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凡庸なるパラディオン ~平凡な僕らは、それでも世界を守り抜く~  作者: bene
序章:パラディオンになる前のお話
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3.徒花

 ――準備運動も終わったので日課の自主訓練を始めようとしたら、僕の秘密の場所に見知った顔が居た。

 別に親しいという訳ではない。交わした会話といえば、精々両手で足りる程度。親しいどころか、険悪ですら有る……と、少なくとも僕は考えている。

 組手後には舌打ちされるわ、視線を合わせようとすらしないわ、組手中に明らかに殺意を感じるような槍撃を放ってくるわ。これで嫌われていないというのであれば逆に恐ろしい。


 そんな相手――ミラ=カーバインが、何処か居心地の悪そうな表情でこちらを見つめている。

 ……彼女のそんな表情を見るのは、初めてだった。

 こちらに向けられる表情はこの施設に来てからは嫌悪と嘲笑だけで。それもまあ、仕方のないことと受け入れていたけれど――


「……ウィル=オルブライト」


 彼女の声に、戸惑っていた意識が引き戻される。

 彼女はまだ少し居心地が悪そうな、そして同時に何か躊躇っているような、迷っているような。そんな表情のままで、僕の方へと近付いてきて。

 背の高い彼女――決して僕が低い訳ではないと思いたい――は、僕を見下ろしながら、大きく息を吐き出すと、改めて……初めて、その鋭い視線を僕の視線と合わせ、そして口を開いた。


「これは、お前が?」

「……えっと」


 これ、というのは恐らくは自主訓練の犠牲になった木々の事だろう。打ち込み、射掛け、叩いた木々は見る影もなくひしゃげ、時には折れ、抉れてしまっていた。

 ……改めて見ると、施設内のモノだというのに乱暴に扱いすぎていたかもしれない。後で家の方に請求が行ったりしないだろうか?と、今更ながら少し不安になる。


 取り敢えず彼女の問いに、小さく頷く事で返した。すると彼女は大きくため息を吐き出しながら、今もなお躊躇するかのように少しの間唸り、唇を噛み――その間、僕は彼女の神経に触らないように待って。

 そうして、1分程度過ぎた頃。彼女もようやく落ち着いた?のか、少しだけ鋭い視線を緩めつつ、改めて言葉を口にした。


「……今度、実地演習が有るだろう?」

「あ、うん」


 彼女の言葉に、思わず頷く。

 ――思えば、施設に来てから初めての同年代との何気ない会話、だったかもしれない。

 とは言え、会話はぎこちなく。一言口にすれば、また少しの間が空いて。


「私と、組め」


 少しの後、彼女の口から飛び出した言葉に思わず僕は、自分の耳を疑った。

 ――彼女と、組む?実地演習で?


