3.何もない少女
――わたしは、川の畔に捨てられているところをシスターに拾われたらしい。
身の丈に合わない布地を巻かれて、ずぶ濡れの姿で捨てられていたらしく、そのままにしていたら間違いなくしんでいただろう。
体には生傷もあったらしいし、今こうして生きているのはきっと、シスターのお陰にちがいない。
シスターに拾われた私は、おとうさんやおかあさん?という人が来るまで、教会においてもらう事になった。
教会にいる間、わたしはぼんやりと日々を過ごしながら。
わたしは一体なんなのか、という事ばかり、かんがえていた。
「……わからない」
……わからない。なにも、わからない。
シスターに拾ってもらうまでの事を、わたしは何一つ思い出す事が、できなかった。
思い出そうにも、何を思い出そうとしているのかさえ、わからない。
当たり前なのかも知れない。
だって、わたしは――自分の名前さえ、思い出せていないんだから。
ミラ、とシスターは呼んでくれているけれど、それはどうやらわたしが纏っていた布地やらの一部に書かれていた名前のようで。
身の丈にあわないその布地の名前が、わたしの名前な筈がないんだから……きっと、ちがうのだろう。
「ん……っ」
ふるり、と身体が震えた。
お腹の下のあたりが、きゅうっとして……ええと、これは、確か……
「……そうだ、といれ」
そう、トイレだ。
トイレに、行っておしっこ、しないと。
そうしないと、またシスターに迷惑がかかって――……
「……っ、ぁ……っ」
ぼんやりとした頭で考えている内に、しょろろ、しょおお……と、内ももが濡れていくのが、判ってしまった。
顔が熱くなる。頭が、熱くなる。
足元に水たまりをつくりながら、わたしは、どうすればいいのかわからなくなって。
「……っ、ひっく……っ」
「……ミラさん? ああ、泣かないで、大丈夫ですからね」
頭の中がぐちゃぐちゃになって、なさけなくて、泣き出してしまうと。
シスターは慌てた様子でわたしのところに来て、頭を優しく撫でながら、慰めてくれた。
わたしは、たまらずシスターにしがみつくようにしながら、甘えて。
汚れてしまったお洋服と、下着を脱がせてもらうと、やさしく、やさしくシスターにきれいにしてもらう。
……これでも、わたしは前よりも大分、しっかりしてきたのだと、おもう。。
シスターに拾われた頃のわたしは、言葉はおろか、立って歩いたり、ご飯を食べたり、トイレにいったり。
そういうあたりまえのことが、何一つできなくて。その度にわんわん泣いて、シスターにお世話して、もらっていたから。
でも、それでも、まだ……わたしは、わたしが全然ダメなことは、わかっていて。
「ごめっ、なさ……っ、しすたぁ……っ」
めいわくをかけてごめんなさい。
全然ダメなわたしで、ごめんなさい。
……それが、ここちよくかんじてしまってるわたしで、ごめんなさい。
途切れ途切れになってしまう声で、わたしがシスターに謝れば、シスターはわたしの頭を撫でながら、愛おしむように額に口づけてくれた。
「良いんですよ、少しずつ覚えていきましょうね、ミラさん」
「……っ、は、い……」
シスターの言葉に、私は頷く。
シスターは、ほんとうにやさしい。
わたしは、ここの本でよんだから、しっている。
……わたしは、本当はこんなにやさしくされるような、そんな人間じゃないんだって。
シスターに着替えさせてもらうと、わたしはシスターに促されて、教会の外にでた。
といっても、教会のお庭からそとにはでない。だって、こわくて、こわくてたまらないから。
きっと、外にでてしまったら、わたしはまた捨てられてしまう。
そんな事をかんがえながら、ぼうっとお庭でお日様の光を浴びていると、柵の向こうにわたしと同じくらいの子たちがいるのが、見えた。
「――あ、のーなしミラだ!」
「やーい、のーなし!おもらしー!」
「……あ、ぅ……っ」
目を合わせた途端、その子たちは私を指さして笑いながら、はしりだして。
わたしは、びくっとふるえながら……そうだ、にげないと。
にげないと、って考えてから、足をうごかして……
「……きゃぁっ!」
「あ、のーなしがころんだ!」
「あははっ、ほんとダメダメなやつー!」
……足がもつれて、ころんでしまった。
ふかふかの芝生の上だから、痛くはなかったけれど。わたしが起き上がろうとしている間に、あの子たちがやってきて。
わたしの事を囲むようにすると、笑いながら……でも、わたしに手をさしのべて、くれた。
「あ、ありがと……っ!?」
わたしはシスターに教えてもらったように、お礼をいいながら、手をにぎろうとして。
……その手をにぎるよりも早く、その子が手を引いてしまうと、またころんでしまった。
「あはははっ♪ほんっとどんくさーい!」
「なんの才能もない、のーなしミラだもんねー♪」
「あ、ぅ……っ、う、うぅぅ……っ」
