11.出立前の宴
「さあ、今夜は無礼講よ!私のおごりだから好きなだけ飲みなさい!」
夕方。まだ日が沈む前だと言うのに、酒場は大盛況だった。
その日は席がパラディオン達で全て埋まり、その中央辺りに居る白髪の美しい女性が高らかに声をあげれば、同時に歓声が鳴り響く。
その様子を、女性は嬉しそうに、しかし何処か寂しげに眺めながら席についた。
彼らは皆、オラクルであるセシリア=オルブライトの悪神の使徒討伐に同行する者達で。
――彼らも、そして彼女も理解しているのだ。
もしかしたら、こんな事が出来るのは最後かも知れない、と。
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「――まあ、そんな固くなるなや!大丈夫大丈夫、何とかならぁな!」
「ほー、お前があのエミリア様の弟か!ちっちぇーなぁ!」
「あ、あはは……」
先輩たちに囲まれて、肩を叩かれる。
姉さんが音頭を取って始めた宴会は、既に混沌のるつぼだった。
泥酔している人も多く、先輩たちは席を関係なく立ち歩いて飲んだり、絡んだり。
僕も姉さん……オラクルの弟という事で、しきりに先輩たちに絡まれていて。僕は苦笑しつつも、軽く言葉を交わし。
「ぬあぁっ!?」
「こら、ウィルに乱暴をしちゃダメよ?」
それでも絡まれ続ければ、姉さんがそんな先輩たちの腕を軽く捻り、床にひっくり返した。
とはいっても、軽く窘める程度のつもりなのだろう、姉さんも先輩たちも笑っていて。
「たはは……そいつは失礼しました!」
「よろしい、以後気をつけるようにっ」
先輩たちの元気な返事に、姉さんは柔らかく笑みを零す。
それを見た先輩たちも、何処か嬉しそうにしながら、また別の場所へとグラス片手に移っていった。
「しかし、何というか……凄い騒ぎですね」
「そう? 私としてはこれくらい元気な方が安心するわ」
いつも以上にハメを外しているようにも見える先輩たちを見て、ミラは苦笑して。
姉さんはそれに、少しだけ寂しそうな顔を見せれば、お酒に口を付ける。
既に少し酔っているのか、姉さんの白い肌は仄かに赤く染まっていて――何だか、妙に色っぽい。
「ほら、貴方達ももっと楽しみなさいな。じゃないと、折角のおごりなのに勿体無いわよ?」
「はは、それもそうですな。じゃあ遠慮なく――」
ギースは既に酒を浴びるように飲んでいたと思うのだけど。それでも遠慮しているつもりだったのか、席を立った。
……何やらカウンターの方で注文しているようだけれど、何をするつもりなのだろう?
「ウィルも、頼みたいのがあれば頼みなさいね。お姉ちゃんが食べさせてあげるから♥」
「い、良いよ!1人で食べれるからっ」
「ははは、良いじゃないか。この際、思い切り甘えたらどうだ? ん?」
「ミラまでそんな事……!」
「はーい、ウィルをお姉ちゃんのお膝にごあんなーい♪」
話している内に、ひょい、と抱き上げられてしまうと、姉さんの膝の上に座らされてしまった。
既にお酒を飲んでいるのも有るとは思うのだけれど、酷く恥ずかしくて、顔が一気に熱くなっていくのが、自分でも判ってしまう。
ミラはそんな僕をニヤニヤと見つつ――ラビエリは、どこか羨ましげに僕のことを見ていた、ような。
「ふふー、ウィルはお姉ちゃんが守ってあげるからねー」
「ん……も、もう、僕は子供じゃないんだよ……?」
「子供とか、大人とか関係ないわ。ウィルを、守りたいんだもの」
僕をまるでぬいぐるみでも抱くかのようにしつつ、姉さんは僕の頭に顔を埋め、優しく体を撫でて。
恥ずかしくて仕方ないけれど、その声色が何故か憂いを帯びているような気がしてしまい。僕は、姉さんの手を払う事が出来なかった。
……いやまあ、姉さんの力だから払っても無駄だったかも知れないけれど。
しばらくの間、姉さんにされるがままに抱かれていると、ぽん、ぽん、と。
まるで子供の頃にされたように、姉さんの手が僕の体を優しく撫でて。
「……ねえ、ウィル」
「ん……どうしたの、姉さん」
――酒場の喧騒が、遠い。
直ぐそこで皆が騒いでいると言うのに、酷く静かに感じてしまう。
「――パラディオン、辞めるつもりはないの?」
「どうして?」
「ウィルが世界を守らないでも、お姉ちゃんが守るよ?」
その言葉を口にする姉さんの声は、訓練場の時とも、ここで再開した時とも違っていた。
遠い過去。父さんも母さんも一緒だった、幼くも楽しかった日々。
あの頃のような声色で、姉さんは……僕を心配するように、囁きかける。
