1.北の果て、厳寒の地
「――はっくしゅんっ」
本部から出立して、数日。
馬車に揺られながら、僕らは北限――人類が生存権を確保した北の果てへと向かっていた。
中央とはまるで違う気候。息が白む程の冷気に、僕らは最初こそ物珍しさに興奮していたものの、それも更に北へ進んでいくとすっかり収まっていて。
馬車の外を眺めれば、既に所々に雪が積もっていて、遠くの山は純白に染まっており。それが、外がどれだけ寒いのかをより実感させてくれた。
「くしゅっ!ふぁ……しゅんっ!」
「あー……リトルにゃ辛いわな。俺の分の毛布使っていいぞ」
「うー……ごめん、ありがとう」
「気にするな、俺は慣れてるからな」
ギースから受け取った毛布を羽織りつつ、まるでミノムシのようになったラビエリは、それでも寒そうに体を震わせる。
毛布を渡したギースの方はと言えば――元々北方の出だからだろう。まるで寒がる様子はなく、寧ろ外の景色を何処か懐かしむように眺めていた。
「良く平気だな。見ているこちらの方が寒くなるぞ」
「何、この辺りはまだ暖かい方だからな。これからもっと寒くなるぞ!」
「冗談でしょ……冗談だよね……?」
今でも十分寒いと言うのに、ギースはこれでさえ暖かい方だという。
ラビエリは歯をカチカチと鳴らしつつ、気が滅入ったのか。元々色白な方の顔を青ざめさせつつ、そう願うように口にしていた。
……ああ、でも多分そうなんだろうなぁ。
さっき見た時、遠くの山は雪で真っ白く染まっていたし――ここはまだ雪がまばらなのを考えると、先に進むに連れてもっと寒くなっていくんだろう。
それがどれくらいなのかは想像も出来ないけれど……いや、想像もしたくないけれど。
「何か寒さを凌ぐ知恵みたいなのは無いの?」
「んー、そうさな……まだ早いが、もう少し北に進んだら酒を携帯しておくと良い」
「ああ、体が暖まるものな」
「だが飲みすぎるなよ、俺らドワーフは平気だがヒューマやビースト、それにリトルはそうはそうじゃないからな。かえって体温を奪われる」
成る程、ギース……というかドワーフが酒好きなのは土地柄というのも有ったのか。
少し感心するように頷きつつ、僕らはギースの、ドワーフの知恵に耳を傾ける。
何しろ僕らは北限に行くのは初めてなのだ。聞いておいて、損はしないだろう。
「それと、酒を携帯するのはもう一つ理由があってな。俺らの住んでいた所もそうだったが、北に行くにつれて水が役に立たなくなるのさ」
「……? ど……う、いう……事?」
「水はあっという間に凍っちまうのさ。火で溶かさんと飲めなくなる」
「――それはまた、凄まじいな」
「うあああ、勘弁してよ……」
ギースの言葉に、ラビエリは頭を抱えて毛布の中に蹲ってしまった。
ミラも表情が少し引きつっていて……僕も、乾いた笑い声しか出てこない。
中央だって寒い時期になれば、早朝に水たまりが凍ったりすることはあるけれど、ギースの言っているのはそういう事ではない。
携帯していた水が一瞬で凍りつくような、極寒。それが、これから向かう場所で――
「……そんな所で害獣とやり合うんだね」
「そうさな、俺達が居た本部とは勝手が違うから気を付けた方が良い」
――そして、その極寒の地で僕らは悪神の使徒が率いる害獣と戦うのだ。
今までも知らない土地での戦いは有ったけれど、知らない環境での戦いはこれが初めて。
以前の僕達なら、緊張と混乱でまともに動けなくなっていたかも知れない。
「害獣とやり合うとして、注意すべき点はあるか?」
「足場だな。洞窟の中でもなけりゃ、雪に足がとられる」
「僕ら後衛組はその辺は大丈夫そうだね」
「……ん。弓も……大丈夫、そう?」
「気候次第だろうなぁ。吹雪ん時は風もだが視界を奪われるのが辛いぞ」
「――基本的に散開はしないほうが良いかな。互いのフォローが難しくなりそうだし」
だが、今は違う。
姉さんにたっぷりと……とは言っても、一週間にも満たない程度だけれど……教え込まれた様々な事のお陰で、僕らはしっかりと頭を働かせる事が出来ていた。
馬車に揺られつつ、僕らは向こうでどういった戦術を取るべきか、不測の事態にはどうするかなどを話し合い――
――そうして一日が過ぎた頃には、ギースが言っていた事を身をもって体験することになっていた。
外は一面の雪。空からは大粒の雪が降りしきり、遠方の山は既に見えず。
呼吸をすれば息が白む、なんて生易しい物ではなく――喉の奥、肺が痛む程になってきた。
「さささささむむむむむ」
「ラビエリ、それにお前さん達も飲んどけ。舐めるようにだぞ」
最早まともに言葉も発せていないラビエリに、そして僕らにギースは小瓶を手渡して。
ギース自身も、別の小瓶を――軽く、口に含むようにすれば、ぶはぁ、と大きく息をはきだした。
恐らくは酒なのだろう、それを見て、僕らも真似をするように小瓶を口元で傾ければ――
「……~~っ!?!?」
「く、ぁ――っ」
「~~~~……っ!!」
「う、あ……っ、な、何これ……!?」
――瞬間。口の中が爆発したかのような錯覚を覚えた。
まるで口の中に爆弾でも放り込まれたかのような、強烈な刺激。一舐めしただけだと言うのに、口の中は灼かれるようで……しかし、一気に体が温まっていくような、そんな感覚。
大酒飲みのギースが口に軽く含むだけで済ませる訳だ。こんなものを一気飲みしようものなら、悪酔いどころか命が危うい。
