11.『奥の手』
上流へと進んでいくにつれて、ゴミ溜めのようだった下水道の風景はどんどん変化していった。
汚物は消え、水路を流れている水は濁り一つ無い透明なものへと変わり。
いつしか鼻を突いていた臭いも消えてしまえば――アルシエルが、足を止めた。
「……っ、い、る……っ」
アルシエルの声は、引きつっていた。
僕らには見えないものであっても、アルシエルの目は捉えることが出来る。
だからだろうか――僕らにはただの暗闇にしか見えていないその風景に、アルシエルは震えながら、息を呑んでいて。
「く、る……!!」
「……っ!? く――ラビエリ、お願い!!」
「了解――ッ!!」
アルシエルが『新種』を視認して数秒後。
成る程こんな場所に陣取ったのだから、恐らくは向こうも此方が見えているのだろう。暗闇の奥からぬるりと、何本もの透明なソレが伸びてきて――それを遮るように、ラビエリは水路に流れている水を風で巻き上げれば、それを凍りつかせた。
水しぶきからできた氷の壁には幾つもの隙間があり、完全な壁にはならないものの、それでも触手の進行を遮るには十分で。
壁を壊すことも出来ず、壁に空いている穴から這い出ようとする触手を僕らは狙いすましたかのように、斬りつけた。
相変わらず触手は脆く、軽く斬りつけるだけでも両断出来て――いや、これは恐らくは武器を新調したからか。
以前のように支給品だったなら手間取っていたかもしれないし、カミラには帰ったら感謝しないと。
そんな事を考えつつ、僕は触手を伸ばしてきた暗闇の先へと視線を向けて――……
「……アルシエル、見えてるんだよね。ここから射掛けられる?」
「だい、じょぶ――ん……っ!!」
相変わらず僕には視認さえ出来ないそれを、アルシエルはしっかりと捉えているのか。
小さく頷けば、複合弓を構え。以前よりも遥かに軽く引けるようになっているのか、アルシエルは素早く『新種』を狙いすませば、矢を放ち。
……矢は、キュンッ、と鋭い風切音を鳴らし、またたく間に暗闇の中へと消えていったかと思えば――何かに深々と突き刺さったかのような、鈍い音が静かな水路に鳴り響いた。
「速攻は失敗しましたが、これなら……問題なく行けそうですね、ウィル」
「……うん。アルシエル、引き続きお願い。『新種』になにか変化があったら教えて」
「ん……っ、りょう……か、い!」
「俺らはこのままこの場を守ってれば良いか?」
「そうだね、壁の穴から入り込もうとする触手を駆除しよう。ラビエリ、まだ魔法に余裕はある?」
「問題ないよ、一発でかいの撃ったけど壁くらいならまだ10回は行ける」
「――よし」
いける。
『新種』は確かに恐ろしい能力を備えた害獣ではあるけれど、戦闘においてそこまで優れている訳ではない。
こうして遮蔽物を作って侵入口を制限してしまえば、不可視の触手を活かす事も出来なければ、遮蔽物を壊す程の力もなく、安定して戦える。
何より、この場が下水道――通路状の空間であることが、兎に角大きかった。
これが屋外だったなら、四方八方から迫る不可視の触手を相手にしなければいけなかっただろうし……そうなってしまったら、遮蔽物を作ることさえ難しかっただろう。
間違いなく、今よりもずっと苦戦していた筈だ。
地の利、というべきだろうか。
『新種』にとって地上を捕食するに最適だった筈の下水道は、今となっては皮肉な事に、僕らに有利に働いていた。
「どんどんやっちゃえアルシエル!」
「う、ん――ミラ、に……ひど、い……こと、した、むく……い……っ!!」
ラビエリの言葉にアルシエルは頷きつつ、一発、二発、三発と、矢継ぎ早に暗闇の奥に潜む『新種』に矢を放っていく。
恐らくその全てが尽く突き刺さっているのだろう、徐々に、徐々に壁の穴から這い出そう
としている触手の動きは弱まっていき。
「っ、てん、じょ……う、から……お、ち……る……っ!」
「やったのか!?」
そして、何発目かの矢を『新種』に叩き込んだ後。
アルシエルは声を明るくさせながら、天井に張り付いていたのだろう新種が、落ちていくと……そう、口にして。
倒したのか、とギースが表情を綻ばせながら確認しようとすれば――……
「……え」
果たして、アルシエルの目に何が映ったのか。
『新種』を射落とした筈のアルシエルの表情が固まり、青ざめるのが、僅かに見えた。
「――AAAAaaaaaaaaaaaaaa――!!!!」
「な――っ!?」
「く……っ、断末魔、ですか……!?」
その瞬間。
暗闇の奥から、人間にはとても上げられないような、形容し難い叫び声が響いてきて。
ぱらぱらと、天井から埃が落ちてくる程の、耳をつんざくようなその爆音に、僕らは思わず耳を塞ぎ、体を竦めてしまった。
断末魔にも似たそれは、鳴り止む事無く続き――1分か、或いはそれ以上か。
下水道の中に音を反響させながら、ようやくそれが鳴り止んだのがわかれば、僕はまだ音の影響で痛む耳を軽く抑えつつ、暗闇の先へと視線を向けた。
爆音の影響か、氷の壁には幾重にもヒビが入っており……ただ、幸いなことに大きなダメージを負ったからか、触手の動きも明らかに弱っていて。
ぺたん、ぺたん、と氷の壁を叩いてはいるものの、直ぐに砕けるような事はなさそうだった。
……良かった、さっきの爆音は、叫び声は最後の悪あがきだったらしい。
なら、後は同じことを繰り返せば、勝てる……ミラを、街の人達を助けられる!
