4.実地演習、当日
ウィル=オルブライトとミラ=カーバインがペアを組む事に決めてから、数日後。実地演習当日の夕方、生徒達は施設の前に集められていた。
まだ特にグループごとに集まっているわけでも無く、教師達と所長の前に整列しながら、生徒達は出発を今か今かと待ち望む。
ある者はこれからの実地演習でどう「遊ぶ」か。ある者はこれからの実地演習でどう「睦み合う」か。
そんな生徒たちの様子を改めて、少しだけ落胆した様子で所長は眺めるが――それに気づくのは、その落胆の対象外である数名の生徒のみ。
まあ実地演習が終わる頃には空気も変わるだろうと、所長は小さくため息を漏らしつつ咳払いをした。
小さい音の筈なのに、やけに響くその音に漸く生徒達は静まり返り――音がなくなったのを確認してから、所長は口を開いた。
「――さて、今日は実地演習当日じゃが。これから、実地演習にあたって幾つかの説明をさせてもらおう」
所長がそう言いながら杖で地面を軽く叩けば、途端に所長の背後から土が盛り上がり、形を成していく。
ちょうど黒板のような形――というにはいささか大きすぎるが――を象れば、その表面に次々と文様が描かれ始めた。
始めは意味のない文様でしか無かった物は、徐々に意味有る形を成していき……やがて、見るものが見れば判るものへと変わっていく。
それは、地図だった。それも決して適当な物ではなく、書物に記されているような精巧な物。
そんなモノを即興で作り上げる辺りは、流石は養成所の所長といった所だろう。オラクルではないが、パラディオンとして目覚ましい活躍をしたが故の、この地位である。
おお、という生徒達のどよめきに気を良くする事もなく、所長は出来上がった文様――地図の一部を軽く杖で指し示した。
「今儂らが居る場所が此処。そして、今回実地演習で向かう場所が此処じゃ。通称花園と呼ばれておる」
所長が指した場所は、地図の大凡端から端。
当然だが、近くはない。実地演習で使う場所は、謂わばパラディオン達の現場である。
人類を害する「害獣」が人類の生存圏の近くに居るわけもなく、実地演習は生徒達の誰もが行ったことのない程に遠くで行われる事になっていた。
生徒達も流石にそれは知っていたのか、特に動揺することもなく……否、極少数のみ動揺していたが、所長はそれを気にする事無く、説明を続けていく。
「移動時間は大凡12時間程度かの。付く頃には朝になっておるじゃろう、馬車でしっかり休んでおくように」
「はいッ」
所長の言葉に生徒達が返せば、所長は小さく頷いて。先程したように、杖で軽く地面を小突けば、大きな土の壁はまたたく間に元の地面へと戻ってしまった。
生徒の感嘆の声を気にすることもなく、所長は後は任せる、と言わんばかりにアルゴルの肩を叩き。それにアルゴルは小さく頷けば、生徒達を誘導し始めた。
グループごとに別れるのは、現地に到着してから。
それまでは、生徒達は適当な数に割り振られた馬車の中で自由に過ごすことになる。馬車にはそれぞれ教師達が乗っているものの、基本的には何をするかは生徒の自由だ。
ウィル=オルブライトとミラ=カーバインはそれぞれ別の馬車に揺られながら、12時間の間、静かに――周囲の生徒達の喧騒を、少しだけ疎ましく思いながら――花園への到着を待ち望んでいた。
/
「――おい」
養成所から花園へ移動中の馬車の中。流石にこの移動中には自主訓練のしようもないな、と久方ぶりに体を休めていると、不意に声をかけられた。
……いやまあ、流石になんで声をかけられたのかは察しがついているけれど。せめて移動中くらいは、突っかからないで欲しい。
無論、そんな事を口にすれば余計に拗れるのは解りきっているから、口にはしないけども。
「おい、出来損ない。お前どうせ、今度の実地演習で一人なんだろ?」
……さて、どう答えたものか。
いや、答えないほうが良いか。答えれば、今度はミラさん……ミラの方に、とばっちりが行きかねないし。
「だんまりかよ。まあ良いや、お前みたいな奴と組む奴なんか居るわけ無いもんな?」
「……」
「そうだよねぇ、何しろ親の威光で成績買ってるようなクソ野郎なんだからさぁ」
しかし、一体何処からそんな話が出てきたんだろう?
