギースは小さく声を漏らすものの……幸いというべきか、斧の才能は消されなかったらしく。

 呼吸を荒くしながら斧を振るえば、たった今自分に触れた触手を斬り裂いた。

 でも――既にギースも疲労困憊と言った様子で。額に汗を垂らし、呼吸を荒くしているのを見れば、限界が近いのは僕にでも理解できた。


 何とか触手を押し止めようと、切り払おうとするけれど、動きが鈍り始めた僕らでは抑えきれず。

 触手は次第に、狙いを僕とギースだけではなく、アルシエル達にまで向け始めれば――


「く……っ、こない、で……こないでぇっ!!」

「だ……め……っ、り、ず……!!」


 才能を消された感覚が蘇ったのか、リズは半狂乱になって叫びながら雷を四方八方に放ち。

 その殆どは狙いが定まっておらず、数本向かってきた触手を1本だけ落としただけで……投石紐(スリング)で何とか援護しようとしていたアルシエルにまで飛べば、リズを守ろうとしていた筈の投石はまるで違う方向へと飛んでいって。


「やだ、やだやだやだ……っ!!やめて、いやっ、いやああぁぁぁっ!!!」

「……っ!まずい、さがらなきゃ……!!」

「く……っ、そいつに、ちかよるなあぁぁっ!!」


 悲鳴を上げながら魔法を乱射するリズに触手が殺到するのを見れば、ギースは猛然と走り出した。

 透明な触手を切り、潰し――それはきっと、残っていた体力を振り絞ったものだったのだろう。

 触手に覆われようとしていたリズの姿がまだ残っている事に気づけば、ギースは荒く吐息を吐き出しながら膝を付き、声をかけた。


「っ、だ、だいじょうぶか?」

「……?」


 ……だが、リズはそんなギースに不思議そうな表情を向けて。

 ぼんやりとした表情をしたまま、何の言葉も口にすること無く――まるで、忘れてしまったかのように、先程まで恐怖で怯えていたとは思えないような、呆けた顔をするばかり。

 その様子に、ギースは短く声を漏らしつつ、震え……しかし、斧を杖のようにつきながら、立ち上がった。


「……っ、う、おおおぉぉ!!」

「く、そ……っ、かずが、おおすぎる……!!」


 ラビエリを守るようにしつつも、既に触手の数は10を超え……輪郭が微かに見える程度にしか捉えられないのもあって、正確な数はわからないけれど、僕らは完全に触手に囲まれてしまっていて。

