4.雪原乱戦Ⅰ
「ぐ、ぅ――……ッ!?」
「下がれギース!潰されるぞ!!」
ミラの声と同時に、ギースの居た場所に白い柱――否、巨大な害獣の腕が落ちてきた。
ずん、という重たい音と共に、雪煙が立ち昇り……辛うじてかわしたのか、その中からギースが飛び出してきて、荒く息を吐き出す。
巨大な害獣は、振り下ろした腕を上げれば、何も潰れていない事を疑問にでも感じているのか、その巨岩の如き拳を開き、握って。左右の肩に届かんばかりに裂けた口を、いやに歯並びのいい口を開き、笑い出した。
ゲタゲタゲタ、と耳障りな声で笑う巨大なそれを見上げながら、僕らは歯噛みする。
――強い。今までに相手にした、どんな害獣よりも目の前の巨大な害獣は強かった。
白い毛皮は刃を通さず、巨体故に弓矢程度では大したダメージも受けず。更には魔法でさえも生半可なら正面から受け切る程の耐久力まで兼ね備えて。
それだけならまだしも――何よりも一番厄介なのは、その力だった。
巨体から放たれる、純粋な暴力。5mはあるであろう巨躯から放たれる拳は、ギースと言えど受けられる物では断じて無い。あれは、受けてはいけない。
であれば――僕らが取るべき手段は、現状一つだけ。
「……っ、牽制しつつ後退!速度はないから、持久戦でいこう!」
それが愚策であることを理解しながらも、そうする以外の手段がなかった。
唯一幸いだったのは、巨大な害獣の数がそれほどでも無かったことだろうか。
おおよそ20体前後。多く見積もっても30には満たない程度の数だからこそ、パラディオン達で何とか対処する事が出来ていた。
――だが、均衡は決して長くは保たない。
一刻も早く害獣の数を減らさなければ、不利なのは僕らの方だ。
この極寒の中では、普通にしているだけでも体力を奪われるというのに……こんな怪物を相手に長期戦なんてしていたら、いずれは体力が尽き果てて、蹂躙されてしまう。
そうなれば、おしまいだ。
一度均衡が崩れ、害獣の方に流れが傾けばもう止まらない。パラディオン達は瞬く間に全滅するだろう。
先輩たちもソレを重々に理解しているから、この巨大な害獣を一度に二体以上相手にする事が無いように、必死に位置取っていた。
恐らく先輩たちは問題ないだろう。問題があるとすれば、僕らの方だ。このままだと、この害獣に押し切られる――!
「どうするウィル!このままではジリ貧だぞ!」
「分かってる……ッ!!」
ミラの言葉はもっともだ。何とか巨大な害獣を引きつける事には成功したが、このまま持久戦を続けていたら間違いなく僕らは死ぬ。
でも、有効な攻撃手段が無いのだ。
ミラの槍は軽く刺さる程度、ギースの斧は傷を与える事は出来ていたけれど、それも浅い。
弓はそもそもあの巨体の前では一発一発が貧弱過ぎるし、風の壁で動きを抑えようとすれば、力任せに暴れるだけであっさりと脱出してしまう。
――考えろ、考えろ、考えろ。
僕の攻撃手段は恐らく全部通用しない。であるなら、皆の攻撃手段で何とか出来ないかを考えなければ、ならない。
「ぬ、ぅ――ッ、舐めるなァァッ!!」
ギースの渾身の一撃が、害獣の拳を辛うじて横へ流す。僅かに巨体が揺らいだものの、害獣にはダメージが無いのか。その大きな口を大きく開ければ、ゲタゲタと笑いだした。
考えろ。
物理的な手段で傷を付ける事自体は出来た。けれど、足や腕が多少傷付いた所であの害獣は止まらない。
「くっそ……この、デカブツ――!!」
ラビエリが巨体の足元から凍らせて動きを止めようとする……が、一瞬だけ脚を止めただけで、まるで踏み荒らすように脚を動かせばその拘束は一瞬で打ち破られてしまった。
考えろ。
ラビエリの魔法は強力だ。でも、それでもあの巨体に暴れられればそれまで。極寒の地、そして足元には雪が広がっているせいで、一見有効そうな火も威力がかなり落ちてしまう。
「……っ、う、ぅ……!!」
アルシエルの矢は正確だ。だが、この巨体には余りにも相性が悪すぎる。
矢を受けても物ともしない害獣相手では、牽制すら出来ているかも怪しく――
――カチリ、と。頭の中で何かが、噛み合った気がした。
「――ギース!魔法で落とし穴は作れる!?」
「あぁ!?こんな時に何を――」
「作れるの!?」
「――出来なくはない!だが、時間は要るぞ!」
よし、と僕は小さく頷いた。それなら、いける。
「ラビエリ、もう一度拘束を!ギースとミラはその間に下がって!ギースは落とし穴を!」
「了解、まっかせて……!」
ラビエリは再び、巨体の足元を凍らせていく。ここが極寒の地である事も幸いし、氷による拘束はあっという間に形成されていった。
