5.花蜘蛛
「……全く、タチが悪いな」
ウィルと別れてから十数分。害獣の住む森だという事もあって慎重に歩いていたのもあるが、探索は遅々として進まなかった。
まだ1km先にすら辿り着けては居ないだろう。何しろ、この森は兎に角迷いやすい。
まず、足元を覆っている花。いくら踏みつけても「元に戻る」せいで、足元ばかり気にしていると即座に方向を見失ってしまう。
次に、木々を覆うように咲いている花。どの木にも絡みつき、根付いて繁殖しているせいで木々の違いで方向に検討を付ける事ができない。
槍で木の露出している部分に傷を付けて目印にすることで、私は辛うじて方向感覚を失わずに済んでいたが……少し進む度にそうしてるのだから、当然進みは遅れるわけで。
……正直一人で無くてよかったと、そして下手な相手を選ばなくて良かったと、心の底から思う。
こんな所を警戒もせずに奥へ奥へと進んでいくグループも散見されたが、あんなのと一緒になっていたら今頃ストレスで胃に穴が空いていたかもしれない。
しかし、害獣は一体何処にいるのだろうか。
2人での移動中も、簡単な拠点を作っている間も遭遇しなかったし、今だって害獣の気配さえない。
いや、害獣に気配があるのかも分からないが、少なくとも視界に動くものは何一つ無く――
「……ん?」
――ふと、何か違和感を覚えた。
視界に映る物がおかしいわけではない。いや、この場所自体がおかしいのだからおかしいのだけれど、先程からそれは変わりない。
振り返り、来た道を確認する。木々に阻まれて微かにしか見えないが、まだ先程ウィルと築いた場所を見ることが出来る。
私が踏みしめてきた花は何事も無かったかのように元に戻っており……否、違う。
まさか、と思いつつ私は数歩進み、そして振り返った。
足跡は無い。しっかりと踏みしめた花は、踏みしめられた跡さえなく――そこに付いていた花の色が、形が変わっていた。
「これは……まさか」
背筋に走る悪寒。私は槍をその花の根本に突き刺し、感じた手応えにようやく先程僅かに感じた違和感の正体に気がついた。
色とりどりの花に紛れていたせいで気づかなかった。だがその正体に気付いた今となっては、この場所にはおぞましさしか感じない。
――持ち上げた槍の穂先には、キィ、キィ、と音を鳴らしながら、手のひら大の蟲のような何かが藻掻いていた。
どろりと、白色の体液を垂れ流しながらうごめくその蟲の背中には、綺麗な花が幾つも生えており。その形は、そう、ちょうど蜘蛛のようで。
「っ、ち……ッ!!」
キィ、キィ、と周囲からにわかに耳障りな音が鳴り始める。
花々が揺れ動き、まるで私を取り囲むかのようにスライドしたかと思えば……次の瞬間、ソレらは正体を現した。
花々から飛び上がる、蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛。
耳障りな音を鳴らしながら、手のひら大のソレらが私に向かって牙を向き、襲いかかってきたのだ!
咄嗟に槍で払い除けつつ、私は蜘蛛の囲いから飛び出し、距離を取る。
見れば、全てではないものの周囲には20、30はうごめく花が有り、その全てが私へと向かってきていた。
先程まで襲いかかってこなかったのは、数が集まるまで待っていたのか。それとも、先程私が仲間を殺したから怒っているのだろうか?
「――そんな事を考えている場合ではない、か!」
蜘蛛は恐ろしく俊敏な動きで飛び跳ね、木に跳びついてから跳ね返るように此方へと向かってくる。
槍で払えど払えど、蜘蛛の攻撃は止む事がない。同期生なら一撃で昏倒させる自信のある払いは、余りに体重の軽い蜘蛛相手には効果が薄いようだった。
「ならば……ッ」
幾度となく飛びかかってくる蜘蛛の軌道を読み――そして、合わせるように突きを放った。
槍の穂先は正確に蜘蛛の胴体……否、腹だったろうか?それを貫く。蜘蛛は白い体液を撒き散らしながら、甲高い断末魔を上げた。
――どうやら、叩くよりは突く方が効くらしい。
それならば、後は容易い話だ。
「来い、一匹残らず貫いてくれる――!!」
飛びかかってくる蜘蛛を全て穿ち、貫き。一匹残らず駆除するまで――!