 ギースは最後の気力を振り絞るように斧を振るう……が、それでも数の暴力には勝てる筈もなく。


「ぐ……ぁ……っ、あ……」

「ぎーすっ!? く、そぉ……っ!!」


 とうとう触手に数度、触れられてしまえば……ギースは斧を取り落とし。

 少年然としていた体は更に幼く、幼くされてしまえば、今のラビエリよりも幼い、赤子のような姿にされてしまった。

 記憶も完全にうしなったのか、赤子のようにぼんやりと周囲を見つめつつ、ギースは服に埋もれたまま声さえ上げなくなって。

 1人、また1人と、変わり果てた姿にされていく事に、僕は悲鳴をあげたくなったが――それを、ギリギリの所で堪えていた。


 ――唯一、幸いだったと言えるのは。

 『新種』が僕らのことを脅威と捉えているが故に、殺す事ではなく戦闘不能にする事を優先した、という事だろう。

 おかげで、変わり果てた姿にこそなれど、ギースもリズもまだ生きている。


 ……生きているのだから、まだ、助けられる。取り戻せる、筈だ。

 だから、なんとか……辛うじて、僕は自分を保つことが出来ていた。


「……っ、うぃる、きて!!」


 そして、全滅まであと一歩という所で準備が終わったのか。

 ラビエリの声に、僕は駆け出した。防具が脱げたりするのに、かまっている余裕はない。

 剣を引きずるようにしながらラビエリの元まで行けば、僕はラビエリに背を向けた。

 前方からは大量の触手。『新種』は僕らを消し去ろうと、その不可視の触手を殺到させていて。


「あるしえる、このさきにいるんだよね?」

「っ、う、ん!」

「――らびえり、おねがい!!」


 アルシエルに確認を取れば――僕は剣を前に突き出すように構えながら。


「……っ、いっけぇ、うぃる――!!」

「や、っちゃ……え……っ!!!」

「――……っ、く、ぅ……っ!!」


 ――その瞬間、背中から思い切り叩きつけるような。

 幼い体では踏みとどまる事などできやしない、そんな暴風が吹き荒れて――僕は、前方に……触手が大挙している方へと、吹き飛ばされた。

 僕らを覆い尽くそうと迫っていた触手はそれに反応できず、その脇を抜けるようにして暗闇の奥へ、奥へ。

 ラビエリの全ての魔力を込めた暴風は、僕を触手の源である『新種』の元へと運び――


「……っ、ぐ……っ!?」


 体に、何かが触れた瞬間。

 まるで体の内側を直接抉り取られたかのような、強烈な喪失感に僕は思わず声を漏らしてしまい。

 何かを失ったのかと思い、一瞬だけ思考を巡らせて――僕は、ミラと共に学んだはずの槍の使い方が、何一つ解らなくなっている事に、気がついた。


 ……構わない。後は、剣を離さなければいいだけだ。

 風で飛ばされながら剣をしっかり握り、前へと突き出す。この形を保つだけなら、問題ない。


「っ、ぁ……」


 それでも、体を襲う喪失感は止まらない。

 養成所で沢山特訓したはずの弓の扱い方が、解らなくなった。弓をどう引けばいいのか、そもそもどうやって矢を飛ばすのかさえ、理解できなくなった。

 拙いながらも世話になった、火の魔法の扱い方が、解らなくなった。火をどうやって作り出すのか、どんな事に扱っていたのか――記憶が、欠けた。

 今持っている筈の、剣の扱い方が判らなく、なった。どうやって振るのか、子供の頃からずっと、父さんに教えてもらっていたものが、全く、これっぽっちも思い出せなく、なった。


 悍ましい、恐ろしい……なにより、怖い。

 自分が、僕という存在が欠けて、壊されていく感覚。

 それを味わいながらも必死に立ち向かっていたリズやギースは、本当に凄いと思う。

 僕は、ただでさえ足りていない自分がボロボロに欠けていく感覚に、今にも泣いてしまいそうだった。


 ――でも、泣かなかったのは。きっと、それ以上に胸の内から燃え上がるような、そんな感情が有ったからだろう。


 そうして、多くのものが欠けていく中。なにもない筈の空間に、ドズン、と剣が突き刺さったような、そんな感覚を確かに感じた。


「――GUGIIIIiiiiii――!?!?!」


 同時に、先程とは少し違う、苦悶に満ちた断末魔のような悍ましい声が下水道に響き渡り――どぐん、と。

 体が圧し潰されるような、そんな感覚を覚えた。

 既に大きくダメージを受けている所に剣を突き刺したのに、なお『新種』は逃れようと、最後の力を振り絞っているのか……唯でさえ子供のようになっていた僕の体は、更に幼く縮み始め。


「……っ、こ、の――」

「GUIIIAAAAaaaa――!!!!!」


 全身から力が抜けていく。剣の柄が太くなって、握ることすら叶わなくなりそうになる。

 だが、それと同時に――得も知れぬ、黒い感情が。激情が、僕の中から抑えきれずに吹き上がった。


 ――ふざけ、やがって。

 これだけの物を奪って未だ足りないっていうのか、お前は――!!!