エコヒイキなんて、養成所の所長や先生達が許すはずも無いのに。成績を買うなんて、それこそ不可能だ。
仮にそんな事を所長や先生に申し出たら、何をされる事やら。考えるだけでも恐ろしい。
まあ、それを先生たちに直訴しに行ってない……少なくともそういう話は聞かない辺り、もしかしたら彼らもそうじゃない事は理解しているのかもしれないけれど。
「言っとくけど、俺たちはお前なんか絶対に助けてやらないからな」
「お前なんか向こうで置き去りにされちまえば良いんだよ」
……不思議なものだなぁ、と思う。
彼らの言葉は、間接的に――実地演習を監督してる先生たちを馬鹿にしているようなものだ。
実地演習中に生徒が行方不明なんて事になれば、それは先生たちの責任問題になる。
僕たち生徒が不慮の事故で死んだだけでも一定の責任を負わなきゃいけないような立場の先生達が、そんな事をするわけがないだろう。
少しだけ心配なのは、今眠っている先生が怒ったりしないか、ということだけだ。
輸送用なのだろう、馬車の中はそれなりには広いけど音はしっかりと響く。もし起きて説教でも始まれば、ゆっくり眠る事すら出来ない。
折角、ミラと組んで実地演習に臨めるのだ。出来ることなら、体調は万全に整えておきたかった。
「……ちっ、言い返す事もできねぇのかよ、出来損ないめ」
「全部図星だからなんにも言い返せないんでしょ、あはは!」
ああ、でもどうやらそんな心配も杞憂に終わりそうだ。
こうして黙って、相手にしていなければ直ぐに相手も飽きる。まあ、時々延々と絡んでくる事もあるけれど、今回は実地演習への移動中だ。
現地に着けば大変なんだから、彼らだって睡眠を取りたいのだろう。
「精々一人で大恥かくんだな!」
「誰も出来損ないなんか助けてやらないんだからっ」
思い思いの言葉を吐き捨てて、彼らは自分たちの寝床へと戻っていった。
……その後も声が聞こえる辺り、夜更かしでもするつもりなんだろうか?花園についたら実地演習が待っているというのに。
流石に実地演習をピクニックかなにかと勘違いしてるような事は無いと思うのだけど……
正直な話、僕は家族以外との人間とは疎遠だったから同年代の人たちがどう考えているのかは、よく判らなかった。
どういう会話で盛り上がってて、どういう物が流行してて、どういう者に憧れているのか。そういうのに、全く興味を持たなかったから。
ほんの僅かに、胸が痛む。
父さんも母さんも、普通に生きてくれればそれで良いと言ってくれていた。才能なんて無くても、お前は生きたいように生きて、幸せになってくれればそれで良いと。
……今の僕の生き方は、きっと父さんと母さんの期待に、希望に背いたものだ。
もし死後の世界みたいなのがあるのなら、きっと僕は父さんに落胆されるんだろうな。
――そう言えば、母さんは、姉さんは元気にしているだろうか?