ミラは小さく声を漏らしながら口元を抑えつつ、顔を真っ赤に染めて。
アルシエルは声こそ出さなかったものの、ばたばたとその場で足をバタつかせて。
……そしてラビエリは、耳まで赤く染めながらその場でのたうちまわっていた。普段酒を飲まないラビエリにとっては、きっと強烈過ぎる刺激だったに違いない。
そんな僕らを見ながら、ギースは楽しげに笑った。
「どうだ、暖まっただろう?」
「まあ、な……けほっ」
「……な、に……これ……?」
「北方にしかない酒でな。とびきり濃厚なせいで、ドワーフでもグラス一杯で昏倒するっつー代物なんだが、体を温めるには丁度いいだろう」
「ドワーフが昏倒って、ど、ど、毒物じゃないか――!!」
「そう言うな、実際元気になっとるじゃないか。取り敢えず持っとけ、寒くて耐えられない時にでも舐めりゃ良い」
顔を真っ赤にして悶えるラビエリに、ギースは笑いながらそう答えて。
僕らは言葉に甘えて小瓶を携帯袋に入れれば、そんな二人の様子に笑みを零した。
「ねえ、ギース。ギースは北限には行った事はあるの?」
「いや、無いな。確かにありゃあ人類の領土じゃあ有るんだが、住むなんてなぁとてもとても」
「害獣も、悪神の使徒も寒さで凍えてくれれば良いんだが」
「ははは、確かにそうなりゃあ楽なんだがなぁ」
ミラの言葉に、ギースは小さく息を吐き出して、今度は小瓶ではなく普通の瓶に入った酒に口を付ける。
「少なくとも、俺が演習で相手にした奴ぁ寒さなんぞこれっぽっちも感じた様子は無かったし、期待しない方が良いだろうよ」
「岩喰い、だったか。確か体が鉱物そのものなんだとか、読んだ気がするが」
「正確に言うなら、鉱物のようなもの、だな。死骸は使い物にならんかったし、食った鉱物は戻ってこんし、クソみたいな奴だったぞ」
「そりゃ、害獣だもんね。そういうもんさ」
ラビエリも寒さが大分和らいだのか、白く息を吐きながらそう言って笑った。
そうだがなぁ、と言いつつもギースは相変わらず渋い顔で……まあ、それも当然か。
北方は酒造の他に採掘が盛んな地方で、ここで採れる鉱石は多くの建造物に、そして僕らパラディオンが使用している武具等に用いられている。
岩喰いという害獣は、その二つの内の採掘に大打撃を与えてくる害獣なのだ。ドワーフにとっては、まさしく不倶戴天の敵と行っても過言では無いのだろう。
「折角だし、北方で確認されてる他の害獣でも確認しておこうか」
「そうだな、黒犬が連れてる害獣とやらも載っているかも知れんし」
そう言いながら、ミラが取り出した教本を皆で囲む。
教本は様々な害獣について記されているが、その発生した地方についても記載があるのだ。
何かしらの参考になれば、と僕らは北方に出現した害獣に目を通していき――
「……ふむ。まあ、何というか」
「参考になるような、ならないような」
「う……ん。いろ、いろ……いす、ぎ」
「寒い所だからこれ、みたいなのは無いんだねぇ」
「……だなぁ」
――結果、解ったことは。害獣に地方だとかそんなものは殆ど関係ない、という事だった。
軟体生物だろうが、鉱石状だろうが、動物型だろうが、虫型だろうが関係無く、害獣は様々な地方に多岐に渡って出没していて。
北方と南方に出没したものも居れば、全ての地方――つまり、人類の生存圏全域に出没するような害獣まで居る始末。
そんな害獣達の、唯一の共通点は『人々の生活・或いは生存を脅かす事』のみ。
鉱山の有る地域には鉱物を枯らす害獣が。
農業の盛んな地域には、植物を根絶やしに――或いは、毒化させる害獣が。
商業の盛んな地域は生存圏の奥まった場所にあるから、滅多に被害を受けないが……それでも、時折その地域を滅ぼすような害獣が、現れる。
悪神の使徒については詳しい記載はなかったものの、毎回異なる害獣を多数連れているとだけ書いてあり……
……つまりは、それが害獣達の特徴のようなものなのだろう。
うんざりするような事実を改めて確認すれば、僕らは白いため息を吐き出しつつ、教本を閉じた。
「まあ、結局は出たとこ勝負って所かね」
「できればそれは避けたいんだがな……」
「……ん。でも……しか……た、ない」
「そう、だね」
そう、アルシエルの言う通り仕方のない事だ。
いつも万全に事に臨めるとは限らない。それは、僕らだって既に経験している事だ。
思い出すに失敗だらけの苦い経験だが、今度は違う。
「ギース。他にもこの地域で注意することとか有ったら、何でも良いから教えてくれる?」
「おう、任せておけ。伊達に北方育ちじゃないからな、俺も」
少しでも危険を減らすために、僕らはギースの言葉に耳を傾ける。
――今回は僕らだけではなく、全体でおおよそ100人前後のパラディオンが参加する作戦だ。
僕らはその中では恐らく一番経験の浅い新人なのだから、他の先輩たちに――そして、何よりも姉さんに、迷惑をかけないようにしなければ。
そうやって話し合っている間も、馬車は北限へと進む。
確か馬車で進むのは北限の手前までで、残りは徒歩での行軍になる筈だ。
既に今まで経験したこともない寒さになっているというのに、空気はますます冷たく、痛くなっていく。
……北限はどんな所なのか。まだ見ぬその場所に不安を抱えつつ、僕らは小瓶の中の酒を舐めつつ、寒さに耐え続けた。




