閑話.本部での、ちょっとしたお話
「――は、ぁ。今回は、流石に疲れたな……」
誰に言う訳でもなく、呟いた言葉が浴場に反響した。
北限での遠征で強張り、疲労した身体に暖かなお湯は心地よく、表情はだらしなく緩んでしまう。
まあ、別に誰が見ている訳でもない。疲れていると言うの人混みの中で身体を流した所で疲れも癒えないだろうと、わざわざ人気が無くなった時間を選んだ甲斐が有ったというものだ。
広い浴場を一人で貸し切りというのは、実に気分がいい。
「は、ふ……」
口から息を吐き出すと、身体はますます弛緩していく。
湯船の縁に両腕を乗せ、顎を乗せて。うつ伏せになれば、私は軽く足をぱしゃぱしゃと遊ばせながら、すっかり気を抜いてしまっていた。
遠征中はお風呂に入るなんて事は絶対に――とまでは言わないけれど、殆どの場合入ることが出来ない。
ウィルやギース、それにラビエリは男だから良いとしても、それは私やアルシエルにとっては大問題だった。
特に今回の北限遠征に至っては、湯を沸かして身体を拭くことさえ出来なかったのが、本当に辛かった……何しろ、お湯を沸かして布を濡らしたら、その先から凍っていくのだからどうしようもない。
身体を拭こうものなら、その瞬間に凍傷になってしまう。まあ、そもそもの話として素肌を晒した時点で凍え死にそうな寒さだったのだけれど。
「……ん、ふ」
暖かさと心地よさに、思わず口元が緩む。
久方ぶりのお風呂は、本当に格別だ。それが貸し切りだというのだから、なお嬉しい。
身体にこびりついていた汚れもしっかりと流したし、これで今夜はすっきりと眠れそうだ。
「……♪」
鼻歌を歌いつつ、私は久方ぶりの温かな心地よさに身を委ね――
「……ご……きげん、だ……ね、ミラ」
「……~~~~っ!?」
――急に隣から聞こえてきた、聞き慣れた声に思わず飛び上がりそうになった。
いつからそこに居たのか、隣にはアルシエルが心地よさそうに湯に使っていて。
私の方を見て、微笑ましそうに笑みを向けながら……ああ、やめてほしい。そんな目で私を見ないでほしい。
「い、何時から居たんだ?」
「え……と。疲れた……とか、言って、た……あた、り……?」
「……ほとんど最初からじゃないか……!」
顔が熱くなっていくのを感じる。
……まあ、アルシエルは同じパーティーだし。口が軽いタイプでも無いから、良いか。
「……はぁ」
「ど……う、した……の?」
「なんでもない。アルシエルも、今回はお疲れ様だったな」
仰向けに寝かせていた身体を起こしつつ、彼女の隣に腰掛けるようにして湯船に浸かる。
彼女はと言えば、耳をぴこぴこと揺らしながら、淡く笑みを浮かべて、こくんと頷いた。
最初の頃は何を考えているか判らないな、と思っていたけれど、最近では彼女の意思表示も良く分かるようになってきた……気がする。
嬉しい時は耳がぴこぴこしたり、尻尾が立ったり。落ち込んでいる時は耳がぺたんとしたり。
……まあ、それもこうして落ち着いている時だけなのだけれど。
「……ミ、ラ」
「ん、どうかしたのか?」
「ミラ……の、はだ。綺麗……だ、よね」
「そう、か?」
「うん、と……って、も」
彼女の言葉に、少しだけ嬉しくなる。
正直な所を言えば、私は自分の……いわゆる、女性的な魅力という所には、あまり自信がなかった。
女性としては背が高すぎるし、腕っぷしだって強いほうだと理解している。
当然、それが女性的な魅力とはかけ離れている事も、重々に理解していて――まあ、今更女の子らしくなんて、出来ようはずもない。
だから、そういった物は既に諦めていたのだけれど……仲間にそう言ってもらえると、少しだけ自信がつく。
「ありがとう。まあ、アルシエルには及ばないと思うがな」
「……そ、う?」
「そうだとも」
対して、目の前の彼女は実に女性的だった。
小柄で肌も白く、線も細くてとても愛らしい。小動物的な可愛らしさ、というのだろうか。
女性らしさで言うのであれば、私とは比べるべくもないだろう。
「えへ……へ」
そう言われて嬉しかったのか、アルシエルは耳をぴこぴこ揺らしつつ、口元を湯船に浸した。
全く、そういう仕草も愛らしいのだから、堪らない。
彼女はしばらくの間そうして喜んでいると、視線をこちらに向けて。
「――ね。ミラ……は、何か……とく、べつな……の、してる……?」
「特別?」
「う……ん、だって……」
――正確に言うなら、その視線を私の、ごく一部へと向けていた。
「……む……ね。おっき、いの……うらやま、しい」
「な――い、いや、これはそんな羨むような物では」
「いい……な」
彼女の視線は、私の胸――ぷかぷかと湯船に浮かんでいる、二つの駄肉に向かっていて。
