1.静かな始まり
「――なぁ、最近変じゃないか?」
パラディオン達が失踪した場所から、程なく離れた街。
首都と比べれば流石に見劣りするものの、多くの馬車が行き交うその街は、その地域の商業の拠点となっていた。
当然、多くの人がその街で生活しており――となれば、当然下水道もしっかりと完備されていて。
「何がだよ。良いからちゃんと掃除しろ、掃除」
男たちは街の地下に張り巡らされた、そんな仄暗い下水道の中をカンテラの灯りを頼りに歩いていた。
下水道のお陰で街は清潔に保たれてはいたものの、当然の事ながら下水道が清潔という訳ではなく。
彼らは高給と引き換えに、誰もが忌避する下水道の清掃を買って出た、清掃員で。
口元に疫病除けの布地を巻きながら、無駄口を叩く同僚に呆れたように、男は汚物を掻き出しつつため息を吐き出した。
「いや、何つーかさ……こう、違和感があるんだよなぁ」
「だーかーら、何がだよ?」
それでも言葉を止めない同僚に、男もとうとう清掃の手を止めれば。
これはもう、話をちゃんと聞いてから作業を再開したほうがマシだと判断したのか、同僚の方へと向き直り。
男の言葉に、同僚はしばらくの間唸っていたものの――なにかに思い当たったのか。
ぽん、と手を叩けば、納得したかのように声を漏らして。
「――綺麗過ぎるんだ、ここ」
「はぁ? 気でも狂ったのか、こんな汚物溜まりで」
「いや、いつもと比べての話だよ。大分作業が楽だろ、今日」
同僚の言葉に、男は少しだけ首を捻りつつ周囲を見る。
……言われてみれば、確かに同僚の言う通り、普段よりも下水道に溜まっている汚泥や汚物は量が少なく。
それでもまあ、やる事がやる事なだけに、男はちっとも楽には感じていなかったのだが――同僚の感じていた物は理解できたのか。
ふむ、と少し考えるようにしながら、下水の上流の方へと視線を向けた。
下水道には当然ながら、灯りは殆ど無い。光源と呼べるようなものは、男達が腰に下げているカンテラ程度のもので、上流の方は見通す事が出来ず。
「もしかしたら、上流の方で何か詰まってんのかもな」
「……げ、嫌なこと言うなよ。嫌だよ俺、汚物の塊掃除するの」
「文句言うなよ、その分しっかり金は貰ってんだから。ほら、ここが終わったら上流行くぞ」
げんなりとした様子の同僚に檄を飛ばしながら、男たちは再び作業を再開する。
普段よりも少ない汚れに、清掃は予想以上に早く終わり。
男たちは少しだけ覚悟するように、はぁ、と溜め息を漏らしながら下水道の上流へと向かった。
「……でもよぉ、変じゃねーか?」
「何がだよ。ちゃんと前提を言えっての」
「ほら、詰まってるならそもそも水だって少ない筈だろ?」
上流へと向かいつつ、同僚の口にした言葉に男は下水を流れていく汚水にカンテラを向ける。
なるほど確かに、同僚の言う通り水の量は何時も通りで――だと言うのに、明らかに上流へと向かうに連れて、汚物の量が減っており。
「……どうなってんだ、こりゃあ」
「知らねぇよ、もしかして今日は別の連中の当番とかち合ってんのか?」
「おいおい、勘弁してくれよ……貰える金が減っちまうじゃねーか」
同僚はうんざりと言った様子で、少し早足で上流の方へと歩き出した。
――下水道の清掃の報酬は、基本的には頭割りである。
もし他にも清掃員が居たなら、折角2人で山分けするはずだった金が目減りしてしまう。
そうなっては、わざわざキツいこの仕事を選んだ意味もなくなるじゃないか、と。
同僚は同業者に一言も文句でも言ってやろうかと、上流の方へと男を置いて一人歩いていって――不意に、その同僚が腰に下げていたカンテラの灯りが消えた。
「……ん? おい、カンテラ切れたのか? 燃料はちゃんと入れとけっつっただろ」
男は呆れたように、予備の燃料を取り出しつつ同僚に渡そうとする……が、肝心のその同僚からの返事がなく。
首をひねりながら、上流の方へと向かえば、男は思わず言葉を失った。
「――何だ、こりゃあ」
そこは、男が知っている下水道ではなかった。
磨き上げられたような清潔な床に壁、そして通路の間を流れる水流は汚水とはとても呼べない程に清涼で、水底の石畳すら見える程。
一体どんな清掃をすればこんな事になるのか、と男は一瞬だけ考えるが、頭を左右に振る。