「お姉ちゃんが、世界もウィルも、ママも――全部、全部守るよ? だから……」
――だから、ウィルは危ないことをしないで良いんだよ、と。
姉さんは優しい声で、オラクルになる前の姉さんのように言葉を口にして、僕を抱く腕に力を込めた。
……姉さんのいう事は、もっともなのかもしれない。
僕がどんなに頑張っても、きっと出来る事はたかが知れている。沢山いるパラディオンの中で、僕一人が欠けた所で大した影響は無いのかも知れない。
「ごめんね、姉さん」
でも。それは、僕がパラディオンを辞める理由にはならないのだ。
父さんや母さん、それに姉さんに恥じない自分になる為に、僕はパラディオンになった。
それは、例え――それが、無意味だったのだとしても、変わる事はない。
それに……今は、もう仲間たちも居る。
彼らを裏切るようにパラディオンを辞めるなど、出来る筈もない。
「……そっか」
僕の言葉に、姉さんは少し寂しそうに、しかし何処か安心したように笑みを零すと、ぽんぽん、と優しく、髪を漉くように頭を撫でてくれた。
「ウィルは、強くなったね」
「……そんな事、無いよ」
「ううん。強く、なったよ」
姉さんはくす、と可笑しそうに笑みを零すと、僕を元の席へと戻して――同時に、酒場の喧騒が戻ってくる。
ミラ達の方を見れば、先程のようにどこか微笑ましげな、生暖かい視線を向けていて。
「ふふ、私も抱っこしてやろうか、ウィル?」
「だーめ!ウィルを抱っこして良いのはお姉ちゃんだけですーっ」
ミラ達の揶揄に、姉さんは冗談半分にそんな事を言いながら。
先程までの様子は何処へやら、すっかり普段の――ここで再会してからの姉さんに戻っていた。
「ねえ、ウィル。エミリア様の膝の上、どうだった……?」
「……何てこと聞くのさ」
「良いじゃんか、教えてよ」
ラビエリの言葉に苦笑しつつ、小さく息を漏らす。全く、そんな事答えられる訳無いだろうに。
……まあ、時々困った所もあるけれど。それでも、今はもう皆大事な仲間だ。
どこまで一緒にいられるか、何時まで僕がついていけるのか判らないけれど――いつか、その日が訪れるまでは、彼らの事を大事にしたいと、そう思う。
「大体、ラビエリは子供扱いは嫌いじゃなかった?」
「バッカ、それとこれとは別でしょ!やっぱり女性っていうのは、エミリア様くらい肉付きが――」
「……さい、てー」
「――うぐっ。い、いや、ミラやアルシエルが悪いとかじゃないよ?」
「最低、だな」
アルシエルとミラから、言葉少なくも辛辣な指摘を受ければ、ラビエリは言葉を止めた。
ラビエリはお酒を飲んでいない筈だけれど……どうやら雰囲気にでも酔っているのか、何時もより饒舌で、自重も無くなっており。
「おーう!持ってきたぞ!」
「ん? え、ちょ――な、何持ってきてんのさこの馬鹿ドワーフ!!」
「あら、もしかしてそれを一気飲みするのかしら」
それ――酒樽を持ってきたギースを見れば、そんな言葉を吐き出したラビエリにギースは可笑しそうに笑いつつ、どん!とテーブルの横に酒樽を置いた。
ふと周囲をみれば、ギース以外のドワーフの先輩達も酒樽を脇に置いていて――
「――よし!じゃあいっちょドワーフ同士で飲み比べと行くかぁ!!」
「新人にゃ負けねぇぞ!」
「負けた奴ァ、裸踊りだなぁ!!」
――その言葉と同時に、文字通り浴びるような、ドワーフ同士の飲み比べが始まって……宴会は、ますます混沌としていった。
誰も彼もが飲み、騒ぎ。終いには酒場の店員さんまで巻き込みながら、閉店時間を過ぎても宴は続いて。
……夜が明ければ、酒場には酔い潰れ、疲れ果てたパラディオン達で溢れかえり。
昼過ぎになってから、ようやく各々自室へ戻れば明日への準備をし始めた。
僕らも同じく、部屋に戻れば荷物を纏め、足りないものは街へ買い出し。
その日は姉さんも休むつもりだったのか、教導も特にはなく――恐らく、体をしっかりと休めておけという事なのだろう。
いつもよりも早い時間にベッドに入れば――翌日のことを考えるとどうにも中々寝付けなかったけれど、その内眠りに落ち――
――そうして、翌日。
僕らは地平線から日が顔を出すのと同時に、馬車へと乗り込む。
一昨日の騒ぎは何処へやら、皆――僕らも含め、表情は固く。それが、これから向かう場所に待ち構えているであろう困難を、予想させた。
向かう先は、北限。
人類が生存権を確保した、北の果て――悪神の使徒である『黒犬』が現れると言う、白銀の大地。