頭が熱くなる。周りの子からの声に、なんにもかんがえられなくなる。
「……っ、ふ、えぇぇぇ……っ!!」
「あー!のーなしが泣いたー!!」
「きゃははっ♪いっしょーあかちゃんののーなしミラが泣いたー!!」
勝手に溢れ出してきた涙をおさえられなくて、声もおさえられなくて。
わたしは、ぼろぼろ泣きながら……そんなわたしを、まわりの子たちは、おもしろがってわらっていた。
……しっていた。
わたしは、そうされても仕方のない子なんだって、しっていた。
教会でよませてもらった本は、どれも難しくてぜんぶは読めなかったけれど。
捨てられていたわたしの何かを見て、シスターがひどく、かなしそうな顔をしていたのを、わたしはおぼえてる。
――わたしには、なんの才能もなかった。
ないだけなら、良い。それならまだ、ふつうのひととおんなじ、だったから。
それだけじゃなくて、わたしは……いっぱい、いっぱい。いきていくのに必要な、才能のおおくが、ぼろぼろだった。
ふつうですらなかった。むのう、のうなし、やくたたず。
わたしは、この世の中では、ひとりでいきていくことさえ出来ない、どうしようもない、子で――……
「――っ、また……!!こらっ、何をしているの!?」
「あ、やべっ!シスターだ……っ」
「きゃははっ、にっげろー!!」
泣いているわたしを笑っていた子たちが、はしってにげていく。
それさえ、わたしにはできないことだ。わたしは走ろうとしたら、すぐにころんでしまう。
歩くのでさえ、気をつけないところんでしまうくらい、で。
「ミラ、大丈夫ですか!?」
「ひっく……っ、えぐ……っ!しすたぁ……っ」
「ああ、可哀想に……大丈夫、大丈夫ですよ」
シスターが助けてくれたのに、涙がとまらない。
ああ、だめだ、しっかりしなきゃいけないのに……シスターに、めいわくなんてかけたく、ないのに。
わたしはシスターにだっこされながら、教会のなかに連れて行ってもらうと。
ころんでついてしまった泥を払ってもらって、お膝の上に座らせてもらいながら、お本をよんでもらって。
そうして読んでもらったお本の内容も、わたしは半分もおぼえていられなかったし、わからなかったけれど。
……シスターの傍だけが、わたしの……やくたたずで、のうなしなわたしの、唯一のいばしょだということだけは、はっきりとわかっていた。
こうやって、シスターにお世話してもらって、覚えたことだって……寝て起きたら、はんぶんくらいは忘れてしまっている。
酷い時なんて、わたしはしゃべりかたや、あるきかた。じぶんの名前さえ、わすれてしまうことがあったけれど。
その度に、シスターに名前とか、いろいろおしえてもらってすごしていた。
そうしてまた、いつもどおりすごしていた、ある日のこと。
「――ごめんください。誰か、いらっしゃいますか?」
めずらしく、教会のおそとから、だれかがたずねてきた。
……ああ、きょうも、だめだ。
きょうは、あたまがすごく、ぼうっとする。
「あら、お客様かしら……? ミラさん、少し待っていて頂戴ね」
「……う、ん」
しすたーに、こくんってうなづき、ながら。
わたしは、ぼんやりとするあたまをなんとかしようと、かんがえて。
「はい、何か御用でしょうか?」
「朝早くから申し訳ありません。僕はパラディオンの者です。調査にご協力願えますか?」
「……あ、れ?」
……ぼんやりとしている、はずなのに。
なぜかその声をきくと、わたしは、なにかをおもいだしそうになった。
しすたーには、待っていてといわれた、けれど。
わたしは、いてもたっても、いられなくなって……ベッドからおりると、おへやからでて。
「ここに、ミラという子が居ると聞いたのですが――」
「ええ、確かに――……もしかして、ミラさんのお兄さんですか!?」
「おにっ!? い、いえ、そういう訳で無いのですが。良かったら、お話を聞かせてもらえないかと――」
ふたりのはなしてることは、むつかしくて、わからなかった。
ただ――しすたーと、はなしているおとこのひとの、かおは。
なぜか、どうしてか、すごく、すごく――なつかしい、ような。そんな、きがして。
「……しす、たー」
「あら……ミラさん、待っててと言ったでしょう?」
「あ、ぅ――ごめんな、さい」
「――ミラ?」
しすたーに、ちゅういされてしまうと、わたしはかおを熱く、あつく、しながら。
わたしの方をみた、おとこのひととしせんがあうと……おとこのひとは、目をまるく、して。
しすたーよりも、ずっとわかくて、それにちいさなそのおとこのひとは、わたしのかおをみると……おどろいたような、そんな、かおをみせると。
「……っ、あの、この子を何処で!?」
「ミラさんを、知っているんですね? 判りました、こちらへどうぞ」
なぜか、おとこのひとは、ひっしそうなかおをしながら……しすたーとまた、おはなしを、しはじめた。