なぜだか無性に恥ずかしくなってしまい、それを両腕で隠すようにすれば、むにゅん、と駄肉は歪んでしまい。
何故か、彼女はそんな重たいだけの駄肉へと、ますます羨ましそうに視線を向けてきた。
……何故、そんなにこれが羨ましいのか。
槍を使う時には邪魔になるし、防具のサイズだってこれのせいで――いや、まあ身長のせいだってあるが、選ぶのが大変なのに。
養成所の頃から着ていた服も、最近少しキツくなってきたし……メリットなんて、何一つ無いように思えるの、だけれど。
「……私としては、アルシエルくらいのサイズが理想なのだけれど、な」
「え、え……? もった……い、ない……よ?」
「いや、何が勿体無いのかさっぱり判らん」
長身を羨まれるのは、まあ分かる。手足の長さはリーチに直結するし、女性的ではないとしてもパラディオンとしては利点なのだし。
だが――この胸は、全くそれとは関係ない、筈だ。
だと言うのに、彼女はもったいない、と口にしつつ。それに疑問を呈する私に、ちゃぷ、と音を立てて近づいてくれば……じぃ、と、上目遣いで私の顔を覗き込んできた。
……正直、女性の私が思うくらいに、かわいい。ずるい。
「……む、ね。おおき……い、の……おと、この……ひと……すき、だ、よ?」
「む……いや、だがそれはある程度女性らしさがある前提だろう」
「うう、ん。おお……きい、の……それ、だけで……ステー……タス? って、きい、た」
「ステー、タス」
確かに、私も知識では知っている。
こう、何というのだろう。性的嗜好というのだろうか?大きい胸に興奮するような男性が居る事は、解っている。
だがそれは、飽くまでも土台が女性らしい場合の話だ。
下手な男よりも背が高い私は、土台自体が良くないのだから――そう、思っていたのだけれど。
……もしかして、こういうのが好きな男性も居るんだろうか?
例えば、そう――一番身近な……
「……いや、いやいや」
……頭を過った想像に、頭を左右に振る。
そうであれば、そうであったならば、今までに……そう、それこそ養成所時代にでも、告白とかあっても良かったはずだ。
それが一切無かったのだから、私はそういうモノでは無いのだろう。そうに、違いない。
「全く、アルシエルは人をからかうのが上手いな」
「……そ、う?」
私の言葉に首をひねる彼女に苦笑しつつ、私は湯船を上がれば軽く身体を伸ばした。
うん、大分疲れも抜けたような気がする。
馬車に揺られている間は休んでいたとは言え、あれもあれで中々身体に来るものだが。その疲れも、どうやら大分和らいだようだった。
少し痛かったお尻も、痛みは抜けているし。
「……む」
「ど……う、した……の?」
「い、いや、なんでもない。じゃあ、先に上がるよ」
「ん……おつ……かれさ、ま」
……触ったお尻が、以前よりむにむに、たぷたぷとしているような気がするのは、きっと気のせいだろう。
気のせいだと、思いたい。
私は顔が少し熱くなるのを感じながら、アルシエルに先に上る旨を伝えると浴室から出て、軽く身体を拭えば私は慌てて姿見へと向かった。
「パラディオンになってからは忙しかったし、太る事など無いと思っていたが……」
身体を拭いつつ、姿見に映る自分の姿を見る。
そこに映っているのは、背が高く、無駄に胸と――そして、腰回りと言うべきか。お尻の辺りが大きな、私の姿が映っていて。
一度意識してしまうと、以前より少しだけ肉が増えたような――
「……っ、ちょっと、酒場に行くのは控えよう。そうしよう」
――駄肉を纏った自分をウィルに見られる場面を想像すれば、かぁっと熱くなる顔をパチンと叩き、私は固く決意した。
目標は、今の防具がキツくならない程度。そして養成所時代の服がちゃんと着られるようになる程度。
よし、と軽く意気込めば、私は身体から水気を拭い、着替え、外に出て。
「あら、ミラさん」
「あ、エミリアさん。こんばんは」
ばったりと出会ったエミリアさんと軽く挨拶を交わしつつ――普段着らしい格好の彼女を見れば、うん、と改めて頷いた。
透き通るような白い肌。温和で女性的な顔立ち。背は女性としては平均的。
そんな素晴らしい土台の上にある、豊満で女性的な身体。
これが、女性らしさということだろう。
「どうかしたの?」
「いえ、自分は正しかったんだな、と」
「……?」
「ああ、いや――大した事ではありませんので。では、失礼します」
「あ……ええ、お休みなさいミラさん」
不思議そうに首を傾げるエミリアさんにそう告げると、私はその場を後にした。
女性らしさという物を再確認できたし、そうではない私は取り敢えず、駄肉を落とすことから始めよう。
ウィル――いや、仲間に無様を晒さないようにしなければ。
私は改めて、そう誓った。




