7.そして、忌避される場所へ
「……ほん……と、に……行く……の……?」
「おう、まあ特にお前さんにはキツいと思うから、別行動でも構わんが」
「……っ、うう、ん……がん、ばる……っ」
「は、ぁ。確かに彼の言葉は正しいとは思いますが、よもや……」
「あはは……ま、まあ、無理しないでも良いからね?」
げんなりとした様子のリズを見ながら苦笑して言葉をかけると、彼女は軽く頭を左右に振りながら、目の前にぽっかりと口を開けているトンネルへと視線を向ける。
街の水路の一角にある、下水道へと繋がっているトンネルの前に、僕らは立っていた。
先が見通せない暗闇からは、仄か……とは言えないほどにはっきりと、異臭が漂っており。
先へと進んでしまえば、この異臭の元と直面する事になる――そう考えるだけで、アルシエルとリズは顔を青褪めさせながら、しかしゆっくりと前へと進み始めて。
「一応、僕も理屈は正しいとは思ってるんだけどさ。本当に居ると思う……?」
「ん……可能性としては、普通に有り得るとは思うよ」
流石に女性2人程ではないものの、嫌そうな顔をしつつ歩き出すラビエリに、僕は昨晩の事を思い返しながら、小さく頷いた。
「――下水道?」
「うむ。俺はそこが臭いんじゃないかと思ってる」
「そりゃあ臭いでしょ、下水なんだし」
昨晩、夕食を取り終えた後。
調査の成果が思うように上がらない事に頭を悩ませていると、ギースがそんな事を口にした。
ラビエリの茶化すような言葉に、ギースは軽く笑いながらも更に言葉を続けていく。
「ははは、まあ臭いだろうがそっちでは無くな。ここいらで俺らもやる事を変えるべきだ、と思ってな」
「……確かに、調査では埒が明かなくなってきているとは思いますが」
「だからって、何で下水道……?」
うむ、と小さく頷きながら、あらかじめ用意していたのか。
ギースは街の地図の机の上に広げれば、幾つか赤くチェックしてある箇所を指し示しつつ、軽く酒を煽った。
「……説明する時くらい、飲むのを止めてもらえませんか」
「ぷはぁ……おお、済まん済まん。教会では飲めんからな、今の内に飲まなけりゃ明日までお預けになっちまうと思うと、つい」
「はぁ……もう良いですから、早く説明を。何かしら理由はあるのでしょう?」
軽く頭を抑えるようにして眉を潜めるリズに、ギースはおう、と小さく返すと改めて地図に視線を落とす。
彼が指し示した箇所は何れも街の外縁部か、或いは人が立ち寄らないであろう場所であり。
必然、そこで何かを見たという情報は、一度たりとも入ってはいなかった。
「俺たちだけじゃなく、多くのパラディオンが『新種』について探してるのに一向に見つからない。で、ウィルやリズの見立てじゃあ『新種』は傷を癒やしてる真っ最中……だろ?」
そこまで口にしてから、ギースは太い指でトントン、とチェックされた場所を軽く叩きながら笑みを浮かべ。
「――って事はだ。もし『新種』が街中に居るんだとしたら、そんな事できる場所は限られる。つまりは、人が寄り付かない場所……それも、普通に暮らしてたら絶対に立ち寄りもしない場所ってこった」
「……成る程、だから下水道か」
ギースの言葉に、僕は思わず納得してしまった。
確かに下水道は普通に生活していたら絶対に立ち寄らないし、そもそも中を詳しく調べる事だってしやしない。
臭い、汚い、暗いの三重苦で、こんな場所に行くのは精々が清掃員くらいなものだろう。
役場で聞いた時も、中の様子に関してはよく知らないと言った様子だったし……可能性としては、十分にあり得る。
しかも下水道への入り口は外縁部や人気のない場所にまであるのだから……元々不可視なのもあるだろうけれど、『新種』が人目につかずに入り込む事だって出来てしまう。
「確かに、十分に有り得るね。脳筋だと思ってたけど中々やるじゃんギース!」
「ははは、褒めるな褒めるな!大体まだ可能性があるってだけの話だしな」
「……そ、そうですね。可能性の話ですし」
「う……う、ん。かの……う、せいの……はな、し」
ラビエリはギースの言葉に喜びつつ、ぱんぱんと肩を叩き。ギースはそれをむず痒そうに、しかし嬉しそうに笑いながら受けていた。
実際問題、調査でこれだけ証言が出ない、情報が出ないという事実はギースの言葉が正鵠を射ているという事なのではなかろうか。
僕も――ちょっと失礼だとは思うけれど、ギースの提案に感心しつつ、明日は早速下水道を見に行こうと口にしようとして――……
……その一方で、リズとアルシエルの表情が引きつっているのが見えてしまった。
「そもそも、傷を癒そうとしているのに下水道に潜むのは、その、不衛生ですし」
「ば……ばい、きん。いっぱ……い……だ、もん……ね?」