男とて、これで金を貰って生活をしている身だ。
如何様な清掃を、掃除をしようともこんな事にはならないと、男はよく知っている。
そんな、有り得ない……存在し得ない、酷く清潔なその場所に、男は背筋が凍りつくような悪寒を覚えた。
「……お、おい!返事しろよ!!」
不安になって、男は同僚を呼ぶ。
しかし同僚の姿は愚か、返事さえなく、返ってくるのは下水道を反響する自身の声だけで。
――そんな男の目の前に、べちゃり、と。
粘液に塗れた、何かが落ちてきた。
「ひ……っ!?」
思わず悲鳴を上げながらも、男はそれに灯りを向ければ……そこに有ったのは、見覚えのある衣類で。
つい先程まで、同僚が着ていたはずの衣類は、まるで抜け殻のように男の前に捨てられていた。
「……やばい、やばいやばい……っ!!!」
男はその異常に涙を零しながら、慌てて駆け出した。
余りにも遅すぎる判断では有ったものの、逃げ出さずには居られなかった。
清涼過ぎる下水道も。脱ぎ捨てられた同僚の衣類も。それに――今、自分の真上から聞こえている、粘着質な音も。
その全てが恐ろしく、悍ましく。
「――っ、誰か、たすけ――ッ」
失禁さえしながら、男は叫ぼうとして……しかし、その声が最後まで発せられることはなかった。
透明な、しかし余りにも粘性が高すぎて身動きさえ取れない何かに男は包まれれば、あっという間に意識が遠のいていく。
――下水道の清掃員が、仕事をボイコットして何処かへ行ってしまう事は、良くあることだ。
如何に高給とは言えど、キツい、汚いの二重苦なのだから、仕方のないことである。
だから、その日2人の清掃員が報告に来なかったことを、職員は特に気にも留める事はなかった。
翌日、また下水道に新しく雇われた、高給目当ての清掃員が下水掃除をしてくれるだろう、と。
街は、今日も平穏だった。
/
――『新種』の捜索隊に加わってから、もう一ヶ月が過ぎようとしていた。
相変わらず手がかりは何一つ無く、周辺の街は平穏そのもので。
それはまあ、元々依頼されていた害獣がおおかた駆除されていたから、という事もあるのだけれど――『新種』が何一つ周辺に害を為していないということが、余りにも不自然で、それが返って恐ろしく。
僕らは今日も『新種』の捜索を終えた傍らで、彼女を見た人が居ないかと、近隣の町で聞き込みをしていた。
「……また、彼女を探しているのですか?」
「ん……まあ、ね」
酒場での聞き込みも空振り、少し肩を落としていると、背後からの聞き覚えのある声に、小さく息を漏らす。
ここ一ヶ月ですっかり馴染みのある声になった――怜悧な雰囲気を感じさせる、妖精族の女性。
そんな彼女は、僕に少し呆れたように……同時に、憐れむような視線を向けていた。
4人になった僕らの元に来た彼女の名は、リズ。
剣と魔法、両方に才能がある彼女は、僕らと同じく北限遠征に同行していた優秀なパラディオンの一人だった。
彼女の班は北限遠征で多くの怪我人と、そして離脱者を出したために再編をされる事になり……その結果、僕らの班へと加わったのである。
彼女はとても優秀であり、そして有能だった。
剣と魔法に関しては僕よりも上の、正しい意味でのオールラウンダー。
聞けば、前の班ではリズがリーダーをしていたらしく、状況判断にも優れていて。
……だから、そんな彼女からすれば。
僕が、僕らがしていることは、きっととても非合理的に見えてしまうのだろう。
「私とて仲間を失った身です、気持ちは判ります。ですが――」
「……ごめん。でも、まだ諦めたくないんだ」
「――判りました。今夜は冷えます、早めに戻るように」
リズの言葉を遮るように僕がそう言うと、彼女は小さく溜め息を漏らしながら……多分、僕らがとっている宿の方へと向かっていった。
あの後に続く言葉は、解っている。
ミラが失踪してから、もう一ヶ月以上経つというのに……それでも尚、諦めないというのは、きっと愚行でしかないのだろう。
「――ミラ」
……でも。
それでも、僕は諦められなかった。諦めたくなかった。
あのミラが死ぬ筈がない。死んでいる筈がないと……そう、信じたくて。
僕は彼女の名前をポツリと呟きながら、空を見上げ――宵の口を少し過ぎた寒空の中、彼女の姿を、姿では無くとも情報を求めて、町の中を彷徨っていた。