 聞き間違えていなければ、確かに彼女はそう口にした。もし本当にそう言っていたのであれば、願ったり叶ったりだ。だけど……


「私では、不足か?」

「う、ううん、そんな事はない、けど」


 久しぶりの、本当に久しぶりの真っ当な同年代との会話に、舌が回らない。

 ……だけど、彼女にそれをするメリットが有るとは思えない。彼女は……ミラは、僕とは対象的な人間だ。

 才能に恵まれ、だからこそ周囲からも好かれている。そんな彼女が僕とわざわざ組もうとする理由がわからない。


 僕と組めば、周囲からどういう視線で見られるのか。それがわからない程、彼女は抜けていない筈だ。


 こちらの戸惑いを感じたのか、彼女は少し考えるように視線を彷徨わせ――一点を、指さした。

 釣られるようにそちらに視線を向ければ、そこにあったのは、自分の訓練で傷付いた木々。

 施設に入って少ししてから、周囲の視線を気にせずに鍛錬できるからと訓練し続けてきた、その結果。

 彼女はそれを指さしながら、言葉を口にしていく。


「――私は、他人の努力まで否定するほど暗愚ではないよ」


 ……彼女の言葉に、得も知れぬ感情が胸の底から湧き上がるのを感じた。

 暖かく、熱をもった感情が胸に広がる。久しく感じていなかった筈の熱が、体に広がっていく。

 その感情が何なのか最初は判らなかったが、直ぐに思い出した。


 これは、喜びだ。

 自分が今までしてきた事は、別に対価を求めての物ではないし、褒められるような事ではないと思っているけれど。

 それを、才能がある同年代相手に認められて、嬉しくない訳がない。


「その……っ、ミラさんが良いなら、僕からもお願いしたいです」

「……そうか。では宜しく、ウィル」


 そう口にする彼女の表情はまだ固く。しかしながら、こちらに差し伸べられた手は開かれたままで。

 僕は少し緊張しつつ、その手を取れば――生まれて初めて、家族以外の誰かと握手をした。


 互いの手を軽く握り合い、離し。彼女は少しだけ可笑しそうに表情を緩めれば、そのまま少し離れた所にある切り株――うっかり切り倒してしまった木の名残に腰掛ける。


「……どうした?するのだろう、自主訓練」

「え、あ、うん」


 ……もしかして、彼女は自主訓練を見物していくつもりなのだろうか。

 見ても面白いものではないと思うのだけど、と思いつつも口にはせずに、僕はもってきていた木剣に棒、それに弓を出せば何時ものように木に立てかけて。

 今日は剣からにするかな、なんて気まぐれに決めれば木剣を手に、剣の練習用に決めている木に打ち込みを始めた。


 別に特別な事などなにもない、基礎の打ち込み。

 その形を何時でも、どんな時でも出せるように、何百回と同じことを繰り返す。

 当然直ぐに終わる筈もなく、次第に日が暮れて、時間は過ぎ……終わるのは、大体夜が更けた頃。

 カンテラで灯りを確保しながら、それぞれ自分で決めた回数を何時ものようにこなしていく。


 そんな、ただ繰り返していくだけの自主訓練を、彼女――ミラは、特に何も口にすること無く見続けていた。




 /




 ――かれこれ、彼の……ウィルの自主訓練を眺めて、1時間が経っただろうか。

 最初は基礎的な事ばかりをやっているな、というのが率直な感想だったが、それが間違いだったことに気付く。


 基礎的な事ばかり、ではない。基礎的な事しかしていない。

 1時間、延々と木に向かって基礎を繰り返し――そして今なお、1時間前と同じ事を繰り返している。

 漫然と続けている訳ではないのは、傍から見ても理解できた。何しろ、体幹がブレていない。

 別段速い訳ではなく鋭い訳でも無いが、それを凄まじい回数弛まずこなしているというのは、成る程異常だ。


 先程握ったウィルの手を思い出す。

 幼気な容姿、私よりも遥かに低い背丈。正直同年代と言われると首をかしげる程に幼く見える彼の手は、とてもその容姿に釣り合うものではなかった。

 指はゴツく、手のひらは固く、皮も厚く。まるで皮というよりは革と言ったほうが近いのではないかという程に、柔らかさとは無縁の手。


 ……無論、自分も他人より修練を積んできたという自負はある。

 だが自分の手は彼ほど固くもなければ分厚くもない。というよりも――努力が足りていなかったから、彼に並ばれ、時に負けていたのだと解った今でも尚、私は彼ほどの努力をするかと言われれば、間違いなく首を横に振るだろう。


 だって、どう考えたってやりすぎだ。

 普段の施設での訓練も有るというのに、それに上乗せしてこんな訓練をしてしまえば身が持たない。

 施設での訓練を怠けてしまえば自主訓練なんて何の意味もないのだから、過度な訓練は寧ろ逆効果でしか無い。当たり前のことだ

 だがそれを、ウィルはどういう訳か――ずっと、続けているらしい。続けることが出来ているらしい。正気の沙汰ではない。彼に疲労は無いのだろうか?


