2.理解者
この世界において、才能とは絶対的なものである。生まれた時に天啓として知らされる才能は不変のものであり、決して覆る事はない。
才能において劣るモノは、役立たずとして唾棄される。優れた才能を持つモノは、蝶よ花よと育てられる。
優れた、というのは所謂天才で、幼少期から既に大人に匹敵する力を発揮できる素晴らしい才能。
劣る、というのは所謂非才。いかなる努力を積もうとも、下手をすれば子供にさえその部分では劣る程の、最早呪いとさえ言える才能。
その点に置いていうのであれば、ウィルは決して非才でもないし、劣るという訳でもなかった。
剣に槍、弓に一部の魔法に対してそれなり――それこそ、努力さえ惜しまなければ誰かに物を教えられる程度にはなれるであろう才能があった。
だが、それでは足りなかった。ウィルに求められていたのは凡才ではなく、最低でも「天才」だったのだ。
天才という言葉さえ霞む程の者同士の間で生まれたのだから、その程度の才能はもって然るべきだという、勝手な期待。
ウィルの姉が両親に匹敵する程の才能を持っていたが故に、その勝手な期待は最早そうなって当然、必然と言わんばかりに膨れ上がり。
両親や姉こそ、そんな期待など抱いていなかったが、周囲は勝手に肥大化した期待を裏切られた事で、ウィルに激しい失望の念を叩きつけた。
ウィルはそんな害意とさえ言える感情から、両親と姉に守られて育ってきた。
世の中がそういうものであると知ったのも、父親が悪神の使徒との戦いの最中で亡くなってから。それでも母と姉はウィルを守ろうとしたが、ウィル本人がそれを拒否したのである。
周囲からの批判は当然だ。自分には誇れるような才能など、何一つないのだから、と。
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明くる日の朝。養成所の掲示板に、一枚の張り紙が貼られていた。
張り紙の内容は、至って単純。簡素なもので、「一週間後に実地演習を行うので各自グループを組んで準備しておくように」というものだった。
実地演習、と言うことはこの養成所の中ではなく実地――つまりは、外で行われるという事。
ある生徒はピクニック気分で、ある生徒はレクリエーション気分で鼻歌交じりに思い思いの準備を始めた。
多くの生徒は行楽気分の中、顔を顰めていたのは極数名。
その内の一人であるミラは、内心頭を抱えていた。
(――頭が湧いているのは知っていたが、此処までとは)
思わず口にしそうになるのを堪えつつ、心の中で毒を吐くと彼女は周囲に視線を向ける。
仲良しグループを組むもの、男女でデートでもするつもりなのかペアを組むもの。それを見る度にミラは軽い頭痛を覚えつつ、それらから視線を反らした。
(実地演習だぞ?何故そんな……ああ、頭が痛い……)
――実地演習、ということはつまりはパラディオンとして仕事をする現場に行く、という事だ。
それはつまり、パラディオンとして相手をすることになる「害獣」等の駆除をするという事であり、決して行楽気分で行くようなものではない。
ミラはそれを正しく理解しており、グループを組む事の重要性も理解していた。
そして、だからこそ頭を抱えていた。何しろ、彼女の周囲には実地演習の意味を正しく理解している者がほぼ居なかったのだから当然だ。
……否、一人だけ。
彼女の知っている顔でたった一人、実地演習の意味を理解している者が居た。
誰から声を掛けられる事も無く、ただ張り紙を見上げ、幼気な顔を少しだけ顰めるようにしつつ、少しだけ――ほんの少しだけ、困ったような。そんな表情を浮かべる少年。
「――」
ミラはその少年――ウィルに声をかけようと手を伸ばし、躊躇った。
1つは、普段から煮え湯を飲まされ続けている相手に頼るのは癪だったという、プライドの問題。
そして、もう一つは――
そうこうしている内に、ウィルはその場から去っていく。
あ、と短く声を漏らしつつも、所在なさげに伸ばした手を彷徨わせつつ、小さく息を吐き出すとその手を降ろした。
――もう一つは、此処には他の生徒達が居るという事。
周囲からああいった扱いを受けているウィルに自分から声をかけ、グループを組むことを提案する。
そんなことをすれば、周囲からどんな視線を浴びるかなど言うまでもない。
ミラはそんな打算的な自分に少し嫌な気分になりつつ、生徒達から声をかけられればやんわりと断りながらその場を後にした。
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困ったことになったな、とウィルは心の中で呟いた。
実地演習自体は、寧ろ嬉しい。喜ばしいことだ。無論行楽とかそういう意味ではなく、養成所に居る内からパラディオンの現場を体験出来るなんて、それこそ稀有な事だから。