私は声をあげながら自分を鼓舞し、仲間を殺されたからか先程よりもより勢いを増して襲いかかる蜘蛛の群れに、槍を向けた。
/
ミラが周囲の探索にでてから1時間後。思ったよりも早く、彼女は拠点に戻ってきた。
少し疲れた様子の彼女に何か有ったのか、と声をかけるよりもはやく、ミラは僕の眼の前に何かを投げる。
――それは、背中から花を生やした大きな蜘蛛だった。
どうやら既に絶命しているのか、動く様子はなく。しかし、その見たこともない蜘蛛が何なのかは、直ぐに察することが出来た。
「……これが、ここの害獣なのかな」
「ああ、恐らくは。探索は少し気をつけたほうが良い、気づくと囲まれているからな。私も40匹程に襲われたぞ」
死体を手にしながら、持ち上げる。
手のひら大の大きさがあるというのに、蜘蛛のような害獣はとても軽く、そして柔らかかかった。
軽く引っ張れば伸縮する程で、それだけでも本当の蜘蛛とはまるで別物なのだと理解できる。
「――あ」
「なんだ、どうした?」
「これ、本物の花だ」
背中から生えている花に触れれば、有ることに気付いた。
てっきり僕は、これも蜘蛛の一部かと思っていたが――違う。背中から生えているのは、「本物の花」だった。
背中に寄生させている、というわけでもない。害獣の体と一体化しているというのに、その花は周囲に咲いている花とまるで変わらない、ただの花だったのだ。
「……それはまた、気味の悪い話だな。もしかして植物の一種なのか、これは?」
「ううん、それも違うと思う。花以外の部分はほら、生き物……蟲っていうよりは、動物に近い感じだし」
「う、馬鹿、見せないで良い」
僕が蜘蛛の部分をひっくり返して軽く穿たれたお腹の部分を開けば、そこからでろり、と動物のような、しかし白いはらわたのようなモノが出てきた。この時点で蟲というのも違う、なにか別の生き物ということになる。
それを見たミラは顔をしかめながら視線をそらし――自分でも改めて見ればグロい事に気付いて、僕は蟲でも蜘蛛でも、ましてや花でもない害獣を地面に置いた。
……それにしても。
「でも、やっぱりミラはすごいね。害獣に初めて遭ったのに仕留めちゃうなんて」
そう、それだ。害獣に出会うのはミラだって初めての筈なのに、ミラは無傷でそれを仕留めてみせた。
僕だったらどうなっていたか判らない。炎で焼けばもしかしたら対処できたかもしれないけど、きっと無傷でなんか済まなかったろうし。
そんな僕の心からの賛辞に、ミラは少し照れくさそうに頬を掻きながら。でも、頭を左右に振った。
「いや、運が良かっただけだ。恐らくだが、本来ならこいつらは――」
そこで一度言葉を切り、ミラは拠点の周囲に広がる花々、そして木々を眺め。
「――もっと、凄まじい数で獲物を仕留めるタイプ、だろうからな」
そう呟くと、少し休ませてくれ、とミラはテントの中へと入っていった。
――成る程。確かにミラの言う通りかもしれない。
これだけの花々が絨毯のように広がっている花園の中に、この害獣は数多く潜んでいるのだ。
ここから眺めるだけでは何処にいるのかも判らないが、少なくとも数十では効かない程にいるのではないだろうか?
花園の中を不用意に進めば、気づかない内に大量の害獣に囲まれて、相手を倒すのに十分な数が集まったらその数で獲物を仕留める。
まだ想像の範囲を出ないけれど、恐らくこの害獣はそういったタイプの存在なのだろう。
「ん……松明とか、準備しておくかな」
兎も角、花々を焼き払っている拠点の周囲にはその存在は確認できない。
運がいい事に、どうやらあの害獣は花で擬態する性質があるからか、花のない場所へは出てこないようだった。
夜も拠点の周囲に灯りを絶やさなければ、この大きさの蜘蛛のようなモノを見落とす事は無いだろう。
僕はミラが休んでいる間に夜営の準備を済ませると、周囲の探索に必要なものを纏めていく。
僕も、今のうちに経験を積んで置かなければ。養成所に居る内に害獣と相対する機会なんて、きっとこれっきりなんだから。
/
「――ぅ、ぁ」
「ぁ……ぅ、ぅ……」
一方、花園の入り口。教師達が待機しているその場所には、既に十数名の生徒達が運び込まれていた。
いずれも花園に居る害獣に襲われ倒れた者たちで、皆一様に全身に細かい噛み傷をつけられており。
生徒達は動くことはおろか、しゃべる事さえ出来ないのか、小さな声で呻くばかりで。そんな生徒達を見つつ、教師達は看護しつつも小さくため息を漏らしていた。
「……全く。演習だというのに気を抜いておるからこうなるんじゃ。『花蜘蛛』程度であれば、注意しておればこうはならんかったろうに」
所長は何処か呆れた様子で髭を撫でつつ、愚痴り、頬杖をついた。
花蜘蛛とは、花園に巣食う害獣の事である。おおよそ体長20cmの蜘蛛型で、背中に花を生やす事で花園の中に隠れて獲物を待つ狩人のような害獣だ。
牙には麻痺毒を持っており、1匹だけならば問題ないのだが、数匹に噛まれればその時点でまともに動けなくなり、十数匹ともなれば完全にアウト。
指先一つ動かせなくなった獲物は、花蜘蛛に覆われてゆっくり、ゆっくりと捕食されていく事になる。
そうして栄養を得た花蜘蛛は分裂し、増殖していくのだ。
――実のところ、一見恐ろしそうに思えるが、実際は数が揃わない限りそこまでの驚異ではない。
力は大したこともなく、素早いものの表皮も柔らかい。斬る、突く、燃やすなどをすれば簡単に倒す事も出来る。
冷静に見分け、1匹ずつ潰していけば生徒達でも問題なく対処できる相手……の、筈だったのだが。
当然、ピクニック気分だった生徒がそんな対処を出来る筈もなく。不用意に花園の奥へと向かった結果、大量の花蜘蛛に襲われてパニックに陥り、このザマであった。
既に数グループが教師達の手によって助け出されており、初日を終える前だというのに3割が脱落という体たらく。
これでは、所長や教師達が落胆するのも仕方のない事だろう。
「果たして三日間もつのかのう……」
所長が遠い目をしながら呟くのを聞きつつ、教師達もどうか演習を完遂できるグループがありますように、と心から願うのだった。