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6.雪原乱戦Ⅲ

 パラディオン達が巨人の如き白い害獣と戦っている最中。それより数kmは離れた雪原に、暴風が吹き荒れていた。

 白と黒の閃光がぶつかり合う度に、轟音と共に火花を散らす。

 人の目では最早追うことさえ叶わない二つの閃光は、互いに傷一つさえ負う事無く戦い続けていた。


 人類を庇護する者、エミリア=オルブライト。人類を滅ぼす者、黒犬。

 異なる神からの神託を、加護を受けている両者の実力は、完全に拮抗していた。


 黒犬が縦横無尽に駆け回り、その爪で、牙で彼女の命を狙うが、届かない。

 彼女が放つ万物を断つ筈の剣閃は、黒犬の甲殻にそのことごとくを阻まれる。


 ……それは、黒犬が悪神から得た加護だった。

 ありとあらゆる、いかなる物理的な干渉を拒絶する黒い殻。オラクルであるエミリアの剣でさえも、その例外ではなく。


 雪原に、黒犬の咆哮が轟く。

 その瞬間、エミリアが展開していた無数の光の剣は全て掻き消えた。


 そして、こちらは黒犬が元より持っている権能。

 いかなる魔法であれど黒犬の咆哮を受ければ消失するという、魔法に対しては反則とさえ言える能力。


 物理と魔法に対し絶対的な防御を持つ黒犬の攻略は、オラクルの力を持ってしても容易いものではなかった。

 物理を捨てて魔法で攻めたなら、咆哮で掻き消しつつその体を食い破ろうとその牙が襲いかかる。

 かといって物理で攻めた所で、傷一つ負わせることは出来ず――精々、相手の身体を弾いて距離を取る程度の事しか出来ない。


 故に、拮抗しているとは言えどそれは今だけで。

 どちらも無効化出来てしまう黒犬と、回避して相手の攻撃をしのいでいるエミリアではどちらが不利なのかは、火を見るよりも明らかだった。


 黒犬は、大きく裂けた口でニタリと笑う。

 ――以前は、この女に思わぬ不覚を取ったが。今度は、今度こそ、その柔らかな腹を食い千切ってやろう、と。


 防戦一方のエミリアに対し、黒犬は容赦なく攻め続ける。

 荒れ狂う黒い暴風のように雪原を駆け、跳び、その白い肌を赤黒く染めてやろうと、喜悦に満ちた表情で爪を振るい、(あぎと)を開く。


 エミリアは光の剣を展開しつつそれに応戦するものの、掻き消され。当然のごとく、剣は役に立たず。

 徐々に、徐々にだが――拮抗していた戦いは黒犬側に傾き始めた。


「く、ぅ――……っ!?」


 一度傾いた流れは止められない。

 黒犬は悍ましい咆哮を……悦びの声を上げながら、猛然とエミリアへと飛びかかり、攻め続ける。

 エミリアは剣で爪を弾き、魔法で作り出した刃で応戦するも、一度押し込まれ始めればその勢いを抑える事は叶わず。徐々に、徐々に圧されていき――


 ――そして、とうとう。その爪を受け止めた剣ごと、雪原の上に思い切り叩きつけられた。

 雪に埋まる、なんて生易しい衝撃では断じてなく。叩きつけられた衝撃で雪原を覆っていた雪は剥がれ、永い間さらされる事さえ無かった地面が剥き出しになり。


「――っ、か、はっ」


 その地面が抉れる程の一撃を、剣で受けたとは言えど防ぎきれなかったエミリアの口から、鮮血が飛び散った。

 白い肌に赤いモノが混ざったのを見れば、黒犬は口から黒く濁った唾液を零しつつ勝ち誇ったように吠え立てて――そして、トドメを指さんとばかりに、地に倒れ伏したエミリアへと飛びかかる。


