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9.全てを奪う者

 街は、混沌とした状況に陥っていた。

 次々と消えていく家族や隣人、友人に人々は混乱しつつも彼らを探し――そして、その人々もまた、衣類だけを残して消えていく。

 やがてそれが恐るべき事態だという事に気付き始めるが、その時には既に遅く。


「嫌だ……っ、嫌だ、嫌だ!!消えたくない、消えたくない――!!」

「……あ、あはは……嘘でしょ……夢だよね、私の、大事なの……全部、消えちゃった、なんて」

「誰か、誰か助けて――パラディオン、パラディオンに助けを――っ!!」


 死ぬのではなく、遺体さえ残らず消滅する。

 そんな、とても人らしいとは言えない死に方を目の当たりにした人々は狂乱し、逃げ惑い。

 パラディオンに助けを求める声も有ったが――彼らも決して万能ではなく。

 ごく少数、街に駐留していたパラディオンは居たものの――……


「……っ、くそっ、クソッ、クソッタレッ!!」

「井戸に近づくな!!やられるぞ!!」

「なんで、なんでよぉっ!? 何で、どうしてこんな時に魔法が使えない(・・・・・・)の……?!」

「良いから下がってろッ!良いか、絶対に触られるな――!!」


 その僅かな数だけでこの異常事態に対処できる筈もなく、彼らもまた危機に瀕していた。

 魔法に卓越していた筈の後衛は、たった一度とそれに触れられただけでその魔法の才能(すべて)を失い、何一つ魔法を行使出来なくなり。

 その異常さに戦慄するも、不可視である触手への対処は決して容易な物ではなく。


「――良いか、他のパラディオン達の元へと撤退する!俺たちだけじゃ無理だ!!」

「他のって……ちっ、遠いが行けるか……ッ!?」


 既に5人の内2人が消し去られ、1人は自らの才能を奪い去られたその状態で尚、彼らは叫び、奮戦した。

 唯一の救いだったのは、甚大な被害を被る過程で彼らはその不可視の存在がどういうものであるかを、大まかに把握したことだろうか。


 触れられればそれだけで才能を一つ、下手すればそれ以上に奪い去られ。

 長時間……とはとても言えない、たった数秒間の接触だけで、年齢、記憶、才能――そして存在そのものを奪われ、消し去られる。

 そんな悍ましい力を持っている『新種』だが、逆を言えばそれだけだった。

 触手の動きは決して素早い物ではなく、不可視さえも完璧ではないが故に、目を凝らせば見える程度で。

 その触手には、精々人を1人捕まえるのが、持ち上げるのが精一杯と言った程度の膂力しか無く――無論、それでも脅威であることには何一つ代わりはないのだが、お陰で辛うじて対策を組む事が出来ていた。