「あるしえる、矢を――」
――そう、思って。アルシエルへと指示を出そうとすれば、僕は思わず固まってしまった。
なんだ、今の声は。僕が、出したのか?
喉か耳がおかしくなったのかと思い、喉に触れようとすれば、違和感はますます酷くなっていく。
革手袋が、大きすぎる。大きすぎて、手を下ろせばそのまま脱げてしまいそう、で。
「……な……これ、は」
「うぃ、る……なの、ですか……?」
幼い少女の声に振り返れば――そこには、何処か見覚えのある容姿をしたエルフの少女が居た。
少女は僕の方を見ながら問いかけるように、そう口にして。
その背後には、ビーストの少女が泣きそうな顔で、身の丈に合わないサイズの複合弓を両腕で何とか抱えるように、しているのが、見えた。
「――っ、まさ、か」
周囲を見る。
先程まで戦っていた筈のその場所は、気づけば天井も、通路も異様な程に広くなっており。
「まずい……まずいぞ、うぃる」
浅黒い肌をしたドワーフの少年が、唇を噛むようにしながらそう呟く。
その後ろには、幼児としか言えないようなリトルの幼子が居て。
少年も少女も、皆一様に、身の丈に合わない武器を、そしてぶかぶかな防具を身に着けており――だからこそ、直ぐに判ってしまった。
「……っ、らびえり、かべを――!」
「や、やってるよぉ!でも、うまくできない……!!」
リトルの幼子……ラビエリは焦ったような様子で先程のように氷の壁を作り出そうとしていたが、ぱしゃん、ぱしゃん、と風は水を少し巻き上げるばかりで。
先程のように天井まで届くような水しぶきを作り出すことが出来ておらず――
「さっきみたいなのじゃなくて、いいから!とにかくかべをつくって、はやく!!」
「う、うん!!」
その様子に悪寒を感じた僕は、先程の戦法を捨ててラビエリにただの、隙間の無い壁を作らせた。
流石にそれは問題なかったのか、前方をしっかりと塞ぐ氷の壁を作り出せば、小さく息を漏らし……しかし、その壁は普段の彼ならば有り得ないくらい、薄氷と言っても良いくらいの薄い壁にしかなっておらず。
「……っ、なんで……まほうが、うまくつかえない……!」
「あるしえる、しんしゅは!?」
「だい、ぶ……よ、わ、って……で、も――!!」
震えるような幼い声に、僕らは暗闇に視線を向ける。
その奥からは、動きこそ鈍っているものの……何本もの触手が、壊れかけた氷の壁を、薄氷のごとき壁を壊さんと、僕らの方へと向かっており。
その触手は先程とはまるで変わっていないどころか、間違いなく弱っている、その筈なのに――幼く、小さくされてしまった僕らには酷く、恐ろしい物に見えた。
恐らくは先程の爆音のせいだろう。幸いというべきか、才能や記憶まで奪われた訳では無さそうだが……これは、まずい。
ラビエリの様子を見るに、それ以外は完全に子供に、幼子にまで戻されてしまっている。
身を守ってくれる筈の防具は靴やグローブに至るまで全てぶかぶかで、体を拘束する役割しか果たしていない。
「……っ、うぃ、うぃる!いったん、てったいを――」
「だめだ、にげきれない……こんなからだじゃ、そとにでるまでたいりょくが、もたない!」
幼いリズの言葉に、唇を噛みながらそう返す。
防具をすべて捨てて、武器も放り投げて逃げ出そうとすれば、もしかすれば逃げ切れる可能性はあるかもしれないけれど。
幼い頃から父さんに鍛えてもらってた僕や、少年になってもまだ体力のありそうなギースは兎も角、幼児同然なラビエリとアルシエルは絶対に途中で体力が尽きてしまう。
「……みんな、あつまって」
――となれば、出来ることは一つしか無い。
そもそも、ここで僕らが撤退してしまえばこの街は文字通りお終いだ。
本部からの救援には少なくとも数日はかかるし、その間この街で生き残っている人が耐えていられるかと言われれば、恐らくは無理だろう。
だからもし、この街を守るなら。ミラ達を守ろうと思うなら――……
「……っ、やるしか……ないの、ですね」
「こっちはガキだが、むこうもしにかけ……ちょうど、たいとうかもしれんしな」
「やることも、わかったよ。ぜったい、しっぱいしないから」
「……わ、たし、も……っ」
この体で、子供に、幼子同然にされてしまったこの状態で、『新種』にトドメを刺すしか無い。
考えはある。うまくいけば、この体でも『新種』を打ち倒せる、その自信はある。
ただ……もし失敗すれば、僕はミラのように……どころか、多分消滅してしまうだろうけれど。
僕は頭を過ったその未来に、体の底から湧き上がるように膨れ上がった恐れを、怯えを飲み込むように、深く息を吸い、吐いて。
「――いくぞ、ばけもの。けっちゃくを、つけてやる!」
両手でずっしりと重たい剣を構えるようにしながら――薄く脆くなった壁を砕き、こちらへと這い出した大きな触手に、そして『新種』に叫んだ。