 飛びかかる最中、辛うじて雪が衝撃を和らげたのか、ふらりと倒れていたエミリアが立ち上がったが……もう黒犬は何も気にする事はない。

 既に無視出来ないダメージを負っているエミリアなど、何を恐れる事があるのか。

 先ずはその喉笛を。そして次はその腸を喰い散らかしてやろう。

 小憎たらしい女神の使徒を、惨たらしく雪原にばらまいてやろう。

 陰惨な未来に、妄想に、悦びで一杯になりながら、黒犬はエミリアの喉笛を食いちぎろうとして――




 ――刹那。白く眩い煌めきが、一瞬だけ黒犬の赤黒い瞳に映った。




 /




「……は、ぁ……っ」


 荒く、息を吐く。正直危うかった。

 ここが雪原じゃなければ、多分さっきの一撃を受けた時に、一時的にとは言えど立ち上がれなくなっていたかも知れない。

 頬についた、黒い油のような体液を拭いつつ――私は、胸元から腰にかけて、深々と斬り裂かれた黒犬に視線を向ける。


 黒犬はまだ何が起きたのか理解できないと言うかのように、口から泡混じりの黒い体液を吐き出し、藻掻いていた。


 ――やったのは、非常に単純な事だ。

 幾度となく魔法を無効化させて慢心させて。幾度となく剣を受けさせて、慢心させて。

 その上で、私の攻撃への警戒を緩めた所に――魔法を纏った剣で、カウンター気味に斬りつけたのだ。


「……一度きりの、切り札だけれどね」


 見れば、決して打ち合いなどでは壊れない筈の剣は、まるで砂にでもなってしまったかのように崩れてしまっていた。

 それも仕方がない事ではある。如何に私の剣の才能で補助していても、星光を限界近くまで刀身に込めた上で振り抜いたのだから、壊れない方がおかしい。壊れるような使い方をしたのは、私なのだから。