僕なんかが心配するような二人ではないけれど、無事であればいいのだけど。
……徐々に、徐々に思考が取り留めのない物になっていく。
意味のある思考が出来なくなって、少しずつ意識は黒く、黒く塗りつぶされて――
――そのまま、僕は夢の中へとおちていった。
見るのは、いつもの夢。父さんと母さん、それに姉さんと共に過ごした、暖かな日々。
もう決して届く事のない、訪れることのない日々を。
/
12時間より、少し過ぎた後。
日が昇ってから少し経ち、漸く馬車が止まった。
教師達の指示と共に、生徒達は馬車から出て実地演習の現場である花園へと降り立つ。
生徒達の眼前に広がるのは、広大な森林。そして、地面から隙間なく生い茂る色とりどりの花々だった。
花々は地面だけではなく、木々にも侵食するかのように絡みつき、中には根を張っている物すらあって。明らかに異常な光景ではあったものの――
「おお……!」
「凄い、綺麗!」
――見ようによっては、とても美しく映るものでもあった。
生徒達は口々に感動したかのような、感嘆の声をあげて。それを見た教師と所長は、少しだけ眉を潜めつつも号令をかける。
「……こほん。ではこれより実地演習を開始する。各々準備したものを駆使し、三日間此処で生き残るように」
所長の言葉に生徒達は元気に返事をして、待ってましたとばかりにグループを組み始めた。
グループの人数に特に制限はない。10人の大所帯のグループもあれば、2人といった最小限のグループも散見される。
だが、殆どのグループに言えることは、多くはこの実地演習をただのピクニック、遠足程度の認識でしか捉えていない事だった。
言うまでもなく、これは遠足でもピクニックでもなく、実地演習である。
此処に居るのは可愛らしい野生動物でも無ければ、陽気な原住民でも断じて無い。
人類に害を為すであろう獣。動物とも違う存在、「害獣」なのだ。
無論、生徒達を預かる養成所側も無策というわけではないが……それでも、危険であるという事には変わりない。
――生徒達はこれから、それを嫌という程に思い知ることになる。
/
「……すまない、少し遅れたな」
「ううん、大丈夫だよミラ」
生徒達が花園へと入っていってから十数分後。一人残っていた僕の所へ、ミラが戻ってきた。
他の生徒達はもう誰もおらず、恐らくはミラと僕がペアを組む事を知る事もないだろう。
無論、花園の中で出会ってしまったなら即座に露見してしまうであろう程度の苦肉の策ではあるけれど、ミラに負担がかかるような事は出来る限り避けたい。
では行こうか、というミラの言葉に頷けば、僕らも他の生徒達に遅れて花園の中へと入っていった。
花園の中は文字通り、花で一杯だった。足の踏み場もない程に花で埋め尽くされていて、歩く度にどうしても花を踏みしめる事になる。
周囲には常に花の甘い香りが漂っていて、それが常に緊張感を緩めようとしてくるのが恐ろしい。
――ここは、既に害獣のテリトリーなのだ。緊張感を緩めて良いはずがない。
取り敢えずは、水場と寝床の確保が急務だ。何しろ今回の演習は三日間もあるのだから。
ミラもそれは重々に承知しているからか、周囲を見渡して警戒しつつ――周囲に危険がないことを互いに確認しあいながら、進んでいく。
「しかし、花園か。此処に居る害獣はどんな手合いだと思う?」
「ん……そう、だね」
ミラの言葉に、少し思考を巡らせる。
正直、僕も害獣の相手なんてした事は無いし、母さんや姉さんから伝聞で聞いた程度の知識しかない。
そんな知識で判断するのは危険なことだとは思うけれど……それでも、ある程度の推測は出来る。
「……多分、小型の害獣だと思う」
「ふむ、その根拠は?」
「所狭しと樹が並んでる事と、花で埋め尽くされて足元が確認しづらい事、かな。大型だと動きづらいだろうし、小型なら花に紛れて……みたいな事も出来そうだから」
「成る程、それは確かに」
ミラは僕の言葉に小さく頷きつつ、足元の花々を軽く槍で払う。
