3.悪神の使徒:黒犬
翌日。外から差し始めた日差しと、見張りの声で目を覚ます。
身を斬るような寒さの中とは言えど、テントの中はそれなりに暖かく。十全とは言えずとも、それなりは疲労を取る事が出来た。
「ん……もう、朝か」
「おはよう、ミラ。良く眠れた?」
「少しはな。ウィルは?」
僕も少しだけ、と返すとミラは少しだけ可笑しそうに笑って身体を起こす。
僕らの声に目を覚ましたのか、ギース達も軽く欠伸をしながら目を覚まして。それを見てから荷物を纏めると、テントの外へと出た。
外は幸いと言うべきか、吹雪いてはおらず。
お陰で、害獣と視界不良の中で戦うような事は、なさそうだった。
「おう、準備が済んだら集合な。テントはそのままで良いぞ」
「はい、解りました」
身支度を終えた先輩たちが向かった先を見れば、その先には既に多くのパラディオン達が集まっていて。
テントの中のミラ達に、もう皆起きてるよ、と声をかければ、まだ眠たそうなラビエリも寝ぼけまなこを擦りながら準備を始め、30秒程で外に出てきた。
「~~……っ、さ、さむいぃ……」
「なぁに、出て少しすりゃあ慣れるさ」
「それは、慣れるんじゃなくて麻痺するっていうんだよぅ……!!」
二人のやり取りに、僕もミラも、アルシエルも笑みを零す。
……うん、どうやら誰も必要以上に緊張はしていないらしい。唯でさえ悪い環境なんだから、下手に緊張して余計にパフォーマンスを落とすよりは、この方がずっと良いだろう。
人の集まっている所へと向かえば、そこには既に起きていた姉さんと、その前に整列するように並んでいるパラディオン達が居た。
僕らもそれに習うように並べば――姉さんが一瞬、こちらを見て柔らかく微笑んだ、ような。そんな気がして。
でも、それも僅かな間だけ。姉さんは直ぐに真剣な表情を見せれば、皆に向き直った。
「――女神様から、神託が有りました。この先に悪神の使徒、黒犬が待ち構えているようです」
剣を引き抜き、突き立てて。凛とした声で神託を告げる。その動きだけで、場の空気が一気に引き締まった。
姉さんはその様子を見て、淡く笑みを浮かべながら言葉を続けていく。
「黒犬は、私が相手をします。貴方達にはその取り巻きを相手にしてもらう事になりますが、貴方達ならば必ず打ち倒せると信じていますよ」
その言葉と同時に、パラディオン達は一斉に沸き立った。
オラクルからの激励とも言える言葉なのだ、それはそうなるだろう。僕は、姉さんのことをオラクルというよりは家族として見ているからそこまででも無かったけれど、やはり嬉しい。
ギース達は……大分、舞い上がっているようにも見える。後でちょっと落ち着くように言った方が良いのかも知れない。
そうして、僕らは更に北へと進んでいく。
幸い、雪も風も収まっており。皆、姉さんからの激励もあったからか、やる気に満ちあふれているようで、足取りも軽かった。
「……しかし、相変わらず凄い、な」
「うん」
ミラの言葉に、小さく頷く。
昨日はあれだけの数の害獣を討ち滅ぼしたにも関わらず、姉さんには一切の疲労が見られなかった。
害獣だけではない。昨日も……そして今も、100人規模のパラディオン達が凍えないように魔法を使っていると言うのに、まるで平気な様子で。
……これが、オラクルという者なのだろう。
改めて、姉さんがどれだけ凄く、そして遠い存在になってしまったのかを思い知らされてしまう。
「僕だったらとっくにへばってるね」
「そりゃあ、なあ」
ギースの肩の上で震えながら、ラビエリは白い吐息を吐き出した。
パラディオン達を引き連れて、害獣を一振りで薙ぎ倒し、皆を鼓舞する。それだけの事をやっているというのに、疲労すら見せないなんて。
……もし本部に帰ってから、時間が有れば。姉さんを少しでも労えたら良いな。
酒場……だとうるさいだろうし、僕の部屋とかで、皆で。
重荷をものともしない姉さんにそんな事を考えつつ、再び僕らは口を閉じる。
吹雪いていないとは言え、相変わらず極寒である事に変わりはない。小瓶の中身を舐めつつ、寒さを誤魔化しながら、更に先へと進み……
やがて、純白だった雪原の先に異物が見えてきた。
雪原の先に居たのは、大きな、大きな黒い塊。
それが身体を起こせば――その瞬間、誰かが悲鳴をあげたような気がした。
それは、大きな、大きな……四つん這いで立ち上がったというのに、3mはあるように見える黒い犬だった。