「いや、害獣にそんなもん関係ないだろう?」
「うぐ……っ、そ、それは、そうですが」
リズもアルシエルも疑問を呈するが、さも当然のようなギースの言葉にあっさり論破され、びくっと肩を震わせて――うん、まあ、よくよく考えれば当然のことだった。
僕やギース、それにラビエリは男だけれど、リズもアルシエルも女性なのもあって、汚物やら何やらが溜まっているだろう下水道というものには、忌避感がとても強いのだろう。
特にアルシエルに至っては五感の鋭い事に定評のあるビーストなのだし。きっと、下水の臭いというだけでも相当辛い事になる筈だから、仕方のない話ではある。
……まあ、だからこそ『新種』が逃げ場に使っているのでは?というギースの言葉が、より強固になっていくのだけれど。
「……えっと、2人は教会で休んでても良いよ?」
「い……い、いえ、大丈夫です。私はパラディオンですよ、この程度問題有りません」
「わ、たしも……だ、だい……じょうぶ……」
でも、僕の言葉にぷるぷると頭を左右に振る辺り、彼女たちもギースの言葉に理がある事は理解しているのだろう。
結局、僕らは5人揃って下水道を探索することとなり――……
「……しかし暗いな。臭いもだが、湿気も合わせて尚の事キツい」
「こんな所を掃除してくれる人には頭が上がらないね」
ギースの言葉に軽くラビエリは返しつつ、小さく溜め息を漏らす。
視界の悪さ、臭い、そして肌に張り付くような湿気。その全てが不快でしかなく、まだ入って数十分程度だというのに既に僕らは軽く気が滅入りそうになっていた。
とはいっても、油断をしている訳ではなく、ちゃんと役場から受け取った下水掃除用の防護服は着ているし、何時『新種』が現れても大丈夫なように準備はしている……のだけれど。
「は……ぁ」
「大丈夫ですか、アルシエルさん」
「……だい……じょ、ぶ……」
「無理はしないで下さい……気持ちは、判りますので」
顔面蒼白なアルシエルを支えつつ、そんな彼女が隣りにいるからか割と平気そうに振る舞っているリズもそんな言葉を口にしていた。
……彼女たちのことを考えると、長時間下水道を探察し続けるのは難しいだろう。
そうでなくても不衛生な下水道の中なのだし、定期的に近くの出口から外に出て、休憩と身体を清める時間程度は取るべきかもしれない。
「ギース、近くに出口はある?」
「おう、歩いて5分位の所にあるぞ。一回出るか」
「……そうだね、僕もちょっと気分悪くなってきた」
平気そうに見えたラビエリも少し辛かったのか、そう言うと小さく息を吐き出して。
僕とギースは視線を合わせると小さく頷いて、一旦外に出て休憩を取ることに決めた。
そう決まった途端に足取りが軽くなってしまう辺り、僕も多分似たような状態なんだろうな、なんて他人事のように思いながら。
外の光が見えれば、リズ達は表情を明るくしながら外へと早足で向かい、表に出た途端に新鮮な空気を胸一杯に吸い込んでいた。
「……っ、は、ぁ……っ」
「うーむ……こりゃあ、一筋縄じゃあいかんな」
「まあ、少しずついこう。一度に行くのはかえって危なそうだからね」
「……そうしてもらえると、助かります」
壁にへたり込むようにして休憩しているアルシエルを見ながらそう言うと、ギースもラビエリも小さく頷いて。
アルシエルの手前、何とか耐えていたリズも顔色を悪くしながら壁にもたれかかり、小さく溜め息を吐き出しながら、そう口にした。
その後も僕らは何度も休憩を取りながら下水道を探索したものの、特に成果という成果はなく。
結局、その日は夕方過ぎまで下水道を見て回った後、僕らはそこで探索を切り上げて教会へと戻っていった。
一応役所の方から貰った防護服も多少は役に立ったのだろう、それを脱いでしまえば装備等には臭いはついておらず。
僕もだけれど、何よりリズとアルシエルはホッとしたような、そんな様子を見せて――……
「おかえり、なさい……おにいちゃん、おねえ、ちゃん」
「うん、ただいま、ミラ」
「おう、元気にしてたか?」
「お疲れ様でした、皆さん。ゆっくりと休んで下さい。夕食は良ければこちらで用意しますが――」
「……お言葉に甘えさせて貰います、シスター」
「あり……が、と……ござい、ます」
教会で出迎えてくれたミラとシスターに、僕らは少なからず癒やされながら。
彼女たちのためにも明日も頑張ろうと、軽く気合を入れつつ、ある種害獣駆除よりも疲れたような気がする体を、しっかりと休ませた。
手分けをできればもっと効率がいいのだろうけれど、『新種』が潜んでいる可能性を考えればそれは悪手だろうし。
単純に街を調査するよりはきっと良いと、そう思いたいけれど……それでも相当な長丁場になりそうだ――……