基本的には養成所を卒業し、正式にパラディオンになった後に研修として先輩のパラディオン達と同行する事で経験を積むものだ、とウィルは姉から聞いていた。
――そして、パラディオンの現場がどのようなものか、伝聞でしか無いものの知っていた。
それを考えれば、実地演習はウィル一人でどうにかなるとは到底思えなかったのだ。
勿論、周囲の人間に頼れるような輩は居ない。ウィルは自分が嫌われている事は重々理解していたし、それも仕方のない事だと思っていた。
……何より、周囲の人間はそんなに頼りにならなさそうというか、協力してくれない以上足を引っ張られそうだ、と。少しおかしな気持ちになりつつ、ウィルは小さく笑った。
となれば、一人でどうにかする他無いか、と消去法でウィルは結論を出す。
正直今の自分では無茶ではあるが、少なくとも不可能ではないだろう、と軽く自分を鼓舞しつつウィルは何時ものように施設の周囲を軽く走ろうとして――
「少し良いか、ウィル=オルブライト」
――その背後から、聞き慣れた声を聞いた。
すぐに姿勢を正しつつ振り返れば、そこに居たのは自分より遥かに大きく、そして厳しい顔をした男性教師。
この養成所の武術主任教師、アルゴル=ディオスが立っていた。
「何でしょうか、アルゴル先生」
「……グループは、組めたのか?」
アルゴルの問いに、ウィルは少し困ったような顔をして――それだけで、アルゴルは全てを察した。
予想はしていたのだろうか、その厳しい顔を余り変える事無く言葉を続けていく。
「……そうか、だが団体行動というものも大事だぞ」
「はい、それは――解っている、つもりです」
「ん……」
アルゴルの厳しい顔が、しまった、という表情に変わる。
――元来、アルゴルという男は言葉が決して上手ではなかった。口下手という程ではないものの、言葉選びが上手い訳ではなく。
故に、基本的にはあまり喋らず、言葉少なく済ませているのだが……それでも、否、だからこそ失敗する時は失敗してしまう。
「……お前を理解してくれる者が居れば、良いのだが」
「少なくとも、先生方には恵まれていると思っていますよ」
少し肩を落とした様子のアルゴルに、ウィルは淡く笑みを零しながら、本心からそう返した。
アルゴルは少しだけ暗澹とした気分が良くなるのを感じ――同時に、だからこそ残念に思う。
今回の実地演習は、実のところ現場を通して自らが如何にぬるま湯に浸ってきたか――それと同時に、ウィルやミラ達がどの程度の実力をもっているのか、生徒たちに身をもって知らせる為のものだった。
実地演習ともなれば、先生がとか、エコヒイキがなんて言い訳は通用しない。
何しろ相手は先生でも、ましてや生徒ですらない「害獣」だ。場合によっては数メートルの巨獣さえ相手にすることになる、そんな現場だ。
そこで今の所はパラディオンになる可能性の高い者たちの実力を目の当たりにすれば、きっと目が覚めるだろう――なんていう、所長の目論見だったのだが。
それもどうやら、空振りに終わりそうだった。
今期の生徒達の堕落度合いは、所長や教師達の思惑を遥かに超えていたのである。
よもや、実地演習をピクニックかなにかと勘違いするなんて。アルゴルはため息を漏らしつつ、施設の外縁を回りに行ったウィルを見送れば、その場から去ろうとして……不意に、視線に気がついた。
視線を感じた方向へ目を向ければ、少しだけ居心地が悪そうにした赤髪の少女が立っており。アルゴルはふむ、と小さく呟きつつ彼女の方へと歩み寄る。
「どうした、ミラ=カーバイン」
「……いえ、何でも」
そういいつつも、ミラは何かを言いたげだった。
アルゴルは暫くの間、何も言わずミラの前に立ち――やがて、根負けしたかのようにミラは少しだけ恥ずかしそうに口を開く。
まるで、これからする質問が馬鹿げた事だと理解しているかのように。
「アルゴル先生、教えて頂きたい事があります」
「ん……どうした」
「――才能は、絶対のものではないのですか?」
ミラの言葉に、アルゴルは少しだけ固まった。
ミラは聡明な生徒だ。故に、今の言葉の愚かしさなど重々に理解しているのだろう。
それでもなお、そのような質問をぶつけてきたという事は――そこまで思考を巡らせて、アルゴルは小さく頷いた。
「才能は、絶対のものだ。不変であり、覆る事はない」
「……そう、ですか」
当然のような返答に落胆を、そして同時に馬鹿げた質問をしてしまった自分を恥じ入りつつ、ミラが肩を落とす。
「だが」
――しかし、アルゴルは更に言葉を続ける。ミラは視線を上げると、アルゴルの厳しい顔は幾分か……本当に僅かだが、何時もよりは楽しそうな物になっており。
「……着いてこい、ミラ=カーバイン。見せたい物がある」
その言葉と共に、アルゴルはミラを……生徒を導くように、ゆっくりと歩き始めた。
/
養成所は世界共通で全寮制である。