花々の下には地面が有るだけで、害獣の姿はない。まあ、害獣が居れば不自然に花が揺れるだろうしそれには警戒してきたつもりだから、居ても困るけども。
「となると、寝床は花を焼き払ったほうが良いか」
「そうだね。僕が魔法で焼いておくよ」
「……便利なものだな、魔法というのは」
少し羨むようなミラの言葉に、そう言えば、と思い出した。
ミラは槍と騎乗に対して高い才能を持っているけれど、魔法に対しては適正が無いんだったっけ。
……僕からすれば、2つも天才的な才能を持っている時点で羨ましいのだけれど。ミラからすれば、違うんだろう。
「まあ、使えると言っても人並み程度だよ。それに使いすぎると負担が酷いから」
「そういうものか。体力のような物を使うんだったか?魔法は」
「うん。一応、精神力とか言われてるみたいだけど……魔法を使いすぎると、何も出来なくなるくらいやる気がなくなるんだ」
運動すればするほど疲労するように、魔法も使えば使う程に精神力――有り体に言えば、心の力を消耗する。
心の力というのも曖昧だけれど、一度魔法を使いすぎた経験からすると、要するにやる気、というのが一番分かりやすいと思う。
魔法を使いすぎて精神力を消耗すると、どれだけ危機的な状況に陥っていたとしても何もやる気が起きなくなるのだ。
死の間際であったとしても、逃げる事も、戦う事も。起きている事さえ億劫になってしまう。ある意味肉体的な疲労よりも危険な状態といえるだろう。
「……一応火付け石は持ってきているし、ウィルの魔法には余り頼らない方が良いかもしれんな」
「そうだね、害獣に遭った時の為にある程度は余力を残しておきたいかも」
互いにこれからの事を確認しあいながら、花園の中を進む。
暫く進めば、水場として使えそうな小さな川を見つけた僕らはそこに拠点を築く事にした。
周囲の花々を焼き、念のために何かが近付いてきた時には知らせる為の鳴子を作り、小さなテントを立てる。
これから三日間過ごすには少々心許ない気はするけれど、これで一応寝床と水を確保できた。
食料に関しては、持ち込んだ物を失う事さえ無ければ大丈夫だろう。
「さて、まだ日は高いが……ふむ、一人は此処に残ったほうが良いか」
「それなら、僕が此処に残るよ。余り遠出はしないようにね、ミラ」
「……解っている、母親かお前は」
僕の言葉にミラは少し可笑しそうに笑いながら、周囲の探索へと向かった。
……さて、僕も荷物の整理とかやっておかないと。予想は小型の害獣だけれど、万が一大型の害獣が居た時の準備は、しておくに越したことは無いだろう。
――何しろ、僕もミラも害獣と遭遇するのは初めてなのだから。
/
「――わあ、凄い!!こんなに広い花畑、初めて!!」
そのグループは、10人規模の大きな集団だった。花園に辿り着いてから直ぐに、予め決めていた生徒達で集まり、真っ先に花園へと入った一団である。
彼らは特に何にも警戒していなかった。色とりどりの花を楽しみ、周囲の非現実的な光景に沸き立ち、そして――花園の中心部にある、大きく開けた場所へと辿り着いた。
そこは、文字通りの花園だった。
木々も生えておらず、視界いっぱいに色とりどりの花が咲き乱れ、風が少し吹けば花びらが舞い散る。そんな、寓話の中にしか無いような世界。
生徒達は皆、その光景に目を奪われていた。
決して彼らが愚かな訳ではない。もしウィルやミラが辿り着いたとしても、目を奪われるであろうほどにその花園は美しく、幻想的だった。
「なんだ、実地演習なんて言ってもやっぱり大したことないじゃないか」
「ねえ、此処でキャンプしましょうよ!視界も開けているし、何よりきっと素敵だと思うの!」
生徒達は思い思いの言葉を口にしながら、花園の中を進んでいく。
甘い香りに、幻想的な光景。生徒達は夢のような光景に完全に酔いしれていた。
――生徒達が花園の中央まで進み、幻想が牙を剥くその時までは。