だが、だからといってそれが長く続くわけではない。あっという間にヒビが入り、少しすればあっさりと壊れてしまうだろう。
その間に、ミラとギースは下がり――ギースは雪原に手を当てると、集中し始めた。
「……言っておくが、精々出来ても深さ2mが限界だ!足止めにしかならんぞ!?」
「それでいい!ミラ、全力ならあの害獣の土手っ腹に穴くらいはいける?」
「任せておけ。逃げながらならまだしも、拘束されてる相手なら問題ない」
確認を取りつつ、僕はアルシエルに振り返るとその手を握った。
「ミラが土手っ腹に穴開けたら、そこに目掛けてこれを。アルシエルの分も、お願い」
「ん……!」
何をするつもりなのか解ったのだろう、アルシエルは力強く頷いて。
そして、氷の拘束が砕け散れば、猛然と巨大な害獣は僕らの方へと走り出した。
一歩、二歩、三歩。
雪煙をあげつつ、僕らを蹂躙しようと加速して――その巨体が、ガクン、と雪原に沈みこむ。
分厚い雪の下。ギースが作った落とし穴は、見事に巨大な害獣の下半身を飲み込んだ。
とは言えど、それだけだ。害獣は両腕を雪原に叩きつけ、直ぐ様落とし穴から脱出しようとするが――
「――っ、セヤァァッ!!」
――その土手っ腹。人間で言うなら、心臓の真下辺りを、ミラの渾身の一突きが穿った。
鮮血が飛び散り、それが瞬く間に凍りついていく。身体に穴を開けたまま、しかし巨大な害獣は耳障りな笑い声をあげ続けて。
「ちっ、これでも足りないのか――!?」
「ミラ、下がって!!」
口惜しそうにするミラに叫ぶのと同時に、たった今ミラが開けた穴へとアルシエルの放った矢が飛び込んだ。
寸分違わず飛んでいった矢が穴に入り込んだかと思えば、パリン、と音が鳴り――すかさず、アルシエルがもう一度、同じところへと矢を叩き込んでいく。
凍りついた傷口から、液体がこぼれ落ちるのを見れば――
「――ラビエリ、ありったけで燃やすよ!!」
「了解!これで、終われ――ッ!!」
――僕とラビエリで、同時に害獣へと炎を放った。
害獣は全身に炎を纏いながらも、未だに耳障りな声で笑い続け。ドンッ、と地響きを立てるように腕を叩きつければ、その勢いで落とし穴から這い上がる。
「くっ、ダメか……!?」
再び身構えた僕らに向けて、害獣はその巨大な腕を振り上げて――その瞬間。ボン、と音を立てながら、先程ミラが開けた穴から炎が噴き出した。
さぞよく燃える事だろう。何しろ、ギース……ドワーフ達ですらグラス一杯で酔いつぶれる酒が小瓶二つ分、その穴の中に入っているのだから。
今まであげていた耳障りな笑い声が一転、聞くに堪えない悲鳴へと変わっていく。
害獣は膝を付き、胸を抑えながら、その燃えている何かを掻き出そうとしているのか、傷を掻き毟り。そんな害獣に、僕とラビエリは絶え間なく炎を浴びせ続けた。
雪に邪魔をされるとは言えど、常に浴びせ続ければやがて炎は毛皮を焦がし、純白だった害獣は黒く焼けて、爛れていく。
害獣は次第に動きを鈍らせて――全身が黒く焦げた炭のようになる頃には、異臭を漂わせながら、動きを止めた。
「……っ、は、ぁ……っ」
「成る程、そういやぁ酒は火にかけ続けりゃ燃えるものなぁ」
「あれだけ強い酒なら尚更、ね……ごめん、こんな使い方して」
「ははは、気にするな!お陰で助かったしな!」
荒く息を吐き出しながら、何とか1体害獣を倒し一息つく。
でも、まだだ。まだ戦いは続いてる。
他のパラディオン達の元へ、僕らも向かわなければ――
「――逃げろぉぉっ!!!」
――そう考えながらも、僕らは……僕は、強敵を倒して気を緩めてしまっていたのだろう。
聞き慣れない声がした方を見れば、猛然と僕らへと駆け出している、巨大な害獣が居た。
何故、と考える暇もない。
一度解いた緊張は、すぐには戻らない。ミラとギースはそれでも素早く身構えたが、間に合わず。
害獣は、ミラとギースに攻撃すること無く更に脚を進めていく。
「な――」
「コイツ、何処へ――!?」
身構えていたギースたちを跨ぐように超えれば、巨体は眼前。
振り上げられた拳は、ラビエリを狙っており――そうか、先程の炎と仲間の死体でラビエリを危険と認識したのか、なんて考えながら。
咄嗟に、ラビエリを突き飛ばす。リトルの小柄さも有って、ラビエリの身体は雪原を転がり――
――ゴキン、と。体の内側で、乾いた音が鳴った気がした。
身体が、宙を舞う。
空が、青い。
次いで見えたのは、白い雪。
雪原に身体を打ち付けながら、転がり、転がり――……
……遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。