 アルゴル先生の言っている事がよく理解できた。ウィル=オルブライトは異常者だ。


「――ふぅ」


 どれだけの回数をこなしたのか。ウィルは木剣を立てかければ、今度は槍――の代わりなのだろう、長い棒を手にして別の木に向き直った。

 私はそれを眺めつつ、ウィルの異常性について更に思考を巡らせていく。


 確かに努力をするということは、善いことだ。修練を積み、鍛錬を積み、己を鍛え上げる。

 それは尊い事だと思うし、それをする人間を馬鹿にするなんて事はするつもりはない。


 だが――私の数倍の努力をしてやっと僅かに優れる、そしてそれも何時かは追い抜かれると知っていて尚、その努力を繰り返せるというのはどう考えても正気ではない。

 ……いや、正気ではないというのは言いすぎなのかもしれないが。

 そこまで努力して尚、超えられないモノがあると知っている筈なのに、どうしてそんな事が出来るのか。私には不思議でならなかった。


 もしかしたら彼の生い立ちがそうさせるのかもしれない。

 彼はオラクルの両親の元に生まれた人間だ。確か姉の方は既にオラクルとして活躍していて――だからこそ、両親に、そして姉に追いすがろうとしているのだろうか。


 そんな事をしても、ウィルが両親や姉に絶対に追いつくことは無い。才能において劣るモノが万の努力をしようと、そもそもの到達点が違う。

 100mの山を登るウィルと、3000mの山を登る――或いは登りきった――彼らでは、到達出来る高さには絶対的な差があるのだから。


 気づけば日が暮れ、徐々に周囲も暗くなり始めた。

 ウィルはカンテラに火を灯すと自分の近くと木に掛け、今度は弓を手にして灯りが灯っている木に向けて射掛けていく。

 無論、百発百中などではない。灯りが足りないのもあるのだろう、時には外すし、すべての矢が同じところにあたるといった事も当然無い。


「――お前は、何時もこんな事をしているのか?」

「これくらいしないと、パラディオンになれるかも怪しいですから」


 そうか、と短く返しつつウィルの邪魔にならないように、口を閉じる。

 謙遜も良い所だ。確かに特別優れた才能は無いが、それでもウィルの才能自体は平均以上はある。

 天才、とまでは行かなくとも秀才と呼ばれる程度の才能は、ウィルにもあるのだ。パラディオンになるには十分だろうに。


 ……まあ、パラディオンにはその天才達がそこそこの数居るとは聞くが。私自身、その内の一人になれるのだと思っているし。


 おそらく、ウィルが目指しているのはパラディオンではないのだろう。

 否、勿論パラディオンにはなるつもりなのだろうが――目指しているのは、きっとその先。

 オラクルに欠員が出た場合、新たにオラクルとして立つ者。それを目指しているように私には映った。


 ああ、全く。

 才能さえあったのであれば、きっと彼は姉と並んで稀代のオラクルになれていただろうに。


 いつかウィルも才能の壁にぶつかり、止まる。

 きっとアルゴル先生はその時を心配しているのだ。私も……彼の努力を知った今では、心配せずには居られない。


 その努力が報われない徒花だと知った時、ウィル=オルブライトという人間は、どうなってしまうのだろう――?


「――ミラさん?」

「ん……」


 気付けば、ウィルがこちらにきょとんとした視線を向けていた。

 どうやら訓練が終わったのか、ウィルは汗を拭いながら持ってきたものを纏めており、周囲はすっかり闇に包まれていて。


「灯り。無いと危ないから、途中までは一緒に行きましょう」

「ああ、そうだな……借りるぞ」


 カンテラを受け取れば、私はウィルと並んで真っ暗な雑木林の中を歩き始めた。

 施設の中なのもあり、居るのは精々小型の野生動物程度。雑木林の中は静かなもので、数分も歩けば森を抜け、見慣れた施設が見えてくる。


 すっかり空は真っ暗で、今がどれくらいの時間なのかも解らない。

 ……よく考えれば、今日の自分の修練の事をすっかり忘れてしまっていたが、この時間からでは止めた方が良いだろう。


 寮の近くまで来れば流石に明るいので、ウィルにカンテラを返してそのまま別れる。

 取り敢えずは実地演習も何とかなりそうだ。少なくとも、他の連中と組むよりは何倍もマシだろう。


 ――ああ、そう言えば忘れていた。ウィル=オルブライトに一つだけ文句を言わなければなるまい。


「ウィル=オルブライト」

「ん……どうか、したんですか?」

「――ミラで良い。私達は同期生だ、目上でも何でもない」


 同年代相手にミラさんだの、敬語だのを使われるのだけは、どうにもむず痒くて堪らなかった。

 これだけは直して貰わなければ、行動を共にするにあたって困る。


 ウィルは少しの間、きょとんとした顔をしていたが――すぐにそれも、その幼い顔らしい笑顔に変わった。


「……うん。それじゃあお休み、ミラ」

「ああ。お休み、ウィル」


 互いに同期生らしい気軽さで言葉をかわし、今度こそ別れる。

 さて、では実地演習に向けて本格的な準備を始めよう。何しろ、今度の相手は恐らく――否、間違いなく人間ではない。


 オラクルが戦うような恐ろしい相手ではないが、それでも相手にするのは人類の敵の一つである「害獣」なのだから。

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