「建物を伝っていくぞ、奴に扉を壊すだけの膂力は無い!」

「解った!ほら立て、行くぞッ!!」

「もう、良いよ……私は置いていって……? わた、私、何も、出来なくなっちゃった……」

「――ッ、馬鹿な事を言うな!!生きてりゃあ絶対に何とかなる、諦めるんじゃねぇよ!!」


 自らを成す根幹とも言える才能を失い、心神喪失に陥った仲間を担ぐようにしながら、彼らは民家の中を伝っていくようにして、彼らは何とか不可視の魔手から逃れていく。

 逃れながら、彼らは途中で出会った人々に『戸締まりをして絶対に外に出ないように』と指示しつつ、パラディオンとして最低限の仕事をこなし――……


 ……しかしそれでも、街から恐怖に満ちた叫び声は消える事はなく。

 小一時間程して、ようやく悲鳴が収まったかと思えば、街中からは人の姿が消えていた。

 通りにあるのは、散乱した衣類だけ。

 他には何も――本当に、何もなく。魔手から逃れた人々は家に閉じ籠もり、只々息を潜め……誰かが、この悪夢のような事態をどうにかしてくれるのを、待ち望んでいた。







「――どうやら、建造物を破壊するような力は無いようですね」


 リズは窓を叩く透明な触手を見ながら、そう呟いた。

 ……教会に立てこもってから1時間弱。

 井戸から這い出ている触手はぺたん、ぺたん、と窓を叩きはするものの、それを割る事さえ出来ないらしく。

 シスターと共に教会へと避難したのは咄嗟に取った行動ではあったものの、幸いと言うべきか、そのお陰で僕らは皆無事で居ることが出来た。


「……とはいえ、どうする。コイツぁ相当不味いぞ」

「うん……判ってる」


 だが、ギースの言う通り事態が好転した訳では、断じて無い。

 いつまでも教会に閉じこもっている訳にはいかないし、何より――既に、街から悲鳴が消えてしまっている。

 街にどれだけの被害が出てしまったのかは想像すら出来ないが、事態が長引けば長引く程に被害が広がる事は明らかだった。


「……っ、ひっく……えぐ……っ」

「大丈夫ですよミラさん。私が、ついていますからね」


 それに何より、今のミラとシスターをこのままにはしておけない。

 教会には幸い、少量とはいえ食料が有ったけれど……今の状況がこのまま続く保証なんて、何処にもないのだから。

 あまりの恐怖にボロボロと泣いているミラを、彼女自身も不安で一杯だろうに、優しい笑顔でシスターは慰めている、そんな姿を見れば、僕は小さく息を漏らして。


「……班を2つに分けよう。片方は教会で2人を守りつつ、もう片方は何とかして外にこの状況を伝えるんだ」

「確かに……既にもう、僕達だけでどうにか出来る状況じゃないもんね、これは」

「――ん……ま、って」


 苦肉の策として、外にこの事態を何とかして伝えようと僕が口にすれば――アルシエルの耳が、ぴくりと動いた。

 静かに教会の扉へと向かえば、ぴくん、ぴくん、と耳を動かしつつ……


「……だ、れか……来た……!」

「っ、生存者か!いかん、扉の方にはまだ――!!」


 外から、おそらくは生存者であろう人が此方へ向かっている事を察知したのか、アルシエルは顔を青褪めさせる。

 ギースは慌てた様子でなんとか外に伝えられないかと、扉へと向かう――が、足音は既に僕らにも聞こえる程になっていて。

 不味い、教会の庭にある井戸からは不可視の触手が伸びているというのに――!!


「――っ、鬱陶しいんだよ、クソがっ!!」


 ……そんな僕らの心配を切り払うかのような、そんな勇ましい声が外から聞こえてくれば。

 そんな荒々しい声とは裏腹に、とんとん、という丁寧なノックの音が教会の中に鳴り響いた。


「済まない、パラディオンの者だ。開けてもらえないだろうか――?」

「……っ、解った、すぐに開ける!早く入れ!」


 外からの先程とは違う声に、そしてその言葉に僕らはハッとすると、急いで彼らを招き入れる。

 ……そういえば、そうだった。

 この街にはもともと駐留しているパラディオンがごく少数とはいえ、いたんだった。

 彼らは教会へと入り込めば、倒れ込むようにしながら荒く息を吐き――女性は憔悴しきった様子で座り込めば、立ち上がろうともせず。


「大丈夫、ですか?」

「助かった。この街に調査に来てたパラディオンの事を思い出してな、賭けだったんだが」

「取り敢えず、一息つかせてくれ……街の反対側からここまで、クソ触手を相手にしながら走ってきたんだ、もうクタクタでよ」

「……っ、ど……ぞ」


 彼女を抱えていた男性も、呼吸を荒くしつつ壁にもたれ掛かり、なんとか呼吸を整えようとしていて。

 アルシエルは彼らに水を渡せば、ごくっ、ごくん、と喉を鳴らしながらあっという間に飲み干してしまい……一息つけたからか、彼らは僕らの方へと改めて視線を向けた。


「……有難う、君らはどうやら全員無事のようだな」

「ん……まあ、ね。騒ぎが広がる前に、避難できたし」

「そいつぁ運が良かったな……街中はヒデェもんだ、もう人っ子一人いやしねぇ」


 少し口調の荒い男性の、そんな言葉に僕は改めて戦慄する。

 まだ、あの騒ぎが起き始めてから1時間と少しの筈だというのに、既にそこまで被害は広がってしまっていたのか。

 

「家に避難していた人たちも、幾つかは既にやられてしまっていた……シスター、ここにトイレは?」

「あ……は、はい。外にありますが」

「良かった、ならここは安全です。あの触手は、どうやら地下から伸びているようなので」


 ……やはり、下水道からあの触手は伸びていたらしい。

 下水道で痕跡を発見した時点で薄々感づいてはいたけれど、恐らく『新種』は下水道に本体を置いたまま、配管や水脈を通して地上へと触手を伸ばし、行動しているのだろう。

 でも、だとしたら……今の『新種』はどれだけ巨大な存在になってしまっているのだろうか?