卒業までは基本的には敷地の外に出る事は許されず、生徒達の活動範囲は必然的に養成所内のみ。
とは言えど、外縁を城壁の如き石壁で囲まれた敷地は非常に広く、普通に養成所内で過ごしていれば足を運ぶことも無いような場所も幾つか存在した。
例えば、所長室。例えばゴミ処理場。例えば、下水施設。
アルゴルがミラを連れて行った先は、そんな足を運ぶような事もない場所の1つ――敷地の片隅にある、雑木林だった。
「此処は所長の趣味でキノコ類の栽培をしている場所なのだが、立ち入った事は?」
「……有りません、その必要が無いですから」
アルゴルの言葉に、ミラは言葉少なく答える。
見せたいものがある、と言っていたアルゴルがわざわざ連れてきた場所が、所長のきのこ園だなんて事がある筈がない。
ミラは、先程の言葉の真意を早く知りたかった。才能が全てだ、と言う事を肯定しつつも導いてくれたアルゴルの真意を、見たかった。
アルゴルに導かれ、きのこ園を抜け、更に雑木林の奥へ向かう。
そうしていく内に――ミラの目に、奇妙な物が目に入った。
歪に削れ、中には折れた物もある樹――それも1つや2つではなく、無数に立ち並んだそれは、まるで奇っ怪なオブジェのようで。
そのオブジェの1つに手を触れると、ミラは小さく声を漏らした。
それは、当然のことながら人為的な物だった。
槍の基本の突き、払い。剣の基本である斬撃。それ以外にも、沢山の痕が、そのオブジェには残されていたのだ。
無数に立ち並んだそれらは全て、そうして出来たものなのだ、とミラは理解する。一体何の授業に使われたのかと口にしようとして――その言葉を、飲み込んだ。
そんな筈はない、とミラは頭を振る。自分たちだけが受けていない授業なんて、ある筈がない。有ってはならない。もし有ったのならば、それこそ不正だし依怙贔屓で――ここの教師達がそんな事をするはずがないと、ミラは重々に理解していた。
「……これは、何なのですか?」
その上で、ミラはようやく絞り出した言葉はそれだった。
――否、どういうものなのかは薄々察しがついている。だが、それを理解したくはなかっただけ。
ミラの心にあるプライドが、そんな物を認めたくなかっただけ。
「これは、ウィルの自主訓練の痕だ」
だが、そんな事に意味がある筈もなかった。アルゴルの言葉で、はっきりとさせられてしまった。
才能は絶対だ。それを覆すことは絶対にできない。
それを覆されたのなら――それは、単純に「努力の差」でしかないのだ、と。
「――そう、ですか」
何と愚かなのか。始めから自明の理だったのだ。
才能では上のはずの自分が負けたのであれば、それはただの努力不足でしかないなど、少し考えれば分かったはずなのに。
ミラは今すぐこの場から消えてしまいたかった。
自らの努力不足を棚に上げて、別の所に原因を求めた。それは、自らが嫌悪していた連中と同じ事をしていたのだと、理解してしまったから。
――だが、アルゴルは更に言葉を続けていく。
「ミラ=カーバイン、一応言っておくが……お前が、怠けている訳ではない」
「……っ、気休めは――」
「違う、そうじゃない」
ミラの遮るような言葉を、アルゴルは優しく制した。
それは間違っていると。ミラの思考を正すように、教師として言葉を続けていく。
「……ウィルは、悪い言い方をするが……異常なのだ」
「異常……?」
「ウィルの才能で、今の強さになるのは……本来なら、成人して以降の筈だからな」
……つまりは、それだけの努力をしているという事。
それを異常扱いだなんて、とミラは言葉を挟もうとするが、それよりも早くアルゴルは言葉を続けていく。
「ミラ=カーバイン。今度の実地演習、ウィルと一緒に行ってやってくれないか」
「……何故、私が」
「お前もパートナーを探していたのだろう。これ以上ない相手だと思うが」
アルゴルの言葉に、ミラは少しの間唸り――そして、小さく頷いた。
元よりその方が良いとは思っていたが、相手がコレほどの努力家だと知った今では、ミラがそれを断る理由などある筈もなく。
それを見てアルゴルは何処か安心したように、珍しく安堵したかのような笑みを浮かべると、ぽん、と優しくミラの頭に手をおいて、まるで子供にでもするかのように撫でた。
「――っ!?」
普段のアルゴルからはとても想像できないような行為にミラは面食らいつつも、気づけばアルゴルはミラの遥か後方に居り。
「――ウィル=オルブライトを頼んだぞ」
最後に、僅かにミラに届くようにそう呟けば、その巨体からは信じられないような速さで、静かにミラの視界から消えてしまった。
頼んだぞ、というのはどういう意味なのか。
寧ろ自分からすれば、ウィルに頼む事になるのだが、とミラは少しだけ首を捻り――
「――あれ?」
――唐突に/当たり前のように、その背後から走り込みを終えたばかりの、件のウィル=オルブライトが現れたのだった。