 ……ああ、また新しい剣を探してこなくちゃ。


 地べたに転がっていた黒犬はようやく状況を理解したのか、私に忌々しげな視線を向ける。

 ああ、きっと私に対して恨み言が一杯あるんでしょうね。

 私だってそう。本当ならさっさとさっきの一撃を叩き込みたかったのに、終始隙がなかったせいでここまで長引いたんだもの。


 光の剣を作り出せば、切っ先を黒犬へと向ける。

 黒犬は多分吠えようとしたのだろうけれど、深手を負った状態では無理だったのか。

 口から黒い体液を撒き散らしつつ、掠れた声をあげるばかり。


「――さよなら、悪神の使徒。お互い、大変よね」


 悪神と女神。仕える神は違えど、似たような立場である黒犬に僅かな哀れみを向ければ、私は光の剣で黒犬の身体を穿ち、トドメを刺そうとして。


 ――瞬間。黒犬がニタリ、と。まるで私を嘲るような笑顔を、見せたような――




 ――爆音が、聞こえた気がする。

 次いで、全身に何かが突き刺さったかのような、抉り取られたかのような激痛。

 直後に背中に感じた硬い感触に、地面に打ち付けられた事を理解する。


 ――何が起きたのかは、理解が出来なかった。


「……っ、ぁ……っ、ご、ぷっ」


 喉をやられたのか、声が、出ない。

 何とか起き上がろうとするけれど、身体が動かない。動かせる、状態じゃない。


 腕も、脚も、お腹も、胸も――喉も、そして顔まで、何かが突き刺さっているのが、或いは抉れているのが、解った。


 片側が塞がった視界で、黒犬が居た場所を見る。

 丁度そこが中心になっているかのように、爆発したかのような跡があり――そこには、黒く、ドロリとした粘液で覆われた、何かが居た。




 ――ああ。

 どうやら、切り札を隠し持っていたのは、私だけじゃなかったらしい。




 /




 それ(・・)は、黒犬にとっては最後の手段だった。

 悪神から与えられたモノを、一時とは言えど手放す事で放つ、自爆にも等しい攻撃。

 身体を内側から爆発させる事で、堅牢な甲殻を周囲へ放つそれは、万が一失敗すれば自らが持つ無敵性を捨て去るだけに終わる、諸刃の剣。


 だが――事今回においては、その諸刃の剣は深々と、エミリア=オルブライトを貫いた。


 未だに深手を負ったままの黒犬がゆっくり、ゆっくりと身体を起こす。

 その体には甲殻など一つもなく。全身がドロリとした黒い粘液に覆われた姿は、醜悪そのもの。

 ごぽ、と音を立てながら口から体液を零しつつ、赤黒く光る瞳でエミリアを見れば、黒犬はその口元を悦びに歪めた。


 ――エミリアの姿は、凄惨そのものだった。

 白く透き通る肌は黒い破片で穿たれ、赤黒く染まり。女性的な柔らかな身体は、無残に引き裂かれ、千切れ。片目には深々と破片が突き刺さっており、何故死んでいないのか不思議な程。


 口からドス黒い体液を吐きつつも、黒犬は勝ち誇ったように、悍ましい鳴き声をあげた。

 深手こそ負いはしたものの、今度こそこの小憎たらしい、女神の使徒である小娘を打倒したのだと。

 これからこの小娘を陵辱し、食い散らかし、(むくろ)をパラディオンどもの元へと投げ込んでやろう。

 それを想像するだけで、黒犬は自らが負っている深手すら癒えるような気がしていた。


 ずるり、ずるりと音を立てながら、黒犬は這う。

 深手に加えて自爆までしたお陰で、黒犬は疲弊しきっていた。

 先ずは、この小娘を喰らい、犯し尽くさなければ。そうすれば、少しは回復出来るだろうと、黒犬はエミリアの元まで向かい――


 ――そして、ふと、妙な違和感を抱いた。


 目の前の小娘が負っていた傷は、こんなにも少なかっただろうか?

 否、今でもその白い身体には黒い破片が突き刺さっている。その白い肌は赤黒く濡れて、凍っている。

 だが――千切れ、抉れていた筈の傷が、無くなっている。


 黒犬は、その赤黒い瞳を初めて驚きで見開いた。

 エミリアが負っていた最早助かりようもない傷は、いつの間にか重傷程度に変わっており――黒犬の目の前で今もなお、まるで逆廻しでもするかのように塞がりつつあったのだ。


「ご、ぽっ――惜しかった……わ、ね」


 口から血の塊を吐き出しつつ、エミリアが起き上がる。


 バカな、バカな、バカな――!!致命傷だったはずだ、確かに仕留めた筈だ!

 間違いなく――この小娘に勝利した、筈なのに!!


「ん、ぐ……っ!っ、ぁ……本当、後一歩だったのに」


 エミリアは片目に突き刺さった破片を引き抜き、苦悶に満ちた声を上げつつも、立ち上がった。

 赤黒く濡れた顔を手で拭い、凍りついた血を剥がせば――間違いなく潰れた筈の眼が、黒犬を見る。


 黒犬は、愕然としたのか。口から体液を吐き散らしながら、後退して。


 ――それが、エミリア=オルブライトが女神から与えられた加護だった。

 死に至らない限り、生かされる加護。どれだけ深く、手遅れになりそうな傷であれど――それが死に直結しない限り、エミリア=オルブライトは死なない。

 黒犬の持つ物理への絶対的な防御と同様の加護を、エミリアも持っていて。

 それ故に、彼女は幾度の戦いを超えて尚、無傷でいられたのだ。


 既に破片が突き刺さったままの部分以外の傷は、全て癒えており……エミリアは光の剣を改めて作り出せば、黒犬に突きつけた。


 雪原に、怒りに満ちた咆哮が響き渡る。

 こんな理不尽が許されるものか、と言わんばかりの憎悪に満ちた黒犬の形相に、エミリアは小さく笑い――……


「そうね、私もそう思うわ。さようなら、黒犬」


 ……赤黒く濡れた顔で、ゾッとするほど優しく、柔らかく微笑めば。

 咆哮が途切れるのを待ち、改めて作り出した無数の光の刃で、黒犬の眉間を、胴体を、手足を……まるで、ハリネズミのようになるまで貫き、殺した。

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