「……え、せ」


 今にも握れなくなりそうな剣を、腕で抱き、刀身に手を当てる。

 そうしている間にも、僕はすでに剣と左程変わらない大きさにまで、縮んでしまっていたけれど――……関係、ない。


「……っ、ぜんぶ、かえせ……っ、ミラをかえせええぇぇぇぇ――っ!!!!」

「GIIIIiiiiiii――……!?!?!?」


 喉が痛くなるくらいの声で叫べば、僕はありったけの魔力を込めて、その剣に雷を叩き込んだ。

 剣を通して『新種』へと流れ込んだ雷は、瞬く間にその体であろう部分を流れ、下水道を明るく、明るく照らしていく。

 魔力が尽き果てるまで、新種に雷を叩き込み続ければ……やがて、新種は耳障りでしかなかった音を鳴らすのを止めて。


「……っ、ぁ」


 ――そして、ぼちゃん、と。

 剣を突き立てた僕を道連れにして、新種は水路へと落ちた。

 下水道だというのに、不気味なほどに清らかになっていたお陰で、汚水に触れずにはすんだけれど……たち、あがれない。

 魔力切れで気力が尽き果ててるのも、あるけれど――それ以上に、『新種』に奪われた年齢が、余りにも大きすぎた。


「……う……っ、ぁ……」


 『新種』が力なく水路に沈んでいくと、僕も水の中に沈んでいく。

 何とか手を伸ばそうとしたけれど、その手は――まるで、赤子のように小さくて。

 体が水の中に沈み、何とか呼吸をしている顔も水に浸り始めれば……ここまでか、と。


 せめて、ミラが……仲間達が元に戻ってくれますように、と願いつつ。

 僕は、完全に水の中に沈んでしまい……幼すぎる体では、浮かび上がる事さえ叶わずに。


 こぽ、こぽ、と。水の音を聞きながら、意識が遠くなって――




「――っ、ウィル!!無事ですか、ウィル!!」

「……っ、ぷ、ぁ……っ」


 ――意識が途切れる瞬間。

 水底から、大きな手で引っ張り上げられれば、僕は慌てて息を吸い込んだ。


「げほっ、ごほ……っ!!」

「よ、か……った……っ!」

「ああ、全くもう……ひやひやさせてくれるな、ウィル」

「……う、ぁ……ぅ……」


 ぼんやりとする視界の中。

 僕を引っ張り上げてくれたのは、リズだった。

 彼女は――まだ完全には元に戻っていないものの、普段より少し幼いといった程度までに戻っていて。

 周囲を見れば、アルシエルも、魔力切れで彼女に抱えられているラビエリも……ギースだけは、まだ大分幼いままだったのは、年齢を強く吸われたから、だろうか。


「『新種』は……息絶えた、のでしょうか」

「ん……た、ぶん。もう……ぴくり、とも……し、てない、から」

「……ったく、本当に最悪な奴だったな、こいつぁ」


 ギースはそう言いながら、新種に突き刺さったままの剣を引き抜けば……念には念を、と斧で新種の体を叩き割り。

 それでも何の反応も示さないのを見れば、ふぅ、と小さく息を吐いた。


「よし、じゃあさっさとこんな辛気臭い場所とはおさらばだな!ミラの様子を見に行かにゃあならん!」

「ん……っ、きっと、ミラ、も……もどってる、かも……!」

「そうですね、私達が戻りつつあるということはそうでしょう……ウィル?」

「……あ、ぅ……っ」


 僕が顔を赤らめてしまっている事に気づいたのか、リズは少し不思議そうな顔をしてから――くす、と。

 少し可笑しそうに笑えば、ぽんぽん、と優しく頭を撫でてきて。


「その体では仕方ないでしょう。歩ける程度に回復したら降ろしますから、それまでは我慢して下さい」

「そうでなくても疲れてるだろうからな。役得程度に思っておくといいぞ、ははは!」

「……ふ、ふ。かわ、いい」


 声をだすことさえ出来ないほどになっている僕に、3人は好き放題にそんな事を言いつつ、外へ向かって歩き出す。

 僕は赤子のように抱かれる事に恥ずかしくなりながらも――これでやっと、終わったんだと。

 安心した途端に、感情で無理やり抑え込んでいた疲労がどっと湧き出してきて……僕は、リズに抱かれながら眠りに就いてしまった。

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