僕でも判る。あれが、姉さんが言っていた悪神の使徒――『黒犬』に違いない。
その身体は毛ではなく、黒光りする甲殻に覆われており……赤黒く光る瞳は、どこか怨敵を睨むかのように、僕らを睨みつけていて。
いや、違う。睨んでいるのは恐らく、以前痛み分けをした相手。
僕らの先頭に立つ、剣の聖女――エミリア=オルブライト。
その姿を見るのと同時に、黒い犬の周囲から何かが湧き上がるのが見えた。
誰かが、息を呑む。
黒い犬の周囲に湧き上がったのは、その黒い犬よりも大きな、頭のない白い巨人だった。
白く長い毛に覆われたその体をゆらり、ゆらりと揺らしながら雪煙を立てて――本来、頭が、首があるであろう場所が、一斉にぐぱぁ、と開く。嫌に歯並びの良い口は、肩口近くまで開き――
――同時に、雪原に爆音が響き渡った。
大地が揺れ、震え、雪煙が立ち上る。僕らは皆耳を塞ぎ、身構えて。
その音が鳴り止むよりも早く、黒犬は爆ぜるように駆け出した。あれ程遠くにいた筈の黒犬は、瞬きをする間に距離を詰め――それを、白い人影が、姉さんが阻んだ。
剣閃と黒い甲殻が激突すれば、先程の爆音など比ではない衝撃波が広がり、雪が舞い上がる。
幾度となく重い物がぶつかり合うような轟音を鳴らしながら、黒犬は姉さんと共にその場から離れていった。
「――っ、全員、構え!!来るぞ――!!」
それを視線で追うよりも早く、先輩たちの声が僕らを現実へと引き戻す。
先程爆音を鳴らした巨大な白い害獣はゆっくりと――否、先程の黒犬と比較さえしなければ、早い足取りでこちらへと向かってきていて。
「――皆、やれる?」
「無論だ、幸いデカいの相手は慣れているからな」
「任せろ、力勝負なら負けんさ」
「あんだけデカけりゃ、魔法も当てやすいってね」
「……だい……じょ、ぶ……!」
皆の頼もしい言葉を聞いてから、僕らは前に出た。
周囲の戦いに巻き込まれないように少し距離をとるように動き、僕とアルシエルで巨大な害獣に矢を放っていく。
……巨大な相手に通用しているのか、していないのか。だが少なくとも気を引くことは出来たらしい。
矢が突き刺さった巨大な害獣は、地響きを鳴らしながら僕らの方へと向かってきて。
他のパラディオン達も体勢を立て直したのか、各々眼前に迫る巨大な害獣へと間合いを詰めれば――パラディオンと、巨大な害獣達との戦いが始まった。
/
一度、二度、三度。
剣を振るい、爪を弾き、牙をかわす。
両断するつもりで振り抜いた剣は甲殻に阻まれ、かすり傷一つさえ負わせることは出来ないが――それでも意外な程に容易く、ウィル達が居る場所から黒犬を遠ざける事は出来た。
「――久しぶりね。元気にしてた?」
私の軽い言葉に、黒犬は忌々しげな視線を向けてくる。
まあ、それは当然か。黒犬にとっては、私は怨敵でしか無い。オラクルになって日が浅い私に痛み分けという結果を残したのは、屈辱でしか無いのだろうし……
……ああ、そうか。
私もだけれど、貴方もあの場から遠ざかりたかったのね。
その爪で、その牙で私を貪り殺すのを、誰にも邪魔されたくなかった、と。
通りで、簡単にあの場から離れてくれたと思った。
「心配しないで良いわ、私も――」
雪原に立ち、剣を構える。
同時に自らの周囲に光の剣を作り出せば――それを、一斉に黒犬へと放った。
それを見るや否や、黒犬は雪原が揺らぐ程の咆哮を放ち、同時に光の剣はかき消える。
――相変わらず、ズルい相手。
身体には一切の物理的な干渉は通用せず、吠えれば周囲の魔的な物が消滅するだなんて、卑怯だと思わないのかしら。
とは言え――今回は、負けられない。痛み分けで終わらせるつもりもない。
「――私も、今回は退くつもりはないから」
周囲に光の剣を作り出しつつ、黒犬と対峙する。
こちらも退く気がない、というのは伝わったのか。黒犬は口元を笑うように歪に開きながら、まるで黒く濁った油のような唾液を零す。
ぼたり、とそれが雪原に落ちれば――私は光の剣と共に、黒犬へと突撃した。
耳をつんざくような雄叫びを受けつつも、私は無数の剣を常に産み出しながら、黒犬と肉薄する。
やろうと思えば城さえ断てる私の剣を受けながらも、黒犬は多少身じろぎするだけ。
まるで嘲笑うかのように、赤黒い眼を細めながら私を見下していて――その巨大な口を開けば、ドス黒い唾液を撒き散らしながら、猛然と吠え立てた。
――精々良い気になっておきなさい。
今に、その面を苦痛に歪ませてやるから。