「ねえ、彼女はどうしたの?」

「……悪い、そっとしておいてやってくれねぇか」

「うう、ん……もう、大丈夫……」


 自分の想像に背筋を震わせながら、ラビエリが心配そうに、2人が連れてきた女性に声を掛けると、仲間であろう2人は彼女に気を使うようにしていた、が。

 まだ立ち直りきれては居ないのだろう、言葉を途切れさせながら……しかしそれでも、2人の気遣いを遮って、彼女は視線をあげた。


「貴方達は、まだあの触手にやられてない、のよね」

「――ええ、まあ」


 ミラの事が頭をよぎる――けれど、今それを言っても混乱するだけだろうと、僕は既の所で言葉を飲み込んで。

 彼女は僕らの方へと視線を向けつつ、良かった、と少しだけ自嘲的な笑みをこぼし。


「いい、アレに絶対に触れてはダメよ。あれは鈍くて力も弱いけれど、一度触れられるだけで致命的な事になる、わ」

「ち……めい……て、き?」

「――才能を、消されてしまう。奪われて、しまう、の」


 小さな声でそう告げると、彼女は自分の体を掻き抱きながら、呼吸を少し荒くして――それでもなお、パラディオンであろうとしているからか。

 声を震わせながらも、更に言葉を続けていく。


「一度、触れられたら……多分、一つ。時間にもよるでしょうけれど、私は一度、少し叩かれるように触れられただけで、魔法が……なにも、何も……!!」

「……もう良い、無茶すんな」


 言葉を続けるに声が震え、揺らぎ。爪を肌に食い込ませるほどに――そうしないと自分が保てないというかのように、彼女は声をあげていたが。

 それを、今度こそ仲間である男が遮れば、彼女を後ろから優しく抱いて。

 ……限界だったのか、彼女はボロボロと、まるで子供のように泣き出してしまった。


「……済まない。だが、彼女の言う通り……アレ触れられては、ダメだ。数秒程度触れられれば、それだけで消されてしまう」

「数秒……って」

「巻き付かれて、逃れるのが遅れればそれまで。いや、巻き付かれた時点でほぼ終わりと思っていい」


 彼の言葉には、妙な実感が籠もっていて……ラビエリは何かを察したのか、押し黙ってしまった。

 聞けば聞くほどに、『新種』は恐るべき存在としか思えない。このまま手を拱いて見ていれば、被害は拡大するばかりだというのは、目に見えていて。


 ただ――それと同時に、幾つか見えてきたものもあった。


「……ギース、地図はある?」

「ん? お、おう、あるが」

「どうしたのさ、ウィル?」


 ギースが持っていた地図を広げ、改めてこの街の地形と下水道の構造を照らし合わせていく。

 『新種』は教会だけではなく、ここからちょうど反対側にある所にまで出没していた。

 つまり、触手は今ほぼ全域に届くと考えていい。となれば、『新種』は最もそうしやすい場所に居ると考えられる。


 ……要するに、街の中心部に最も近い位置にある下水道。

 そこに、恐らくは『新種』の本体が居るのだろう。


「……避難してきたばかりなのに、ごめんなさい。この教会の警護を頼めますか?」

「ん? まあ、構わないが――」

「待ってください、ウィル……まさか打って出るつもりとは、いいませんよね?」


 剣を帯び、装備を整えていく僕を見ながら、リズはそんな言葉を口にした。

 確かに今の状況で外に出る――『新種』の元へと向かうのは、危険に映るのかもしれない。

 だが、逆なのだ。

 確信を持って言える。行くのであれば、今しかない(・・・・・)


「今行かないと、取り返しがつかないことになるんだ。皆も準備して」

「……はぁ、仕方ないなぁ」

「まあ、お前さんがそう言うのなら、理由はあるんだろう?」

「ん……っ」

「な――しょ、正気ですか!? 相手は災害指定同然の怪物ですよ!? そんな相手に、私達だけで何が出来ると――!!」


 困惑を隠せない様子のリズをよそに、皆も装備を整え始めれば。

 彼女は僕らを説得しようと、少しの間だけ言葉を連ねていたが――しばらくすればその綺麗な髪をくしゃくしゃと掻きながらも、準備をし始めて。


「……っ、ああ、もう!!無理だと思ったら即座に撤退して下さいね!?」

「うん、判ってる。ありがとう、リズ」


 リズの言葉に、僕は素直にそう口にすれば――なぜだか、リズはため息とともに、大きく肩を落とした。


「あっはっは!諦めろ、ウィルはこういう所があるからな!」

「でも、ウィルがこういう事いう時はちゃんと理由があるからさ」

「……だ、から……リズ……も……ね?」

「もう、判りました。ですが、道すがらでいいですから、根拠を教えて下さいね」


 ……どうしてだろう、何故か酷いことを言われているような、そんな気がする。

 まあ、でも……兎に角、今なら。

 『新種』が街を襲っている今であれば、きっと何とか出来る、筈だ。


「……っ、おにい、ちゃん……」

「ん……待ってて、ミラ。終わらせてくるからさ」


 泣き腫らした瞳で僕らを見上げるミラにそう言うと、優しくその頭を撫でて。

 リズが準備を終えるのを待ち、僕らは三人に教会の事を……シスターとミラの事を任せて外へと出た。

 幸いと言うべきか、先程切り払われた事に警戒したのだろう、井戸から触手は伸びておらず。

 僕らは視線を合わせ、小さく頷けば――街の中央近くにある下水道への侵入口へと向かった。

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